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この一年

今のラボに来て4年目の春です。

3年前にひょんなことから「教授が自分そっくりのアンドロイド」を作成するという有名研究室の片隅で禄を頂く身分になった自分です。最初の2年くらいはラボの隅っこに席を頂き「好きなことをやりなさい」と放牧されており、独り気ままに弊ラボの素敵なロボット達を用いた心理実験とかをゲリラ的にやらせていただいていたのですが、ある日、教授から某空調メーカーのマスコットキャラのぬいぐるみを投げつけられ、「キャッチしたな。ならお前はこの会社と共同研究をやれ。ひでまんはなんとなく空気っぽい(?)しな!」とお言葉を賜り、下記の包括提携にもとづく比較的規模の大き目な企業との共同研究を担当させていただくことになりました。

大阪大学とダイキン工業との
情報科学分野を中心とした包括連携契約の締結について
https://www.daikin.co.jp/press/2017/20170623/

テーマ的には自分の興味にぴったりで、しかもラボ内での心理実験だけではつまらない、少しは社会に貢献するような仕事をしてみたいな、と考えていたところでもあり、願ってもない話で、半年くらいの準備期間を経て、こじんまりとしているけど居心地の良い部屋を大学内に新設してもらい、このプロジェクトのために雇用された特任助教さん、空調メーカーさんか出向してきて阪大に常駐されている企業の社員さん×2、事務補佐員さん、さらにこのテーマに参加してくれた学生さんも加わり、それまでの気ままなゲリラ生活を卒業して、小さい研究室内研究室を形成して、この共同研究専任みたいな感じで一年間、かなりの裁量を頂いて仕事に取り組んできました。

この一年間の仕事は、科学的知見を根本に据えつつ、具体的な応用を見据えて、企業と対話や交渉をしながら取り組んでいくという、これまであまり自分がやったことがないマネージメント的(?)な仕事でした。それまで一人で研究プランを妄想して、それから周りを巻き込んで勢いで実行するようなスタイルの仕事(?)を行っていた自分からしたら、プロジェクトをマネージメントする経験は初めてのことばかりでした。日々、大学人と企業人、そしてちょっと変わった自分自身が扱う言葉や文化の”すれ違い”の連続で、これまで勝手気ままに研究してきた自分の甘さを身をもって知る厳しい勉強の機会にもなりました。未だにまだまだ研究の進捗は五里霧中であり、節目である一年後にこのプロジェクトをちゃんと着地させることができるのか、夜中に一人ウォーキングをしながら、悶々と不安を抱えながら研究のアイディアを練っていたりします。

研究テーマとしては、効率性とか量化できる価値を超えた”場”の価値を生み出すようなテクノロジーを、ロボットやエージェントなどを用いて実現できないか、というもので、なかなかふわっとしたテーマで、効率性や経済性を重視する企業の皆さんにはいつも「???」な反応をされたりして、うーむ、もっと量化できない価値の部分の説明をきちんとして実証しないと、と日々苦しんでいます。

コンセプト的にはこんなの

多神教的世界観にもとづく“空気感エージェント”の創成 
-ずっと一緒にいられる存在とは何か-
http://hai-conference.net/symp2018/proceedings/html/paper/paper-G-4.html

ただこの研究の準備段階で、壁面に映像が投影可能な新実験室、オリジナルなインターフェースロボット、そしてそれらの背後で動いている制御システムなどなど、ラボや企業の個性豊かな多くの人たちと協力しながら開発していく過程は、新しい仕事をしている高揚感もあり、本当にワクワクする毎日でした。

特に一年前の春は、比較的目下のやるべきことに時間が制約されることも少なく、プロジェクトが始まったばかりの高揚感と余裕もあり、ラボにやって来たそれぞれユニークな個性と背景をもったメンバーらと気ままに未来を語りあう機会が多くあり、それは文化祭前夜のようなワクワク感がある時間でした。特に企業で暮らしてきた人たちと同居(?)する経験は生まれて初めて、企業経験が無い幼稚な自分からしたら、文化も価値観も違うみなさんから日々学ぶことばかりで、とても有難い機会となっております。

それでそれまでは(我々の研究室は一匹狼的スタイルの人が多いこともあり)ラボ内で一人でお昼を食べることが多かったのですが、一年前からは同室のみんなでいつもお昼を食べるようになりました。

そのお昼ご飯、プロジェクトが始まった最初のころは、阪大豊中キャンパスのそばにある「はなちゃん」という素朴な優しい感じの個人経営の喫茶店に行くことが多く、穏やかな店内の中でぼけーっとした会話をみなさんでする午後のひと時は独特の体験性を帯びたものでした。

Cafe はな
http://cafe-hana.com/

ただ「はなちゃん」のような喫茶店で平和なお昼を贅沢にとっていたのは最初だけで、プロジェクトも少しずつ内容が固まり、それぞれのメンバーの役割分担や仕事が明確になり、みんな忙しくなってくると、だんだんラボのそばのコンビニでお昼を購入して居室でささっと食べることが多くなりました。しかも科学文明の一つの到達点である最近のコンビニは、日々レベルアップしていて、バラエティー豊かな美味しい品目を手軽に得ることができます。しかも決してお安いとは言えない「はなちゃん」よりもコンビニの方がリーズナブルだったりする。そりゃ”強化学習”的には、我々の行動はコンビニに最適化されることはまさに必然であると言えるでしょう。

しかし多様性も味覚も十分にあり、リーズナブルなコンビニでは生み出せない何かが「はなちゃん」の空気にはあるように思います。その証拠に企業から出向してきている理知的で熱血なITエンジニアのお兄さん、プログラムが煮詰まってくると「ああ、はなちゃんにいかないと・・・」とうわ言のように言ったり、他の同僚の人達も「この仕事が終わったらはなちゃんに行きましょう・・・」みたいに言うので、きっとコンビニでは生み出せない何かの価値が、「はなちゃん」という場にはあるのでしょう。ただ科学文明の到達点である(しつこい)コンビニはとても強く、実際問題、ここ数か月、はなちゃんには結局行けていません。あたかも、「一仕事を終えたらハワイに行くんだ」的な概念的存在に「はなちゃん」は昇華してしまった気がします。

気心知れた人たちと穏やかなゆったりとした食事をする体験は、少なくとも自分にとってはとても大切な時間です(NHKの朝ドラの「ちゅらさん」のゆんたくの空気が好きすぎてDVDボックスをもっているくらい)。はなちゃんのやさしい雰囲気はそういう体験的価値を促進してくれる”場”なのかもしれません。なんとなく今やっている研究も、こういう”場”を、テクノロジーによって安定的に社会のあちこちに自然発生的に生み出すにはどうすればいいのか、そういうことを自分は考えながらやっているところがあります。

しかし一方で、我々人類普遍の行動規範として、効率的、経済的、そして安心な手段を選択する傾向があります。これは決して悪いことではなくて、こういう人間の性質が社会を安定化させてきたはずです。一方で効率至上主義は、しばしば悪者扱いされます。例えば、ミヒャエル・エンデの児童文学「モモ」の中では、「灰色の男たち」という効率至上主義の権化のような存在が悪役として描かれています。でも我々は多くの場合、いくら効率や経済性では説明できない体験的な価値を言葉では神格化しても、結局は効率的な方向に我々の行動は強化されていくのでしょう。我々のお昼も例によってローソンに最適化されてしまったように・・・。

この一年間での自分の学びは、ただ効率を超えた価値の素晴らしさを謡って、その価値に固執しても何も現実は変わらないのだということ。むしろ刹那的な価値を妄信することは、空虚な宗教的教義を生み出してしまう恐れがあります。こういう教義は一時の満足を得るには有用かもしれませんが、時代を前に進めることは無いのでしょう。何か自分がイメージする新しい価値を実現したければ、社会のもつ効率性や経済性のシステムと真剣に地道に向き合っていかないのだなと。これが企業と一年間仕事をして分かった自分の学びです。

効率性を価値を超えた価値を実証するためには、結構シビアなところで戦わないといけないのかもしれません。時間を使って”はなちゃん”に通って刹那的な体験性を得ることは、一時の心の慰めにはなるかもしれませんが、むしろ効率的なローソンに通うほうが今はプロジェクトを形にする上では大事なのかもしれません。

大事なことは、大切にしたい”体験”に固執することではなく、その”体験”を想い出としてしっかり心の根っこに大切にしておいて、その上で地道に現実の価値観やルールと向き合い続けていく、そういうことなのかな、と思う今のラボ4年目の春です。日々の生活の中で忘れちゃうような想い出だったら、そもそも大したものではなかったのかもしれない。

というわけで、今やっているプロジェクトは(とりあえず)あと一年なので、後悔が無いようにシビアに頑張りたいなと思います(職も不安定な身なので、何も成果を出せないと失業してしまいますし・・・涙)!!

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