僕早生

困ったらnoteって思って開いて打ち始めたが頭の右らへんにはサンドバック系note炎上オタクの話題があるので抉られながら打つことになりそう。きっと僕もサンドバック。思えば心の底から呟くのがTwitterなんて時代は僕の中ではもう終わってて(参照:10月のエイプリルフール)、本当にしょうもない内容ですら時間をかけて送信しているから貴重なtimeがドブ川じゃぶん。じゃあ根本的なところに立ち返って見られる人を減らせばいいのではと思い立ち「だれですかあなた→会ったことない→会ったことないけど一方的に顔知ってる」の順にお別れをしてみた。なんかデジャブだなと思うのは高校の頃、インスタグラムを学年上がるごとに作り替えては消してを繰り返してたからかな(なんだこいつ)。高2から大学合格まではインスタを入れていなかったので、はたからみたら不自由で連絡がつきにくいめんどうくさい人間だったけどそもそも頻繁に連絡してくるような人はいなかったので結果関係なかった(そうだね)。それぐらいネットでの繋がりを安く軽く見ている。の割に前のめりになることがあるから怖い。半分減らしたけど、もうちょい削りたい。去年の新学期、初めて会った時に交換したり、紹介で気が合いそうだからと交換したが、のちに全くあわなくなったし、あわない。となると、ネットって、初期監視みたいなのから始まった方が気が合うのでは?と思ったが、いやそんなこともないなと。人間は難しいし、自我を垂れ流すか、皮を被るかで鋭意営業中のネットは本当でも嘘でもない。そこにはなにもない。でも過去ログを見ると、狂ったようにサークルで麺のことを呟いているので恥ずかしくなった。(ちゃんとオタクやってて抱きしめたくなった)

話を少し戻して、高校のインスタをやっていなかった時期「こいつは何を楽しみに生きているんだろう、趣味わかんねー」みたいな目で見られていたのは知っている。その割に、話を振られると焦って喋り出すからさすがオタク。引かないでほしい。聞いてきたのは君の方。そんなこんなで、お昼の時間になれば付きまとってくるメンヘラ女学生を撒いて階段下のスペースで和牛のモーモーラジオをパソコンから流してお昼を食べていたし、他の人たちがご飯を食べ終わってコモンホールに溢れてきたら図書室のまったく興味を持てない埃被りコーナーに逃げた。休み時間は読書を邪魔されたくないとかいう厨二病かつ一人称視点のわがままにより携帯禁止と校則で決められていたのに不自然に首からワイヤレスイヤホンを下げて、Lopperという音楽ループ再生アプリ(今思えばあれはよくない、画録だもんでも言い訳したい、サブスクでもアイフォンでもなかったんだ僕はあの頃(無理))で死の舞踏と毒グモ女を交互に流し込んでいた。人という人を極力回避してコロナ禍でただでさえ少ない学校生活を推し活()とやらに蝕まれていた。あの頃、推し活が出始めでめちゃ燃えてたけど、僕的にそこまで「推し」っていう言葉が浸透してなかったので、オタクで済ませられた最後の記憶な気がする。学校で有壁のブレイクアーティストライブのアーカイブも観ていたし、KOUGU維新のクリスマス配信アーカイブも観ていたよ。「推し」という言葉を知ったのは不本意ながら、有壁なんだよな。

校則破ったことないとか散々いってたけど、普通に破ってた。また解答権が一向に回ってこない授業で別の視点から学びを得ようとして一番後ろの席をなんとか手に入れてwebピッコマで金瓶梅を読んだこともあったな。後期からはサーバーにアクセスできなくなった。

趣味とやらを大っぴらにすることが、なかったな。いや、あったかもしれないけれど、全部口頭だった。ネットでも記録でもない。全部曖昧な口。口は災いの元だし、雄弁は銀なり、沈黙は金なりだけど、オタ活()に関してはネットより口頭の方がいいのでは。なんて話は100回気づいて1000回書いた。あーあ、このnoteで何を言おうとしてるのかと言うと、ネットから逃げるにはどうすればいいですかということ。

ネットは好きだけど、全然使い方わかってないし、言葉遣いはいつまで経っても小学4年生のままだし、大人になったら固くて綺麗な文章で感想を述べられると信じてたのに一向にそうなれないし。「~で好き」って締められる文章をものすごく嫌う2次お見送りなのにキーボードを押せば終わりはそれだし。言霊を信じているので常に呼吸困難。嫌いと言えばバカになるし、好きと言えば酸素になる。自分はバカと言えばシンデレラでハッピーエンドだし、暗くてダメ人間と言えばピエロ。でも信じてください、僕はみなさんが思ってるよりラジオを聴いていないですし、テレビも観ていないです。ラジオに関しては番組がおわったのでオワリ。ANNは気分で聴ける時と聴けない時がある。そもそも、ラジオを熱心に聴いていたのはそれこそ小学4年生の時、NHK FMをたまたま掘り当てて花咲か爺さんになった1,2年間。そもそも論として、ラジオは、好きな、人の、声と、話、でなければ聴けないコンテンツ。当たり前。

負けず嫌い、目立ちたがり、だけど恥ずかしがり屋、この三つなんです僕を作ってるのは。厄介な人間って、他にいるのかなって調べました。割といますね。恥ずかしがり屋というか、そこに真面目という要素がこんにちはしてきて、ふざけたとしても「イタイ😣」にしか見られない。だから、顔が見えないネットだと、動きとしての真面目さがないからとっつきやすいのかなと思ったけど、結局自分の何かを発表するとなると金縛りが起こってまったく面白くない、そもそもが面白くない。(ああ言霊やめて)

あの話したかな。見た目に囚われないって表現する人はなぜみんな派手なの。派手であることが本来の姿だって決められたらすっぴんはどうなるの。本来見た目に囚われないなら何の姿でも表現しちゃいけない気がするんだけど、それを提言するにはキャラクターがいないといけなくて。そもそも商売だし。逆に、めちゃぼさぼさ灰色ジャージで見た目に囚われないって表現するのはだめなのかって言うと大概キャラ的に売れないからダメなのに、すっぴん動画に「ありのまま」っていう評価がつくのが不思議でたまらない。でも根底を掘るとキャラクターは輝いているから人間いらないじゃん着せ替え人形万歳ってなってしまった。女児コンテンツは永遠。こんなこと言ってたらドロシーに顔向けできない。

とにかくここまで打ってしまったけど
やっぱり雄弁は銀なり、沈黙は金なりなの。
名言が嫌いになりそう。

毎日に変化変化を求めすぎた時、父が「毎日何も変わらなくて楽しい、安心」ってご飯をもぐもぐしていてとても落ち着きました。ほんとそうだよね。母のお料理おいしいばんざい。

すんごい余談
「~…若さは挑戦だッ!~…」の情報交換会の”情報”を掴んでいたということは少なからずともデカ学の情報は追っているんじゃないかとかいう偶像が浮かび上がってきたのでもう寝ようと思います。(あれってインタビューついでだったっけ….)

いろんな情報についていくのに疲れた時は、「僕早生まれだし」という言い訳をすることにしました、本当にオワリです、でも僕早生まれだし。

人と関わるのが苦手なのではなく、お誘い頂きありがたく参加したのにも関わらず大勢の中ほっとかれて呼んでないですけど?みたいな態度取られたり、2人だと話すのに、5人いると4人対1人にされるのが苦手なだけです。僕早生。せめて、卓球のピンポンラリーぐらい首をあっちこっちにやって話を聴いて欲しいですね。それぐらい気を配ってほしい。なんて言えやしないのでやっぱり本が友達とか言い出しちゃうのですが、読み始めると湧いてくるのはバグでしょうか。

今週はコナンが始まるし、再来週からはミス・ターゲットが始まるので、とりあえずはうようよ生きていけます。(作品に生命を委ねるな)

しれっと一般チケットも取ったので夏まではなんとか。

友達を増やそうとか、人と関わりを増やそうとかそういうことはまったく思わず、ただのんびり苦しまない程度に生きていきたいと思いました。10000回目。

できることならボニー・ザ・バニーとは、お友達になりたい。ほんとうにかわいい。二次元のキャラ萌えとかあんまりしない人なんだけど、ボニーだけは仕草というか、映画で見た表情がかわいくて。動きも可愛い素敵なアニマトロニクス。

キャラ萌えしない割に、ぬいぐるみへの執着がすごいとだけはいっておきます。だって僕早生まれだもん。