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神仏を崇びて、神仏を頼らず(なんつって)

実家からそれほど遠くない場所に、お寺があった。
学校帰りに寄り道をし、その寺のお地蔵様にお供えされた果物や菓子を友だと一緒によく拝借させていただいた。

いくら馬鹿な悪ガキ達といえども、優しいお顔のお地蔵様に対してどこか罪悪感があったのだろう。お地蔵様に手を合わせ「お地蔵様ごめんなさい。お菓子いただきます」と唱えてから、ダッシュでお寺を駆け抜けたことを思い出す。

夕暮れ時のある日、一人でお寺の前を歩いてるとどこからか声が聞こえた(ような気がした)。

「これこれ坊主よ」
「最近は顔を見せにこなくなったのう」
「お供えの菓子もあるで久しぶりに顔を見せにきなさい」
ふと、寺の境内を除くと、お地蔵様とお供えの菓子がみえた。

夜の帳が足音を忍ばせ近づいてくるのを感じつつも、
その声に導かれるように境内に入り、お地蔵様に手を合わせお菓子に手を伸ばした。

いつもならダッシュで家に向かうのだが、
何故かその日に限って、お地蔵様の横に座り込み、
お供えのお菓子を食べた。

食べながら、お地蔵様を眺め、また食べる、という行動。まるで、見えない大きな何かに包まれた安心感。。。ではなく単純に声がまた聴こえないか待っていたのである。

その時、門を閉めるために境内に出てきた和尚さまが
私を見つけた。絶対怒られると思い、逃げようとしたとき呼び止められた。それも名前で。
何故に知ってるのだ?私の名前を?と思ったが
立ち止まり、和尚さまに謝った。

私「お地蔵さまのお菓子食べてごめんなさい」
和尚「カズオくんはお腹が減ってたんかい?」
私「。。。。。。」
和尚「お供物だから、食べてもいいけどお地蔵さまにお礼と、和尚さんにはちゃんと言わないとあかんよ」 

とても優しく、諭すように話してくれた和尚さまに
「お地蔵様の声が聞こえた 食べてもいいって」
「だから手を合わせてお礼をいいました」
「今日が初めてではないけど。。。。お供物食べたのは。。。ごめんなさい」

和尚さまは「あはははは」と笑い、
「もう暗くなるから気をつけて帰りなさい」と言った。私は和尚さまに「今度からは和尚さまにも言います!」と答え、急ぎ境内を出ようとしたときにまた声がした。

「また来るがいいで」
「きをつけて帰りなさいよ」

私はそっと後ろを振り返った。その時。。。。
振り返りみたお地蔵さまの優しい目が光ったのだ。

すっかり暗くなった夜道をダッシュで家に帰り着き
今さっき起きた事情を両親に勢い込んで話した。

母は、「明日にでも和尚さまに謝りに行かないと」と言い、私に「罰があたるよ!」ともう2度とそのようなことはするなと言った。

次姉は「バーカバーカバーカ」と言ったきり、漫画を読み出した。

絶対、雷が落ちると身構えていたが、父はおもむろにこう言った。
「お地蔵様の声が聞こえたのか?」
「そしてお地蔵さまが食べてもいいと言ったのか?」
「それであれば食べても良いだろう」
「ただし嘘はついていないのだな?」

私は、嘘は言ってない、
お地蔵様の声が聴こえた、と答えた。

父は「和尚さまは、お前の名前をつけるときに相談に行った人だ」
「だからお前のことを知っていたのだよ」
「しかし、信心無き童にお声を届けてくださるとは。。。」
「慈悲深きことだ。。。」とかなんとかブツブツいっていたが小学2年生で8歳の私には意味がわからず、怒られなかったことにホッとしていたわたしに、きつい拳骨と、明日、母と和尚さまのところに行くように、とだけ告げて日本酒を呑みだしたのであった。

贖罪の感情が、子供の想像力によって引き起こした事だとしても、これ以降、私はお地蔵さまが切っ掛けで、お地蔵さまやお寺に興味をもちはじめ、いつしか仏像に夢中になった。

仏像界の先達であるみうらじゅん氏と同じように、特撮ヒーローや怪獣と同様に、仏像を「かっこいい」の対象として愛した。

しかし、大人になるに連れ、仏像とは距離ができ、
次第に疎遠になっていった。

それでも折につけ、各地のお寺に行く機会があれば鑑賞を嗜む程度には興味はあったのだが。

しかし、ある出来事から、また昔のように仏像を愛でるようになった。

一つは「写仏」である。

当初は「写経」を始めるつもりだったが、信心はあるが無宗教であるがゆえ、なにか違和感を感じてた折、親しい友人から「写仏」を進められた。
その友人の「写仏歴」は何十年にも及び、その作品を見たときに「仏さん、めっちゃかっこええやん!」と子供の頃の感情が蘇り、「写仏」にのめり込みだしたこと。

そしてもう一つは、「道祖神」である。

道祖神(どうそじん、どうそしん)は、村境、峠などの路傍にあって外来の疫病や悪霊を防ぐ神である。のちには縁結びの神、旅行安全の神、子どもと親しい神とされ、男根形の自然石、石に文字や像を刻んだものなどがある。

wikipedia

土着的な意味合いを持つ民間信仰であり、日本の風土に溶け込んだ、古来の外来思想の反流的側面もあると思われるが、書籍を読むほどに興味がわき、この「路傍の神様のシンボル」は、近代の吟遊詩人、ひいては現代のブルーズやHIPHOPと同意的な役割を担っていたのではないのか。。。

とか日々、調べたりしているうちに、
ある意味、民間信仰である「路傍の神様のシンボル」の対極にあるのが「仏像」という宗教の思想体系のシンボルではないのか?そこで意味する政治的な策略が。。。なんて考え出すと推理小説のような仮説が湧いてきて、考えだしたら、面白くて仕方なくなったのである。

あくまで、個人的趣味/研究の範囲なので、
人様にお伝えできるようなものではございませんが、
このようにして、私はまとまった時間ができたら「my sweet仏像」を日々探しているのでございます。

最後になりますが私の好きな「道祖神」と「仏像」を紹介します。

下大池の道祖神  「寛政7(1795)年」

伊勢物語の23段「筒井筒」からとって「筒井筒下大池道祖神」と名づけられた、信州を代表する美しい道祖神です。肩を抱き合い握手する男女の神はみやびやかな宮廷人をしのぼせ、鼻筋の通った優雅な顔立ちですね。「寬成七年乙卯十一月吉日 大池村中」の刻銘があり寬成7(1795)年の作とのこと。

国宝 増長天立像  平安時代・承和6年(839) 東寺蔵 

東寺といえば、国宝の帝釈天騎象像も有名ですが、
私は同じく国宝の増長天立像が好きです。

右手の戟や、腰を左に捻り、右足で邪鬼の頭部を押さえてる姿。威嚇する表情の迫力。そして盛り上がる筋肉。少年漫画的なかっこよさが満載ですな。

ちなみに私ごとですが、各地の四天王を見る中で、
広目天に好きな仏像が多いのはなぜなのかしらん?と
最近良く考えてます。

水月観音像 ネルソン・アトキンス美術館(アメリカ)所蔵

2014年に出会ってから、彼以上にかっこいい水月観音像とは、未だ出会えていません。

水月観音は三十三観音の一で、補陀落山の水辺の岩上に座し、水面の月を眺めている姿の観音を表したものと言われていますが、なにこの余裕。この世の女性は全部私のもの、的な(笑)そして優雅な右手指先よ。。。

この水月観音像は中国の遼時代(907年〜1125年)から晋王朝時代(1115年〜1234年)に作られたものだと考えられているそうですが、当時の日本の仏師ではこの色気はだせなかっただろうな。快慶(慶派の仏師)ならもしかしたら。。なんて想像しちゃいますな。

それでは皆様も、よき仏ライフを!


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