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MIC CHECK - cornelius(1997)

text : akira

弱々しく始まった。歓喜と不安の気持ちは活動再開と共にずっとあった。
この全然高揚しない感じ、苗場へ見にいけなかった私は画面にくらいついていた。

良くも悪くも、何か言ってしまうということは、永遠の障害になりうることだと思っている。それは時間を通り越えて自分のもとへ、他者のもとへと響いていく。永遠の障害は、コロナ禍で出来上がってしまったこと、実際に傷つく人がいたということ、そして、それに反対する人がいたことが、ものすごく大きなことになってしまった。永遠の障害だ、これは誰かから消えることは決してないものだ。

まるで力のないMIC CHECK、始まってしまった。感極まって涙が込み上げてきた。この人の音楽に罪はないとかじゃなくて、この音楽を作れる人なんているわけない。音楽もろともこの人の何かしらに食いついている自分がいる。じゃなかったらライブ配信見ても泣かないだろう。

心を閉ざしている時が自分にあった。高校2年生の時だ、病院を転々として結局、何回か入院したりした。音楽が素晴らしいことをまるで知らなかった時期だったから、退院してから私は無心になって絵を描いていた。人を信頼できない時期でもあったから、誰にも見せたりは最初はしなかった。ただ、これが自分が好きなことだとは言い続けながらいつまでも描き続けていた。

吊るされていた白い幕が落ちていった。痩せて細くなってしまっていた人を見て、本当にライブ、音楽が好きなんだなと思った。そして人前に出てきた瞬間の手の震えをものすごく見てしまった。人ひとりの人生も垣間見える瞬間でもあった。この人の気持ちを全て理解できる訳ではないのだが、この人の身にものすごく還元されてしまっているなとは思った。

絵を始めて見てもらったその人のは今でも感謝している。絵が好きだと言い続けてきた。弱っていても、攻撃的になっていても、絵を見てもらわなかったらあの頃の私は、生きる選択を取れていなかったかも知れない。今でも支えていただけていると思っている。

ベストアクトでもなんでもないいつものバンドが見れたこと、それがどれだけ求めていたのだろう。人の心も同じように平和な世の中は求めることしかできないのだから。寄り添っていくしかないのだ。それが嫌ならば、見ないようにするしか。正直回避はできないと思う。

自分にいろんなフラッシュバックがあった中でライブは終わった。


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