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日常の中の芸術性

最近観た映画で良かったのがボヘミアンラプソディー。あまりの劇的なフレディの生き方に劇場で涙を流しました。後でインターネット経由でストーリーのかなりの部分がフィクションだと知ったのですが、それでもクイーンの歌が胸に響くことは本物なので、あの映画にはどこまでも味わい深い価値があるのだと思うのです(全部で三回観た!!)。

音楽が我々の心に与える影響は絶大ですよね。クイーンの「Don't Stop Me Now」とか聴くと、自分も火星まで走り出したい気持ちになります。

そんな自分が最近、ちょっと興味があるのが、スーパースターが生み出す”芸術”ってどれだけ人間の行動を長期的に変容させるのか、ということ。例えばジョンレノンのimagineを聴いたら、なんとなく短期的には世界平和を祈りたくなりますよね。僕もimagineを聴くとたまらずに募金活動とかしたくなります(したことないけど)。それくらい芸術というのは、論理を超えた感覚で我々の心の奥底を揺さぶる力がある、そして非常に強い行動変容力をもっている。だからこそ人類の歴史において常に芸術が我々と供にあったのではないか、そういう大枠については疑いがありません。

ただ同時に、研究者である自分はスーパースターによる芸術の定量的な効果測定ということも考えてしまいます。例えば(歴史にifを考えることは厳禁ですが)imagineという楽曲が存在した世界と、しない世界で、もし条件間比較ができたとしたら(できないけど)、地球の平和度に有意差はあるのでしょうか?

自分は性格が悪いので、芸術の力の反作用についてもついつい考えてしまいます。論理を超越した芸術の力は、人間の心を揺さぶりますが、それを自分の日常の中に位置づけることができないと人間の長期間の行動変容にはつながらないと思うのです。例えば、ジョンレノンのライブで高揚した気持ちで世界平和を誓った人が、その後でうちに帰ってしばらく高揚感に包まれた後に我に還る。その時、ライブに行く前後でその人の日常というものは何も変わっていない。日常というのは継続した行動によって少しずつ変わっていくものであり、一晩の夢で変わるものではない。

では夢が覚めてつまらない日常を目の前にした人はは何をするのか、たぶん、ある種のイソップ童話の酸っぱい葡萄の寓話的に昨晩の夢に対する位置づけの改変を行うのではないか?(認知的不協和の解消)

すっぱい葡萄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E8%91%A1%E8%90%84

あの夜はあくまでも夢(メルヘン)であって、現実の日常は夢ではないという信念を強固にして、それまでよりもより保守的な行動をとり続ける。ただ同時に一晩の高揚感がどうしても忘れられなくて、せっせとライブには通い、ますます”現実”と”夢”の断絶を強くしていく。

僕もイベントでたまにperfumeのライブに行くのが超好きなので、この気晴らしを捨てる気はないのですが、一方でperfumeライブは自分の日常の行動に連続的な影響を及ぼすことはなくて、あくまでも刹那的な快楽である、という割り切りがどこかであります。頑張った自分へのご褒美みたいな。こういう強力な一晩の報酬は、下手をすると日常の中にささやかな楽しみを見出そうという人間の力を委縮させてしまうかもしれない。

では芸術の力が発揮されるのはどういう時か??それは日常の中に小さな芸術性を見出した時ではないでしょうか?例えば料理の盛り付けとか、なんとなくの本棚の整理整頓の中に、日常の一コマにいつもとは違う”芸術性”を感じ取る、その程度の小さな芸術性であれば、我々はそれを夢とは思わず日常と連続した事象して受け入れ、それを受け入れることにより行動を長期的に変容させる力につながる。

最近はインターネットの普及とかによりアマチュアアーティストやyoutuberとかの草の根クリエータが活躍するようになり、日常のささやかな芸術性というものが昔よりも普及する土壌が生まれてきたようにも思います。誰もが自分のなかのもやもやを日常のささやかな芸術として表現する(例えば服のチョイスでも、晩御飯に食べるメニューの選択の中にもある種の芸術性はあると思う)、そんな風に芸術が夢から日常に降りてくることで、芸術のポテンシャルが社会と具体的に結びつく、そんな楽し気な時代が目と鼻の先まできているのかもしれません。そういう時代にどういうリテラシーをもって生活をすると、より日常がワクワクするものになるのか、そういうことを考えてみるのも楽しいですね。

ただマーケティング的にはスーパースターを創り上げたほうが効率的に稼げるので、スーパースターが夢のような芸術を与えてくれるという営みはこれからもずっと続くと思うのです。さらに言えば、自分もクイーンやperfumeみたいな圧倒的なスーパースターはいつまでも時代に存在していてほしいなと、そんな気持ちはどうしても捨てられません。

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