やらない善よりやる偽善なのか?

質問ありがとうございます!記念すべき100回目の質問です!変な質問じゃなくて良かった…こういう質問好きなので本気で答えますね!

まず、質問者さんに対して「偽善者」と言った人に会ってみたいです。本気で国際協力について考えている人か、意識高い大学生に嫉妬しているかのどちらかだと思うので。

色々コメントしたいんですけど一旦三つの質問に答える方向でいきますね。

①善と偽善との違いは何か?

善か偽善かの大きな違いは、「本当に相手のためになったか」の違いだと思います。物事は常に二つの面を持っていることが多いです。例えばゴミ拾い。街の人からしたら落ちてるゴミがなくなるので気持ちがいいのでゴミ拾いする方も誰かの役に立ってると思って「善」だと思うかもしれません。でも、一方でポイ捨てする人からすると、「結局誰かが拾うからいいや」とポイ捨てするハードルが下がることになります。そうなるともしかしたらゴミ拾いのせいでポイ捨てが増えてるかもしれません。ここまでくるとゴミ拾いは結局「自己満足」のためであって本質的な解決になってないので「偽善」と捉えられても反論のしようがないと思います。これはほんの一例ですが、基本的にボランティアの動機は「自己満足」に帰着することが経験上多いので、その方の「偽善者」といった意図には根本的な自己満足のボランティアを嫌う傾向があるのかもしれません。物事は複雑なので、そもそも本当に「善」である事の方が少ない気がします。世の中「偽善」で溢れかえっていることは間違いないとおもいます。では、「偽善」は悪なのでしょうか。答えは「それが自己満足で終わってしまうのなら悪」だと思います。そもそも人助けというのは自分のフィルターを通して見た他人の不足を補うという行為なので、ある意味常に上から目線であることには変わりありません。この構造上、「人助け」という行為自体が目的となってしまう「自己満足」のための人助けが蔓延している気がします。そういう行為全般は「偽善」と揶揄され、極端に毛嫌いする人も多いのです。しかし、本当に相手が救いの手を求めており、どうしようもない場合はすぐさま手を貸すことが必要になってきます。そしてその救いの手が本当にその人のためになっているのであれば、「自己満足」からスタート「偽善」も結果的に「善」になっている場合もあると思います。ここまで説明出来ると、「やらない善よりやる偽善」はある程度正しいと思います。なぜなら、やり方や意識が変わるだけで「偽善」が「善」変わることは容易だからです。でも、それが行われなければ何も起きないままです。「偽善」を繰り返して失敗から学ぶ姿勢を忘れなければ、「偽善者」こそ本当の「善者」になりうるのではないでしょうか。

②ボランティアサークルは偽善者集団か?

冒頭でも少し述べましたが、まずは「偽善者」の定義を尋ねると思います。「偽善者」という言葉は便利なのですぐ使いがちですが、その裏に明確な論理がある「偽善者」ほど怖いものはありません。何か自分たちが気付いていない視点で物事を捉えている人が自分たちのボランティアのあり方を「偽善」と見ているのであれば、すぐに改めるべきです。一方で、ただ単純に質問者さんのような「誰かの助けになりたい」という純粋な思いを踏みにじりたいだけなのであれば、それは聞く耳を持つ必要はないと思います。他人の社会的価値が上がるのを指をくわえて見ていることに耐えられず、嫉妬して言っているだけだと思うので。その場合は、「まずはあなたもやってみては?」と優しく手を差し伸べてあげるのが大人の対応というものでしょう。
ちなみに、まずSFTと他のボランティアサークルを一緒くたにされてる時点で、SFTのこと知らないと思います。その他のボランティアサークルとひとまとめにもそもそも出来ないですが、ゴミ拾いサークルや募金サークルと比べて、明確な理念と適切な手段を選択してきているという自負があるので、そこを理解してもらうことが重要だとおもいます。(3つ目に詳しく書きます)

③学生団体のメリットデメリットは?


先に述べたように、SFTとその他のボランティア活動をまとめて考えることは非常に危険ですし、そもそもボランティア活動の範囲をどこまで広げるかによっても変わってきます。
ここでは、まず、学生団体がボランティア活動をするメリットとデメリットを簡単に書きます。まずはメリット。これは無賃で活動してくれるところです。言い方は辛辣に思えるかもしれませんが、僕が皆さんのことをそう思ってるいるわけではないのでそこだけ誤解しないでください。学生ではない誰かが学生団体を客観的に見たときの判断です。僕も含めて無賃で活動しています。人件費がかからないことは組織の財務的な持続性をものすごく前進させます。あとは良くも悪くも4年間という一つの区切りが訪れるので、一人ひとりがやる気になるタイミングが短いスパンで訪れることですかね。20年やる場合と4年やる場合で必要なモチベーションのハードルはものすごく低く設定できます。感覚的には大量生産大量消費みたいなサイクルが繰り返されるイメージです。(これは比喩です。メンバーのことをそう思ってるわけではないです。)一方のデメリットは、僕の一番嫌いな言葉である「やりがい搾取」になりかねないというところです。気持ちをガソリンにして動いている以上、すぐに動かなくなることもまた事実ですし、組織に対する当事者意識が薄れることによって活動から離れるリスクが大きいことはとてもデメリットだとおもいます。そしてなにより、その構造を利用する大人が一定数いることも事実です。関わるメンバーが活動に見合った成長や達成感や感動などを受け取れないと継続性が著しく下がるので、そこをみんなで設計していかなければなりません。他のデメリットとしては、短期決戦だからこそ、自己満足のクオリティで終わりがちなところです。それこそ社会的な影響力の点での「偽善」団体は多いと思います。なぜなら、だいたい社会貢献活動は短期的な定量評価をするのが非常に難しい分野なので、学生団体のスパンで効果を実感できるのはせいぜい目の前の成果くらいです。そこに対して社会的な影響力を追求できる人は技術的に見てもほんの一握りではないでしょうか。これまでそういう側面から社会貢献はビジネス世界に参入しにくかったのですが、近年はソーシャルビジネスの台頭やESG投資などが増えてきたのでビジネスの世界でも一つの分野として認められてきつつあります。話が逸れましたが、まとめると学生の行動力はメリットだけど、思考の浅さはデメリットみたいな感じです。

ちょっと全体的に冗長になってしまったので、よくわからなかったら個別に連絡ください。図とか使ってもっと分かりやすい説明しますね笑笑
こんな思考をひけらかすきっかけをくれてありがとうございます😊


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