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いいことばっかりじゃないけど、全部詩にしてしまえばいいって思えるときが来る。<PSJ2018ファイナリスト・三木悠莉>


2018年大会でポエトリースラムジャパン(PSJ)初の2連覇を果たした三木悠莉さん。2017年大会では初の女性チャンピオンに輝いているので、これで二つの「初」を飾ったことになります。

パリで行われたポエトリーW杯に出場したことがきっかけとなり、ロシアのモスクワでのポエトリーフェスティバルにも招待されました。日本にとどまらず、世界で活躍されています。2回目の全国大会優勝や、世界のステージに立って感じたことをインタビューで伺いました。

チャンピオンならではの、ここでしか聞けない話。じっくり味わいください!

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出場を悩んだ2018年大会

―優勝を経ての2018年大会は、どんなことを考えて参戦しましたか?

三木悠莉(以下、三木):えっとねー、1回勝ってフランスW杯に出て、もう出ないっしょって決めてた時期が実はあって、勝った直後。もういいかなって正直って思ってたんだけど、近しい仲間が「いや、出るでしょ?」って言ったんだよね。なんでかっていうと、例えばラッパーの世界で2連覇するってすごく大きなことだよって。1回だけなら運とか風向きで勝てるかもしれない。けど2回勝てば実力って思われる。だから出るでしょ?って。そんなこと言うと思わない人が私に言ったのね。「あ、そう思っててくれたんだ。」って。そう言われて出ないのは私じゃないなって思って、出場することにした。私の活動を知ってくれている人が言ってくれたのは本当に大きくて、言った人はそんな大きく捉えてないと思うんだけど。じゃあ出るか、しょうがないなって感じで出ることを決めたの。出ますっておおっぴらに言っていたわけではないけれど、予選が始まる前に出場者が分かり始めてきたあたりで火がついて、この大会の良さはこれだなって実感しました。

―東京大会Bの印象を教えてください。

三木:すごくいい大会だったんだよね。この大会を全力で盛り上げたいなって、勝ち負け関係なく思った。決勝もすごく良くて、4人のそれぞれの戦いがあった。持ち味が存分に発揮されていたし、白熱の戦いだった。もしかしたら東京大会Bで本格的に火がついたかも。例えば、B大会の決勝に残ったのはMARIO君っていう福島から来てた若いラッパーと、MI’zさんっていうこちらはベテランのラッパー、鏡花さんっていう朗読自体は長くやっていたけどポエトリースラムの場では初めて観る、みたいな方がいたの。今までPSJを観てきた中でも、初めて観るような試合だったと思う。相手がどう出てくるかもわからないし、その場で「あ、こういうプレイヤーなんだな」っていうのをみていくから、相手がどういうことをやっていくのか本気で聴いたのよね。ラップ、ポエトリーリーディングみたいなジャンルがあるけれど、それが一番交じり合っていたのがB大会だったのかなって。もちろん全部を観たわけじゃないけど、今まで観たPSJの地区大会、全国大会含めて一番好きだったのね。どの大会もB大会みたいになったら超最高だなって思ったの。お客さんも素晴らしかったし、演者も盛り上げようとしてたし、それおっきかったかな。

しかも象徴的だったのが、B大会の会場賞では3人が同点になって再投票したんだけど、その3人とも決勝に残った人じゃなかったんだよね。それって大会全体が盛り上がったあかしじゃない? 「そこまで勝ち上がったからこの人」じゃなくて、みんなが真剣に考えて、本気で聴いてこの人がいいって選ばれたわけだし。それで勝ち上がったのがイトシュン(伊藤晋毅)だったよね。

―試合中は勝つぞ、というよりも盛り上げようという気持ちの方が大きかったということですか?

三木:そう。大会を盛り上げるために演者ができることはいいステージをすることで、それぞれがいいステージをすればめちゃくちゃ盛り上がるし、この大会を盛り上げるためにも、絶対いいパフォーマンスをしないとなって思ってた。

―自分自身の中で2017年の大会と2018年の大会で大きく変わったことはありますか?

三木:2017年大会まではライブでのパフォーマンスと、スラムでのパフォーマンスに明確な区別はなかったのね。でも1回優勝して分かったのは、スラムで勝つ詩というものはあるんじゃないかなっていうこと。普段のライブは10分20分で境目なくひとつのストーリーを作ることができる。対してスラムは1回1回採点されるでしょ? 分断されながら、間にいろんな出場者のいろんなステージがある、そのなかで自分のストーリーを作る。するとお客さんに与えられる感情は違うんだって、2017年の大会で学んだ。だから私はより「こういうストーリーをつくりにきました」っていうのがわかりやすいようにするのを意識した。いろんな人がいるなかで、私のステージの記憶は時間の経過と共にうしろの方に行く。ちょっとうしろの方に行ったところで私の出番がまたやってくるんだけど、うしろの方に行った記憶を、2回目の私の朗読でふと思い出してもらえるような、繋げてもらえるような世界観を持つ。ということを考え始めたのが2018年の大会だったな。

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子供がいても、仕事をしていても、本気になれる。チャンピオンになれる。

―それを踏まえてB大会を優勝されて、そのあと全国大会までかなり時間がありましたが、その間でなにか準備をしたりしましたか?

三木:準備は…特になかったな。「練習ってどうやっていますか?」って時々聞かれるんだけど、練習をしないっていう練習を…。自分の書いた言葉に対する新鮮な気持ちだったりを大切にしたくて。あとね、練習しすぎると余裕が生まれるでしょ。その余裕に魔は棲むから…。だって人間トチるときってちょっと調子乗ってるときなのよ。全力で行かないとトチるくらいの余裕のなさでいった方がいいってのがわかってきたよ…。尺に収まるか、3分に収まるかの調整はする。だから準備っぽい準備はしてない。準備は紙の印刷くらいですね。

―そうなんですね…! 気持ちの方はどうでしたか?

三木:気持ちは…東京大会Bの優勝として全国大会にあがったから、気合が入りました。東京大会Bでさ、全国に進みたかったけれど進めなかった人がいるわけじゃん。そのなかで代表として出さしてもらってるから、それは自分で勝手に思ってることだけど、Bで勝ってきましたっていうのはBを背負ってるってことだと思うから、かっこ悪い試合はできないなって思ってました。Bの大会がすごく良かったから、すごい大会から出てきた私がすごくないと嫌だなって思った。来れなかった人の分の「勝ちたい」も持ってきたって気持ちだったから、絶対優勝したいって思ってたよ。

―試合前や試合中に、前回王者と呼ばれることにプレッシャーを感じましたか?

三木:私はね~、すごく嬉しかったのよ。かっこよくない? チャンピオンって。人生色々経験してきて、いま私34歳で、子どもが2人いる、会社員として仕事もしてる、主婦もしてるっていう女性がチャンピオンになれる場所なんだよ、ポエトリースラムジャパン。一般的に考えて、30過ぎの、まだ全然手の掛かる子どもを持つ女性が勝負に打って出て、自分の勝ち負けでやっていく世界って正直あんまない。もう自分のためだけではなく、家族のために人生のウエイトを割いていかなくちゃいけない、と言われる立場の中で、こんなにも私本気になって、戦って、チャンピオンですって言われてるのが30過ぎ、子持ち、の女だっていうのが嬉しいの。過去に色々あったけれど、それでもチャンピオンとしてここに立っていられる。頑張ってきた自分に対しても誇りが持てるし、どんなバックグラウンドを持っていても関係ない、いいステージをやった奴が勝つ、っていう価値観を作った今までのポエトリーやスラムにすごいリスペクトがある。だから私はチャンピオンって言われて嬉しいし、チャンピオンと呼ばれるからにはお客さんはチャンピオンだって思って観るわけだから、チャンピオンたるステージをやらないとなって思う。がんばる動機になるし、ぜったいにこけられないぞっていういいプレッシャーになってます。

―全国大会の時もそれが大きな力になってたんですね! 試合が始まって、どんなことを考えていましたか?

三木:全国大会は、ちょっと冷静になったんだよね。とても緊張感のあるいい場で、レベルも高かったし、勝ちにいくぞ!っていう気持ちも自分のなかにあって…。決勝はものすごく冷静に、勝つためには、ということを考えてた。すごく集中してた。
決勝は、いやあ、いいメンツが残ったなあ、っていうポエトリーファンとしての目線でグフグフとしてました。自分を含めて、引いた目線で見るとすごくエモい3人じゃん。エモーションの戦い!みたいな。私は、浅葉爽香大好きで、浅葉じゃなきゃできないことを彼女はやっているから、とっても好きで、あの不器用なところも。きっと色々悩んだり、葛藤してきたりする中でここまできたんだなあっていうのが、私は嬉しかった。あと、iidabiiに関しては本当に私、ファン丸出しだったの。大好きなの、彼のポエトリーほんとにね。何回も私はiidabiiのポエトリーに泣かされてきたし。正直ね、ポエトリースラム全国大会まで行くと、みんな「ねえねえ誰と当たるのが怖い?」って聞いてきたりするんだけど、もし決勝に残ったときにすごく自分として出方を考えちゃう対戦相手はiidabiiだよって話をしたことがあって。

―そうなんですか…! そんななか、何が勝機だったと思いますか?

三木:iidabiiのスタイルっていうのは声をがっつり張って、自分の人生の見せたくない部分だってさ、どんどん見せてくれるんだよ。だからすごく人の心に刺さるし、っていう部分は私にもちょっとだけ共通している。私も人生いろんなことがあって、見せたくないことも観せる事で昇華してきたし、自分の財産にしている。すごくそこに共感していて、ただ、なんだろうな、彼は超すばらしい、すばらしいけど、彼にはまだなくて、私にある事、つまり私の勝機はなんだろうっていったら、それは1回勝ったっていう経験かなって思ったから、いつもより、気持ち凛とした、堂々とした気持ちでやりました。勝つのは私よ!みたいな。決勝は自分の嫌なところっていうんじゃないけどさ、うちすっごい負けず嫌いだし、勝負事はぜったい一位になりたいのね。なんでもそうなの。そこが私は好きなところでもあるし、嫌いなところでもあるの。そんな何でもかんでも一位をねらう浅ましさ、を自分に感じる事もあるのよ。そんなこと思ってないと思われてるかもしれないけど、あるの。ちょっとそこを一旦おいといて、でもいいじゃん。あんたは勝つのよって。みたいな。たぶんそれって伝わるのよ。お客さんにも。

―伝わるんですか…! どんなときそれを実感しましたか?

三木:ぜんぜん知らない会場の人からさ「チャンピオン!」って掛け声が上がったのよ。そのときに、「あ、ちゃんと伝わってるんだ!」って思った。それで最後3本目の詩なんかは読んでるときに泣きそうになって…。いろんなこと思い出して、私がこの3本目を読んで優勝するっていうのが、なんとなくそこまでの採点の感じから見えていた。その優勝を決める最後の1本は自分がいちばん読みたいやつを読めたの。いろんな気持ちを持ちながらポエトリーをやってきたけれど、もちろんいいことばっかりじゃない。なるべくいいことを他人には見せるようにしてるけど、そうじゃない時期もありましたよ。そうじゃない時期もあったけど、そうじゃないことは全部詩にしてしまえばいいって風に思えるときが来るってことを思い出して、感慨深かったなあ。

―優勝してどんな気持ちでしたか

三木:勝つって決めて、勝った私には、やっぱり「すごいね、がんばったね」って言ってあげたかった。というのも去年から私仕事に復帰して、ひさしぶりにフルタイムの会社員にもどって、すごい忙しかったのよ。UPJ6(ウエノ・ポエトリカン・ジャム6)もあって…。いやあ、よくやったよ、みたいな。

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W杯でつかんだチャンス

―W杯に出場したことがきっかけで、ロシアのポエトリーフェスティバルにも参加されましたね。どうでしたか?

三木:去年の5月にW杯があって、すごく楽しくって、ほかの試合もぜんぶ観に行ったくらい。そしたら、モスクワのポエトリーフェスティバルをやってる人が声をかけてくれたの。「こんどおいでよ!」みたいな感じで言われて、どこまで本気かわからなかったんだけど。それがチャンスにつながってるかもしれないから、絶対行かなきゃって思って。だってロシアってそんな気軽に行けないじゃん。ビザを取んなきゃいけなきゃいけない国だからなんとなく渡航のハードルが高い、そんな国にポエトリーで行けるなんていいなって思って。「来いって言ったのはそっちよ」って気持ちで連絡したの。そしたら公式の招待状を作ってくれて、それでなんとか行けることになりました。

―モスクワで何日間ですか?

三木:フェスティバル自体は3日間。泊まったのは5泊かな。1日目、2日目はモスクワの中心にある、ふだんは音楽とかダンスをやってるモダンな劇場って感じで、とってもおしゃれなの。かたわらにバーがあって、小さい本屋さんがあって、地下にはコートを預ける場所があるの。私は1、2日目にパフォーマンスさせていただいて、それで3日目は大学でスピーチを日本の詩人として話をした。

―スピーチも朗読も、言葉はどうお客さんに伝えられましたか?

三木:英語でスピーチできるほど英語上手くないし、どうすんねんって思ってたら、日本語しゃべれる人を見つけてくれていて、そしたらその人が想像以上に日本語がペラペラで。普段は英露や日露の翻訳のお仕事をしてて、日本の大学にも1年留学してたんだって。1年留学してただけとは思えないくらい上手だったな。それで、彼がスピーチを同時通訳してくれた。詩を朗読するときには、うしろの壁にはロシア語翻訳だけ映されてるんだけど、なんかイヤホンガイドも配られてて、会場で英訳をマイクで読み上げてる女性がいて。だからとても不思議な感じだった。ロシア語が見える、英語が聞こえる、それで日本語でパフォーマンスさせてもらう。

―お客さんはどんな感じでしたか?

三木:年齢層は本当にバラバラだったと思う。20代のパンクなかわいい女の子も来てたし、おばあちゃんもきてたし、もちろん詩が好きな人がたくさん集まってたし、何人くらいいたんだろうな。初日は200人いないくらいだったと思うんだけど。反応は、日本よりは騒がしい、フランスよりは静か。パリは「フゥ~フゥ~」って言ってて「うっせえ!」ってなるような。もちろん、そういうの大好きだから、全然いいんだけど。モスクワはそれよりはちょっとおとなしい。けど、読み終わったら「フゥ~」て感じのがあった。日本よりは声が上がってたかな。

―詩の受けとめられかたでロシアっぽいものはありましたか?

三木:感想をすごく言ってくれる。あとですごくじっくり話してくれた。日本もそうなったらいいね。日本はじっくり語らう場や時間が意外と少ないから。ほんとにあったかい人たちで、行く前に「おそロシア」とか言っちゃって悪かったなあ。だってさ、ロシアに行ったことない、海外渡航の経験も少ない私みたいな日本人にとって、ロシアってちょっとドキドキするじゃん。治安悪いんじゃね?みたいな感じ。でもモスクワはそんなじゃなかったかな。寒いから悪い人だってあんま外出てらんないよきっと。

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<2018年12月、モスクワで開催された国際フェスティバル"Живое слово:Post-Babel condition" にて>


―では最後に、これからのポエトリーシーンでやっていきたいことはありますか?

三木:UPJを2回やってきたでしょ、UPJ5、6って。で、日本は来年2020年っていう大きい記念すべき年になるよね。オリンピックの是非についてはいろいろあるけど、世界中から注目されることは間違いない。そんななかで自分も何かしてみたいという気持ちは大きくて、UPJ6が日本では一番規模の大きいポエトリーのフェスティバルになったなかで、なにかもうちょっと新しいことがしたいなって思ってる。PSJは一旦終わるし、今年が節目になって、誰かがそれを引き継いでいくよってなったら、UPJ陣営と一緒に何かできるんじゃないかな。私たちは2年間やってきたことで仕事の仕方が蓄積されてるし、使えるノウハウもできてきたから。スラムとフェスティバルがタッグを組んで2020年、大きなことができたらいいな~くらいですよ、今は。ただ、そのレベルのことをやるなら今から気持ちを作っておかなくちゃなっていうのは考えてる。色々、外部からのお話も受けながらね。

―アーティスト・三木悠莉としてはどうですか?

三木:アーティストとしては、伸ばし伸ばしにしていた音源をつくったりとか…。レコーディングはちょくちょくしてるのよ。でもなかなか時間がなくて、それをどういう形にしていくかっていうのはまだ進められてなかったので、今年は具体的にやっていかなくちゃいけないな。あと、やっぱり最近スラムでアカペラ中心にやってきたけど、もともとは音楽と一緒にやってきたから、それも大事にしていきたい。今新しいトラックメーカーさんから曲を提供してもらっているのでそれを今年は仕上げていくつもり。音楽と一緒に朗読をやる日、アカペラをやる日というのをスイッチできるようにしたい。ポエトリー、ヒップホップ…いろんな種類のイベントに呼ばれるので、イベントを盛り上げられるようにバリエーションを広げたい。いつでも三木悠莉らしいパフォーマンスができるようにしていきたいです。

【プロフィール】
三木悠莉(みきゆうり)

ポエトリーリーディングをする/スラムに出る/イベントを企画する朗読詩人。2012年よりポエトリーリーディングを始める。2017年 ウエノ・ポエトリカン・ジャム5を主催。PSJ2017秋全国優勝。2018年 日本代表としてパリで開催のポエトリースラムW杯出場。同会期中開催の俳句スラム優勝。ウエノ・ポエトリカン・ジャム6を主催。PSJ2018全国優勝、二連覇を果たす。モスクワで開催された詩祭「Post-Babel condition」に招聘。現代詩からHIPHOPまで、幅広いジャンルのコトバの現場で活動中。

                        (取材・原稿 木村沙弥香)


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