見出し画像

26歳の感慨

“前髪ない方が大人っぽく見える”らしいので、最近はずっとセンター分けにしておでこを出していた。多少なりとも大人っぽくなりたくて。

「視界が狭い。」26歳初日の朝は、そんな違和感から始まった。
鏡を見ると、左の瞼が腫れている。しかもなんかかゆい。そう、しぶとく生き残った蚊にやられたのだ。

さすがにな…と思い、前髪で左瞼を隠すことにした。多分今日お会いした方々にはばれていないはず。

せっかく1歳年を取ったというのに、前髪のせいで幼くなってしまったじゃないか。まったくもう。

というのはどうでもよい話。


変化

25歳から26歳にかけての変化は、正直これと言ってないように思っています。新しく始めたことも、やめたことも、特にはありません。

「なんでもっとうまくできないんだろう」「もっと周りに迷惑を掛けずにできたんじゃないだろうか」と、相も変わらず思慮も配慮も足りない自らを責めるばかりの日々を送っています。本当に成長がない。

一方で、「できていない」という自覚を持てることも、もしかしたら、多少は何か変わっている証拠なのかもしれない、とも思えたりもします。そう思わせてくれるのが、社会人1年目の時にはじめた長唄三味線です。

長唄を習うようになって今年で4年目を迎えました。もちろんまだまだひよっこの域を逸しませんが。
これまでの人生では古典音楽に触れることがほとんどなく、最初は楽曲を聴いても何が何だかわからなかったのに、だんだんと「うわぁ超かっこいい!!」と感じられるようになってきました。そして、「弾けている」と思っていた自分の演奏が「音程は合っているけど“奏でられてはいない”」という状態であることにようやく気付き始めました。

「無知の知」なんて言いますが、できていないことを自覚するのもまた成長なのでしょうか。

いずれにしたって、根本的に、足りないものは足りない。やはり昨年からの成長なんて何一つない。そのくせ謙虚さだって足りていない。

巡り巡って、結局はそこに帰ってきてしまう今日この頃です。


中期目標

「文武両道」という当面の目標は変わりません。

やれているかはさておき、仕事はもちろん頑張ります。
目の前のことをこなすので精一杯になっている側面があるとしても、結局は人並以上に品川という街が好きだし、愛着があるし、だからこそ色んな方とそれを分かち合って、品川で幸せを感じる人を増やせたなら、私はそれが幸せだと感じます。

長柄町の活動も、どんなに小さくても、続けていきます。
現に、何かやらなくちゃと長柄町のキャンプ場に一人こもって考えた「長柄町の米を小さい米袋に入れてお試しパックとして売り出す」という企画を小さいながらに動かしています。残念ながら明確な戦略もビジョンもありません。でも、米が売れることは、長柄町のあの姿を守ることに着実につながるはずなのです。やらないよりは、やった方がいいに決まっている。

三味線は前述の通りで続けています。ピアノも習っていたし、中学は吹奏楽だし、大学ではジャズ研にいたのに、結局は長唄三味線が人生で一番真剣に練習している楽器になりました。お呼びがかかれば、いつでも三味線持って駆けつけます。一曲弾きます。いや一曲と言わずに弾きます。

山は、最近はめっきり登れていません。登りたいといつでも思っています。でも、なぜだか登りに行けるスケジュールになりません。

あと、大学生時代から出続けている「創作狂言」の舞台に2024年も上がることにしてしまいました。そう、素人枠ではあるのですが、舞台で役者として出るんです、私。

そんなわけで、引き続き文武両道な人間ではありたいと思っています。


長期目標

最終的な目標としての「『こう見えて昔は頑張っていたのよ』と孫に語り聞かせてもいまいち信じてもらえないようなおばあちゃんになる」も変わらずです。

頑張れているのでしょうか。波風立たぬような平穏な日々、とは言えないので、きっと理想に近づきつつはあるのでしょうか。順調順調。

あとは無事おばあちゃんになれるよう、心身の健康に気を付けて過ごしたいと思います。

あ、あとは孫がいるのか。孫もなんとかしなくては…。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?