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今日も私は救いを求めて風を聴く

「与えられるものこそ与えられたもの ありがとうって胸をはろう」
藤井風「帰ろう」

人への興味の速度と、後のその人への好意や愛の大きさは比例する。初速が早い程、その存在は後々に大きくなっていく。

僕の中でその対象とは、平成では宇多田ヒカルで、令和では藤井風だ。

彼を称える言葉はネット上に溢れている。こうやって書いている自分もその一人だ。岡山弁で綴るリリックのその内容や音楽理論に則した言説など、語り白のある人物である事は良くわかる。

でも彼を見ていると、そういった理論とか理屈とかのレイヤーの一枚内側の表現というか、例えるなら人間界に興味を持った音楽の神様が、いたずらに岡山の青年に憑依してその生活を謳歌していたら、うっかりアーティスト活動をする事になって人々を感動させる不思議な物語のような人、というのが自分的に一番しっくりくる彼に対する形容だったりする。(もちろん、彼なりの悩みや努力など、我々が目にしている以外の部分で、彼自身が積み上げてきたもの培ってきたものの上に、今の彼がいる事は重々承知の上で。)

岡山弁で、話すことに少し照れているような喋りをしたかと思えば、鍵盤に指が触れたその刹那、どこまでも色っぽく艶やかな演奏と、空気を突き刺すような伸びやかな歌声で、空気を一変させる。

それはもう、まるで魔法のように。

彼自身が「この曲を発表するために日本語の曲を書こう」と思ったという「帰ろう」。個人的な話をさせてもらうと、一聴したときに、僕はこの曲で亡くなった父に許された気がして、泣きじゃくってしまった。救われた気がしたのだ。それはきっと、自分で自分を許す事が出来たのだろう。

「憎みあいの果てに何が生まれるの わたし わたしが先に忘れよう」
藤井風 「帰ろう」

彼の書く歌詞は、生活の半径2mの言葉で紡がれているかの如く、我々の生活の延長線上にあるものだ。だからこそどこまでも染み込んでしまう。

世間的にはまだまだ”見つかっていない”状態

5月にリリースされた1stアルバム「HELP EVER HURT NEVER」は2020年の音楽界のマスターピースだ。90年代2000年代と現在とでは、音楽の扱われ方もチャネルも異なるし、比較も出来ないしする必要もないとは言え、時代が時代なら300万枚のヒットでも何の驚きもない。

そんなHELP EVER HURT NEVERの初回盤(カヴァー曲集のボーナスCD付き)が今現在まだ定価で購入可能という事実に少し驚きを隠せない。(確信を持ってここで予告しておくけど、2年後には2〜3倍のプレ値で販売される事は明白だろう。)

まだ彼を知らない人の中に、きっと彼の音楽を必要とするような人はまだまだいて、それは言い換えると希望と言っていいと思う。

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