自己も知らない自分と出会う3

自己も知らない自分と出会う

「ジョハリの窓」っていう言葉を知っていますか?

1955年、アメリカの心理学者ジョセフ・ルフト (Joseph Luft) とハリ・インガム (Harry Ingham)の二人が考案した性格分析です。二人の名前を一部ずつ組み合わせて『ジョハリの窓』と呼ばれています。

この概念を上手く使ったゲームがあるのですが、ご存知でしょうか。

私は定時制・通信制高校支援を行う認定NPO法人D×Pという所でインターンの活動をしています。D×Pではこの「ジョハリの窓」というゲームを時々高校生と行っています。

【というか、認定NPO法人D×Pとは】

しれっと名前出しちゃいましたが、まず「認定NPO法人D×Pって何ぞや」と思った人も多いかもしれません。説明します。

認定NPO法人D×Pは関西を拠点に活動する、定時制・通信制高校支援をしている団体です。今年6年目の団体で、定時制・通信制高校において「クレッシェンド」と呼ばれるプログラムを届けています。

クレッシェンドと呼ばれる約4回のプログラムを通じて生徒たちが様々なバックグラウンドの大人たちと関わり『自分の長所を発見する』『人を信頼するハードルが下がる』『自己受容感が高まる』ことを目指しています。

私は事業部の企画運営インターンなので、基本的にこのクレッシェンドのプログラム企画を練っています。クレッシェンドは単位認定されているので、学校外へなかなか出かけていけない生徒達にもリーチできるのが特徴だと感じています。他にも居場所事業、そして2017年度から高卒就労事業を行っています。

(詳しくはリンク先のホームページをご覧くださいませ^^)

「ジョハリの窓」は、このクレッシェンド内で時より行われるワークです。どうやら有名な概念のようですが、私はD×Pのインターンを通して初めて知りました。

【ジョハリの窓とは4つの窓】

皆さんは自分自身を表すとしたら、どんな言葉を使いますか。

「いじられ」
「わりとネガティブ」
「聞き上手」

色んな言葉で説明できると思います。

では、皆さんの周りの人は、皆さんのことを表すとき、どんな言葉を使うと思いますか?

「自分は暗いやつだと思っていたけど、人からいつも元気だよねって言われて驚いた」

そんな経験はありませんか。自分が思う『自分』と他人が思う『自分』が一致している人もいれば、全然違う人もいると思います。

ここでシンプルな問いが浮かんでくると思うんです。

「では、本当の『自分』はどれなんだろう。」と。


――― ジョハリの窓では「全部自分である」と考えられています。


ジョハリの窓は自己理解を深める考え方なんですが、そこにおいて『自己』は4つあるとされています。

自己には「公開されている自己」(open self) と「隠されている自己」(hidden self) があると共に、「自分は知らないが他人は知っている自己」(blind self) や「誰にも知られていない自己」(unknown self) もあると考えられる。(2018/1/31時点 ウィキペディアより)

以上4つの自己はそれぞれ、解放の窓、盲点の窓、秘密の窓、未知の窓と呼ばれています。

自分が思う自分は、自分の一部であり、他人が思う私も、それは間違いなく自分の一部であるという考え方。

【この精神分析をゲームへ転用する】

D×Pでは、これをゲームにしたものを行っています。
例えば、お題はこんな感じ。

Q. もしも恋人が出来たら・・・

A. デレデレする
B. かっこつける
C. 尽くす
D. いつもと変わらない

これを、グループ内で一人ずつ質問して、各々は手元にあるABCDのカードから「この人はこれかなぁ」と思うカードを出します。そして本人は、「自分ではこう思う」という番号のカードを出す。そして出した番号に対してどうしてそう思ったのか聞いてみます。

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「前小さいころはバレンタインに色んな人にお菓子配ってたって言ってたから、尽くすタイプなんだと思ってた」

「普段クールだけど、恋人の前では変わりそうだなって。だからデレデレしてそう」

「なんとなく、照れてかっこつけるような気がする」

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色んな回答がでてくるので、おもしろいです。

「え、自分ってそんな風に見えるんだ」あるいは「この子はそうなんだ」っていう発見もたくさんあります。

その人と回答が一致しているかではなく、人から自分がどう見えているのかをおもしろがる遊びです。

【「印象」は目に見えない】

普段、友だちといてもお互いの印象を交換することってあまりないかと思います。だからこそ、高校生のジョハリの窓をやってみた反応もおもしろい。

「言われたことないことを言われた」

と嬉しそうに言う生徒にも会いました。

「普段のその人に対する印象」って、本当は誰に対しても自然とあるものだと思うんです。

だけど、それは、いつも見えない。そしてあまり伝えない。
だからこそ、こうやって「目に見えない」ものを声にしたり、書き出したりすることで「見える化する」ジョハリの窓は面白いゲームだなぁと思っています。

【どんな一面の自分も、自分の一部であることに変わりはない】

もしかしたら、人からもらった印象が、自分にとってすごく違和感のある場合もあると思います。

例えば、私は昔から先生・友だち・色んな人から「真面目だよね」と決まって言われてきました。でも、そう言われることに実はずっと大きな違和感もありました。

「私は別に真面目じゃないのになー、もういいってー。」

というそんな気持ち。
なんなら「まじめだ」と言われることで、何となく「私は面白くない」と言われているようなネガティブな捉え方をしてしまう時もありました。(今は違います。素直に受け取っています。笑)

昔は、どちらかが「自分」でどちらかは違うんだろうと思っていました。「真面目だ」って言葉と「自分は真面目じゃないと思う感覚」は、言葉上は矛盾しているし、自分の感覚は客観性がなくて信じられないので、他人から言われた自分が本当の自分のような気がしていました。

しかしジョハリの窓を通して「どっちも自分なんだ」と思い始めました。

自分が思う私も、他人が思う私も、まぁどっちも私ってことでいい。

たとえその2つが矛盾してようと、どっちも紛れもなく私ってことで間違いない。

そういう捉え方をしたほうが、何となく自分とこれからうまく付き合ってゆけるような気がしています。

別に自分の考えを否定しなくていいし、他人が見ている自分は一部であって、でも思ってもない形ですごく良いように見られてる一部も存在する。

なんか、私は自分とそんくらいお気楽に付き合っていきたいんです。下手に人にも自分の考えにも縛られすぎず、のらりくらりと。

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今回はジョハリの窓で考えたことを書いて見ました。

もしかしたら、こうゆう「自分」に対する追求って一生続くのかもしれません。

これからもたまには「自分」について考えてみようと思っています。
D×Pでのインターンは、こんな風に色々と考えるきっかけにもなってます。
いつも学ぶことが多いし、なにより楽しいインターン先です。感謝。

今回も読んでくれたかた、本当にありがとうございました。^^


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