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もし「目の前の人が怒ってきて、自分が悲しくなった」ら。 "ねむり"と"めざめ"の違い

これまで僕たちは、"ねむり"の体験をたくさんしてきました。
ねむりという自覚すら持たなくてもいいくらいに、
目一杯、ねむりを体験できるように共振をしてきました。

そして、お腹いっぱいになった僕たちは、
それを経て、今度は"めざめ"の体験へと戻ろうとしています。

こちらの動画で、その歴史をシェアしました。
多く方にご覧くださり、嬉しく思います^ ^ 本当にありがとう♪

"ねむり"は、現実(外側)にフォーカスする体験。
"めざめ"は、自分にフォーカスする体験。

この前提が変わってしまうと、日常の体験、感じ方、捉え方の全てが、まるっきり変わってしまいます。本当に感動します。


例えば、
「目の前の人が怒ってきて、自分が悲しくなった」
とします。

これまでの"ねむり"だったら、
「目の前の人が怒ったから、自分は悲しい気持ちになった」
と普通に思います。

だから、
「あの人はなんで怒るんだろう?」「自分が悪かったのかなー」「どうしたらあの人が笑顔になるのかなー」みたいな形で、
その人の変化を求めたり、現実をよくしようという角度がさらに色濃くなります。

これって、何もおかしな事ではありません。
これまでの僕たちが、当たり前のように体験していた事です。
ナチュラルすぎて、これが"ねむり"とも思わないくらいです。

でも、これから体験していく事になる
"めざめ"の角度だったら、こうなります。

「自分が、悲しいこの気持ちの周波数を持っていたから、
現実のスクリーンに、これを映し出したんだ。」
と。

だから、
「この周波数を手放そう」
という体験に変わります。

自分が持っている周波数で、現実のスクリーンに映像を映し出している。
本当に、ただの現実のスクリーンであり、それ以上でもそれ以下でもない。
「誰が」「どんなシチュエーションで」などは何の意味も持たない。
つまり、そこに力や意味を与えない訳です。

やる事は、
捉えた周波数を手放す。それによって、本当の自分の意識にどんどん戻っていく。
本当に、ただそれだけ。

現実で起きた事は、全てが自分を目醒めさせるための体験となる。
それが、目覚める意識の角度となります。

そして、捉えて周波数を手放す訳ですから
それ以降、その周波数で現実を映し出す事はありません。

もし同じ現実が映し出されても、同じ感情で体験する事はなくなります。
その周波数を手放すので、現実のスクリーンに投影できなくなるからです。
なので、現実が変わってしまったり、体感の仕方がまるっきり変わってしまう。


そして何より、分離の周波数を手放して、本当の自分の意識に戻っていく体験は、
本当に、これまで味わった事がないほどの、溶けてしまいそうなほどのエクスタシーを感じます。
本当の自分って、こういう意識なんだな、って体感しながら、
この意識で、これから地球で生きていける事の喜びは、本当に感動します。


日常でどんな事が起こっても、これまでだったら問題と思っていたような事でも、
やる事は、「捉えた周波数を手放す」。だたそれだけになる。
こんなにシンプルな事があっていいのだろうか?と思うほどに、僕は最初衝撃でした。

現実にフォーカスするから、どんどん複雑になっていくだけなんだなって。
でも、種明かしを体験すると、全てがシンプルな1つの真実にたどり着くんだなって。


日常とは、ビジネスや仕事であっても、家族関係であっても、友人であっても、身体や心であっても、本当に関係なく、全てです。

例外なく「全てが周波数である」事を認めた時に、全てが1つになり、シンプルになる。
僕も、今その体験を、毎日のように味わい、感動の日々ですし、これからもずっとそうだと思います。


昔は、地球で"ねむり"の共振があまりにも深かったから、
自分だけが"めざめ"の体験をし続ける事には、相当な意志の力が必要だったと思います。修行するレベルですね。

でも、もう大丈夫!
今は地球自体が"めざめ"に移行しているので、みんなが目醒めていく意識になっていくに決まっています。
だって、僕たちは地球に生きているんですから。影響を受けない訳がありません。


みんなが、自分に集中して、自立している。
外側の現実にフォーカスして、どうにかしようとあり方ではなく、
自分の持っている周波数に集中して、それを手放していく体験を始めていく。

そして、次々と手放し、軽くなって、
本当の自分の意識に触れる感動を、みんなが体験する。
そしてその感動を分かち合う事によって、共振が起こっていく。

この"めざめ"の共振が、当たり前になっていく。
そして、僕たちの意識が、本来の魂としての意識に戻るにつれて、
これまでの分離の周波数を持っているからこそ体験してきた、戦いの歴史が溶けるように終わっていく。

分離や違いはイリュージョンで、結局僕たちは1つで同じなんだなって。
その意識になっていくんですね。

これを、ここからみんなで体験して、味わっていくんですね。
すごい時代に、僕たちは生きています。

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