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思いが伝わったか、自分のパフォーマンスができたか。それがすべて。<PSJ2018ファイナリスト・iidabii>


ポエトリースラムジャパン2018全国大会で準優勝。日本代表として、パリのポエトリースラムW杯にも出場されたiidabiiさん。全身から振り絞る言葉の熱が、観客を釘付けにします。

最近は「さいたまポエトリーフェス」など地元を中心にオーガナイザーとしても活躍。PSJ2019年大会ではさいたま大会を主催されました。

iidabiiさんの表現の原点、NYやパリでの国際イベントの経験、そしてリーディングにかける情熱を存分に語っていただきました!

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いちばん怖いのは、届くはずの言葉が届かないこと。

―ポエトリーリーディングを始めたのは?

iidabii:高1の頃から弾き語りをしていて。大宮の路上や高円寺の無力無善寺で、ライブや企画をやっていたんです。「人間交差点」という、いろんなジャンルの人を集めたイベント。そのころ猫道さんのSSWS(シンジュクスポークンワーズスラム)の動画を観て感動して、出演のお願いをしました。それで18歳になったらSSWSに出てみようと思って(註:SSWSは深夜のため18歳未満入場不可)。
最初は、弾き語りのMCでやるようなことを、ポエトリーでやっていました。ギターを横に置いて、朗読パフォーマンスをやるという(笑)。無力無善寺での写真があるんですけど、ブリーフ1丁で言葉を書いた紙を貼って…17歳の時ですね(笑)。

―そして18歳でSSWSに出場されたわけですね。

iidabii:マサキさん(マサキオンザマイク)が司会をやっていて。出場者はいしだユーリさん、元やまさき深ふゆさん、鈴木陽一レモンさん…。最初のチャレンジで2位になったんです。その時は無茶苦茶やって帰ろうという勢いだったんだけど、意外とみんな受け入れてくれて。チャンピオントーナメントは初戦で負けたんですけど、悔しいなというのが残って。YSWS(ヨコハマスポークンワーズスラム)や「詩のボクシング」予選とかも出たんだけど、スランプ時期で。同時に仕事が忙しくなってきて、大学も通って、全く自分がやりたいことできない時期が続いて…。
26歳で教員になって、ちょっと余裕ができた頃に、ちょうどUPJ(ウエノポエトリカンジャム)が復活したんです。狐火さんや谷川俊太郎さん、レモンさんやマサキさんの名前もある。やるしかないと思って。UPJ4には忙しくて出られなくて後悔が残っていて。
時報を聞きながら、受付開始時刻ぴったりにメールを送信して。そしたら、出順がGOMESSさんや狐火さんの後のブロックで。めちゃくちゃ緊張するけど、SSWSや詩ボクで負けた、あの頃の自分に胸を張れるステージがしたいなって。誰にどう思われてもいいやと。本番、気づいたら(客席内の)鉄塔に登って叫んで…怒られましたけど(笑)。そのあと怖い人だと思われて。もうしません(笑)


結局、勝ち負けじゃない。

―さらにPSJにもエントリーされました。

iidabii:本当は2017年の秋大会にエントリーしたかったんですけど、自分の結婚式と重なって(笑)…5年越しの結婚式。沖縄行って、良かったんですけど(笑)。じゃあ来年絶対出ようと。ただ、その大会で三木(悠莉)さんが優勝して。もしあのとき出ていたらって…後悔から始まるんですよ、僕の行動って。で、2018年の地区予選は強い人ばっかで2回戦で負けて。2作品しか読んでないのに会場賞もらったんです。かなり省エネ(笑)。
全国大会の時も、絶対1回戦で負けると思ってたんです。だからCMのために出ようと思って。イベント「人間交差点」のパネルをずっと持ってました。

―そんなに自信がなかった?

iidabii:自信がないというか…。スラム出るに当たって、勝とうと思ったことがなくて。しかも決勝のメンツ見て、それぞれがそれぞれに素晴らしくて。なんだろう…勝とうと思うと雑念が生まれて、いちばん伝えたいことに集中できなくなるんですね。勝ち負けなんて時の運じゃないですか。いちばん怖いのは、届くはずだったメッセージや言葉が、自分の努力不足で届かないことで。
負けたから次に出ない、書かないという人ってたくさんいて。すげえいいと思った人でも辞めちゃう。それがいちばん、やだ。勝ち負けじゃなくて、その人の人生、言葉が見えるわけじゃないですか。そういう表現のし合いが面白いのに、辞めちゃったらもったいないし、つまんない。結局、勝ち負けじゃない…それですね。


「自分でやるしかない」が染みついているのかも

―『吃音』という作品にあるように、そもそもしゃべることに自信がなかったわけですよね。にも関わらず、声で伝える表現を選んだことに驚きを覚えます。

iidabii:選んではなくて…。5、6歳くらいからずっと吃音で。ゆっくり言うとか、言いやすい言葉をまず言ってみるとか、いろんな対処方法のひとつが朗読なんです。小学生のころ、母親がキリスト系の新興宗教を信仰していて、100人くらいの信者の前で聖書を朗読する役が回ってくるんです。そこで一言も出なくて、あとで泣く。でも悔しいから練習する…で、朗読だけはできるように(笑)。
どういう風に読めば伝わるか、携帯で自分の朗読を撮ったりして練習を繰り返していったらあのうるさい(笑)スタイルができた。やっぱ、自分が見ていいなと思うことしかやりたくないから。
…まあ朗読が上手くなったところで、実際の社会生活で声が出なくなったりとか、全然あるんですよ。なんだろう、話聞いてもらえなくなる。サラリーマン時代、話の途中なのに上司があっち行っちゃうとかいうのがあって。
…半年に一回くらい、すっごく入り組んだことを説明して一発で伝わることがあるんですけど、本当に嬉しくて、そのあと会社のトイレの中で泣く、という…。それくらい、言いたいことが伝えられないってキツイことで。…ステージだとすごく集中して見てくれるじゃないですか。なのに自分が努力せずに伝わらなかったら、じゃあ俺はいつ気持ちを伝えればいいのか、と。

―iidabiiさんの作品には深い絶望と、同時に不屈を感じます。

iidabii:結局、ずっと後ろ盾がない状態できたので。高2の頃に親父がリストラされて、就職するしかない、学校も自分で金貯めて行くしかない。落ち込んで無気力な感じに一旦なるんですけど、なんだろう、ムカついてくるんですよ(笑)。俺だって普通になりたいって。家庭もずっと普通じゃなかったし、貧乏だったし、誰も何もしてくれないのが当たり前だったので「自分でやるしかない」が染みついているのかもしれないですね。大宮でスラムやったときに、石渡紀美さんに「もっと人を頼れ」「全部一人でやろうとすんなよ」って言われて。あ、そこだなって(笑)


言葉がわからなくても伝わる、という経験。

―PSJのあと、NYに武者修行に行かれましたよね。

iidabii:PSJの結果がどうあれ、NYは絶対行ったと思います。行ったのはバワリー・ポエトリー・クラブ、憧れのニューヨリカン・ポエツ・カフェ、最後がブルックリンのヘルフォーンというバー。
バワリーのオープンマイクはいちばん居心地良くて。片言なんだけど日本語で質問してくれたり。ひとりひとりがすごく濃くて、そこは日本と変わらない。20〜40代くらいが中心でした。日本語で朗読して、翻訳を同行した嫁さんに紙芝居で出してもらって。写真も客席の人が撮ってくれて。
ニューヨリカンは逆にNYに住んでいる人が少ない。イギリスから来た、ブラジルから、インドから、オーストラリアから…っていうなかで、日本からって言っても全然目立たない(笑)。
その日はひとりで心細かったんですけど…詩集を持って行きました。開場前に30〜40人くらい並んでるところに「日本からきたんだ、詩集やるよ、よろしく」って(笑)。
優しい人がほとんどですけど、いらないっていう人もいましたし、ポイッて捨てる奴もいましたし。ただラッパーがすごく優しくて(笑)。日本でも、ポエトリーに近いラッパーってだいたい優しいじゃないですか…マサキさん然り。イギリスから来たクルーがいて、言葉わからなくてもレベル高いのわかるんですけど、彼らが「お前、今日から兄弟だ」みたいな感じで。
オープンマイクではUPJ5の時と同じで、どう思われてもいいからやってやろうという感じで会場を駆けずり回って。でも言葉わかんなくても通じるなという確信はありました。結局終わったあと”You are great”とかみんな言ってくれて「ああ、伝わった」と。言葉だけど言葉じゃない。
ブルックリンのはB.K.Voicesというイベント。ベッドタウンみたいな街で地元の人が30人くらい集まっていて、日本よりも全然盛り上がってる印象でした。
実は帰りのフライトの時間とかぶりそうで、片言で「ちょっと出番早くしてくれ」ってお願いしたんですけど、すごく優しくしてもらえて。結局どのステージでも「完全に伝わってる」というのは実感としてあって。

―NYでの経験のあと、パリのW杯に出場されました。

iidabii:パリも最高でしたね。村田さんが、どうしてこのPSJをやろうとしたか、わかった。こんな面白えこと、日本に持って帰らないでどうするんだと(笑)
言葉通じないんだけど…まずブラジルの代表、ピエタポエタっていう女性の詩人がすごい親切で。スタッフに話せばわかるぞとか、飲み物飲むか、とか。ほかにはマダガスカル代表のTokyo Harlem っていう名前の(笑)ヒップホップがルーツの方。日本人じゃ出せないグルーブっていうんですかね。マダガスカルも国内大会がすごく盛り上がったみたいで、決勝は観客1000人来たって。そんなに!?って。その人は日本が好きで「いつか絶対行く」って。英語喋んないからって馬鹿にするような人は一人もいない。
衝撃を受けたのは子供のスラム。小1や小2の子がやるのを見て、日本でやりたいなと思いました。堂々していて、ちょっと失敗することもあるんだけど、それを笑うような人は誰もいなくて、お互いを認め合う素地があるからあんなに自由にのびのびやれるのかなと。日本もそうなればいいのにと思いますね。

―自分のステージは? 制限時間を1分オーバーしたそうですが…。

iidabii:結局、その場にいる人に伝えなきゃダメだという気持ちになって。ステージ降りて観客の目をひとりひとり見て、叫んで…。なんか、明らかにリアクションが違ったんですよ。これでいいんだ。伝わったんだって。そのあとの反響がすごくて「お前よかった」「そのTシャツのヤツは誰だ」って話しかけてくれて。マサキさんの写真がプリントされたTシャツを着てたんですけど(笑)。自分が思っているパフォーマンスができたので、何も後悔はないですね。結局そこじゃないか、と。

―母親のことを読まれた作品には宗教観が出ていますね。海外でどう受け止められるか、翻訳されたジョーダン・スミスさんも気にされていました。

iidabii:最初、新興宗教 ”New Generation” って言ったときに笑いがドッと起きたんです。でも後半で、自分の気持ちとかが出てくるところでは笑う人もいなくて。点数的には(制限時間オーバーの)減点がなければいちばん高くて。だから伝わったんだって。
観客のなかにプロテスタントの牧師さんがいて、翌日、主催者経由でメールが来たんです。わざわざ日本語でPDFの文書にして。「日本の私たちの仲間がすまないことをした」って。全然違うんですよ、宗教としては。でも「すまないことをした。神を憎まないでほしい」と…すごい丁寧な方で。確かに宗教観は違いましたけど、いい意味で日本と違うところもあるって気づきました。

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「はじかれない居場所」を作りたい。

-今後やりたいことを聞かせてください。

iidabii:…世界中回りたい(笑)。仕事は楽しいんですけど、世界にまだ見ていない景色がいっぱいあるのに日本にいたままでいいのかって。
いろんなところに行きたいし、自分もそういう場を作りたいなという思いがあって。僕自身、リーディングから10年近く離れていても戻って来れたのは、ずっと続けている人たちが場を残してくれていたからなので…。マサキさんもそうしてきてるように、自分が住んでいる埼玉で、気軽に詩を読める環境を作っていきたい。
目標は高校や中学、小学生たちにもっと出てもらうこと。「さいたまポエトリーフェス」の第2回は県教委の後援とか申請して、学校単位でチラシを配ろうかなと思ったり。スラムもオープンマイクも何が楽しいかというと、自分じゃない人の人生を詩を通して見られる、関われる。

なんか、居場所があると楽になるじゃないですか。学校や職場で居場所がなかったり、僕みたいに吃音があってうまくいかなかったり。いろんなコミュニティからはじかれる、そういう人でも受け入れるような場所…自分がはじかれ続けていた人物なんで。そんなたいそうなモンじゃなく、知り合いがたまに集まるだけでもいいと思うんですけど…それがあると、楽しくなる。そういう場所を通して、ポエトリーが盛り上がっていけばいいなと思いますね。

【プロフィール】
Iidabii (イーダビー)

1990年10月8日生誕。生まれも育ちも埼玉県。 15歳から路上で弾き語りにて表現活動開始。 18歳SSWS(新宿スポークンワーズスラム)にて初スラム参加。 26歳、活動を再開。 27歳、各地のスラムで優勝。 28歳、PSJ全国大会準優勝。 フランスパリGrand Poetry Slamに日本代表として出場。

                         (取材・原稿 村田活彦)


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