あなたならどう翻訳するか
良かったら想像してみてください。
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ある日、自分の身近な人が学校へ行かなくなった。
学校へ行かない理由は聞いても曖昧なことしか話さない。
ただ、別に家でもそこまで楽しそうにしているわけではなかった。家に居ると何をするでもなく、何時間か寝て、昼夜逆転生活を送った。生活リズムが人と違うので、顔を合わす機会は減った。
家に居るとなんとなく良くない気がするので「どこかいこう」と誘ってみる。
でもあんまり乗り気ではなさそうだ。
そして状況が変わらないまま、三ヶ月が過ぎた。
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この状況に居たら、みなさんはどう行動するのでしょうか。
【翻訳するって何だろう。】
どう感じたでしょうか。
私は、答えを出すのってめっちゃ難しいんじゃいかなと思っています。
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「ちょっと無理にでも連れ出してあげるべき」
「本人が行きたくないというのだから、いきたくなるのを待とう」
「とりあえず、病院とかスクールカウンセラーに相談に行く」
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色々な答えがあると思います。
正直、「これが正解です」なんてものは、上の情報だけでは判断ができないと思います。
「本人がなぜ学校へ行きたくないのかという理由による」から、理由を聞いてみたいという人もいるかもしれないと思っています。
私もこの状況だったら「なんでなのかな?」と理由を聞きたくなるような気がします。
でも、不登校になった生徒によっては「素直に理由をしゃべりたくない」「自分でもよく分からない」というタイプもいるかもしれません。
となると、本当にこれくらいの情報しか何となくつかめてない、そんな状況も現実的に起きるかもしれない。
そう考えると、不登校の生徒に対して周りは「どうしたらいいか分からない」って、とても素直な本音なんだと思います。
このような状態について、ある本が状況を分かりやすく説明していました。
私はこの説明が、とてもしっくりきたので紹介します。
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親御さんの家に外国人が急にホームステイに来ることになりました。準備期間があれば語学をマスターしてから受け入れられるのですが、そんな期間はありません。でも、そこで「通訳者」も一緒だと知るとホッとするはずです。そして、その翻訳者に訳してもらいながら、親御さんもその人に学び、理解を深めてもらうことが大切です。行動する世界に戻るためには親御さんだけの力では難しいので、通訳者がいることがどれだけ心強いはずです。
金馬宗昭著『不登校ひきこもり 心の道案内 今日からできる具体的対応法』(2015)106頁
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ここでは
・「外国人」≒不登校の生徒
・「親御さん」≒文章では親御さんを指していましたが、親御さんを含めた兄弟や親戚、近くにいる人全般(をさせると私は考えています)
という解釈ができます。
不登校になった生徒と、その周りの間には「翻訳」できる「通訳者」が要る。
なぜなら、両者はちょっと考え方の違う世界に住んでいる。
この文章を読んだとき「ああそうか」と今までよくわかっていなかった感覚がすべて説明されたような感じがしました。
【わたしはどう翻訳したか。】
少しだけ、私の話をさせてください。
私の身近な人が不登校になったとき、正直私は何が起きたのかあまり理解できていませんでした。相手が何を考えているのか、よく分かっていなかったと思います。
今まで仲良く身近に居て、大体考えていることが分かっていたつもりだった人が、突如自分の理解できる場所からどこかへ行ってしまった。
そんな感じでした。
価値観が全く違う場所にお互い居るのにも関わらず、それを私はまだ理解していないので、相手がどうして学校へ行きたくないのか、何をしたいのか、分からない。なんで朝ちょっとでも早く起きるとか、努力をしないのか分からない。
「私も学校で多少のいじめとか、部活で先輩とイザコザがあろうと、ちょっとつらいこと我慢して行ってるんだからあなたも頑張ってよ。」
これが私の常識でした。当時私にとって「学校は行って当たり前」だったんです。
相手はもうまったく別の価値観の世界で生きてるのに、私は遠慮なく自分の常識をぶつけていたと思います。
当時私は、相手が「学校へ行かない」という行為を「甘え」だと翻訳していた。
相手のことが大切だと思っているからこそ、その価値観を押し付けたかったんだと思います。
【その翻訳の答え合わせ。】
でも本当にその「翻訳」はあっていたのかな。
今でも何度でも考えます。
自分だけじゃなくて色んな人と考えました。
そして、今はようやく「そうじゃなかった」と思うんです。
学校へ行かないのには理由があるかもしれないし、「なんとなく行きたくない」ほどに曖昧にしか人へ伝えられない感情なのかもしれない。
学校でしんどいことがあって「学校へ行かない」という状況に心から安らぎを感じているかもしれないし
本当は「学校へ行けない自分」から抜け出したくてたまらず、1人心の世界でひたすら葛藤しているかもしれない。
そんな相手の背景を一切考えず「学校いこうよ」という態度をして、もしかしたら不安定な相手の心にさらなる揺さぶりをかけていたかもしれないなぁ、なんて今ようやく思うのです。
【もう一度聞きたい、あなたならどう翻訳するか。】
最初に戻ります。
あなたの身近な人が不登校になりました。
あなたならその相手の行動を、どう「翻訳」しますか?
難しいと思います。
一人ひとり違うし、考え方も全く違うので。
1人だけで考えると、わけわからん!ってなると思います。というかみんなで考えたところでも、そうなるかもしれません。自分の身近で大切な人であればあるほど、あせってしまうとも思います。
でも、だからこそ私は、不登校は孤立してはいけないと思っています。
「不登校」になったこと、もしかしたら言いたくないなぁって人も多いかも知れないけれど。
ただ、本当に「しんどいねん」と不登校になった本人や、その家族が感じるならば、それは誰かに見つかったほうがいい気持ちなんじゃないかなと思います。それを分かってくれる人が居たら、ちょっと救われる気がします。正解に近い「翻訳」ができるのは、そうやって理解する姿勢のある人なのかなと思ってます。
家族と不登校本人の間の「翻訳」が食い違っているなら、だれか「通訳者」として間に入ってくれる人がいたらきっと便利。
そんな風に、だれもが「しんどい」と言える人間関係のある社会を創りたい。
そして不登校になったとき、その本人と周りで「翻訳ミス」が起こらないような仕組みを作りたい。
たどり着き方も、たどり着くのにかかる時間も、何も分からないけれど。
でも、なんとなく私が目指しているのはその場所です。
【「どう翻訳するか」という問いを通じて、私が問うてみたかったこと。】
私はこの問いを通じて、「これだ」という答えが欲しかったわけではないです。
ただ、このブログをどんな人が見てくれるかなぁと想像したとき、きっと色んな人生を生きてきた人達がいるんだろうなぁと思いました。
どんな人生を生きていてもいい。
私はその人達に、一瞬「不登校」について触れてみてほしかったんだと思います。
人は生きてればきっと誰しも色んな形の楽しいことやしんどいことがあって、たまにそこから色んな価値観を得たり、時に信念を持ったりするのかなと思っています。
その人たちが、どんなふうに考えるのかちょっと覗いてみたかった。
「あなたは、あなたの人生を生きてきて、多分たまには人知れず色々と考えてみたこともあるんだと思う。そんなあなたなら、どう翻訳しようと考えるのか」
それにちょっとだけ興味がありました。
だから、考えてくれた人は心からありがとう。
いつか聞いてみたいです。
初回のブログなので、今私が考えていることについてまじめベースで書いてみました。
賛否両論、なんでも受付中です。
色んな考えって本当に貴重で、学ばせて頂くことばかりだと思っています。この先の私の考え方は変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。柔軟でありたいなと思っています。そして貰った意見や言葉は、ひとつひとつ必ず大切にして行きたい。だからこそ。
私はよく「まじめだね」なんて言われますが、自分では、まあそんなまじめでもないかなと思っています。ゆるゆると生きているし、「今日は適当でいいか」なんて考えながら過ごす日もしばしば。
そんな緩急を使い分けて、のらりくらりとブログを綴って行けたらなと思っています。
最近の近況報告とかもしたいし。
目標は「続けること」なので、楽しみつつ頑張っていきます。
よろしければこれからも、
こんな私をどうぞよろしく。
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