25歳の感慨

坂本龍馬なら、満年齢でいくと2年後に脱藩か。
いい年になってしまった。
なんて思うけど、「まだまだ若いでしょ!」
と、最近は随分言われる。

若いのではなく、幼いのではないだろうかと思うくらい、
自分が大人であるという自覚を持ちきれずにいる。
自覚がないわけではないけれど、
それにしても至らぬ点が多すぎる。
気が回らないことが多すぎる。
大人って、いつから大人の自覚を持つんだろうか。

…って、こんな話をどこかで誰かとした覚えがある。
だれだっけ?まあいっか。誰かさん、忘れててごめんなさい。

この世に生まれて25年。
最近は、いかんせん好きなことが増えてきた。

まずは登山。
うっかり大山に登って以来、
登山サークルに入ったりしてそれはそれは捗っている。
いよいよ憧れのテント泊登山も実行することができた。
どんなに疲れていようが、山に行けば全部吹っ飛ぶ。
それくらい好きだ。

楽な山行ばかりではない。
苦しい急登だってしょっちゅうある。
テント泊登山の時は、
15kgのザックの重量に全身が悲鳴を上げた。
それでも、ちゃんと行って帰ってこれたのだ。
そんな経験が重なると、
山に限らず、人生のどんな苦しい瞬間だって
愛おしく思えるようになってしまった。
ドM思考に歯止めが効かない今日この頃である。
(MountainのMです。笑)

次に長唄三味線。
社会人1年目の夏から始めて、
ずっとグループレッスンだったのが最近マンツーマンに変わった。
何となく弾けていると思っていたものも、
先生と対峙するとできていなかったことが発覚する。
音を出すのは簡単だけど(最初は難しい)
奏でることの何と難しいことか。

ただ、そんな困難もまた楽しい。
黙々とひたすら練習に没頭するのが、
なによりも楽しい。
何かに追われて心がざわついていても、
とにかく0に戻してくれる。
大人になってからの習い事は、本当にいいと思う。

他にも、多分色々ある。

そんな私が目指すところは、文武両道。

仕事はもちろん一生懸命やる。
やっているつもりだけれど、やりきれないことばかり。
それでも、決して楽をしようとはしていないつもりだ。
山のせいで、頑張り屋気質に拍車が掛かってきた。
いや、頑張り屋ならこうもやりきれないことに
まみれるはずはないはずなのだけど。

その上で、山も習い事もきちんとやりたい。
「実は〇〇ができる大人」にとにかく憧れている。
裏の顔(?)があると、なんだか自分に厚みが出るような気がするのだ。

昨日実は山に登っていた私、
昨日実は大きな舞台で三味線を弾いていた私、
昨日実は舞台ででかい声を張り上げていた私、
そんな状態で迎える月曜日は、
なんだかちょっと強くなれている感じがする。
足りない分を他で補おうとしているだけなんだろうか。
よくわからないけれど。

文武両道な私でいたい。
だから、全部一生懸命に取り組みたい。


最終的には、
「こう見えて昔は頑張っていたのよ」と
孫に語り聞かせられるようなおばあちゃんを目指したい。
これは人生における悲願だ。

というのも、
自分のおばあちゃんというものが、
戦後のもののない時代を生きてきて、
一生懸命働いて、一生懸命子育てして、
苦しいこともあっただろうに
孫の私たちに対してはそんな素振りも見せず
ただただ優しいおばあちゃんでいることに、
ものすごいロマンを感じているのだ。

自分の祖父母が生きてきた時代と比べれば
随分と生ぬるい世を生きているのだろう。
でも、多分現代なりの苦しさのなかを生きている気はする。
だから、今はとにかく、どんなことにも一生懸命でいたい。

25年目の人生、
素敵なおばあちゃんになる未来に向かって、
まずは己の人生に集中して生きていこうと思う。

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