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くつ飛ばして4月

やっぴー!!!!!!!
(すぐ人に感化される書きたくなったどらちゃんありがとう…僕の脳が救われたよ…)

すごいもう4月だ!!!!!還れ!!!!!

カモン師走!!!!!!!!!1

荒荒荒荒荒荒

春だねぇ、なのに寒いねぇなんだこれほんとに春?春亜種?
(なんでも亜種にしがち)

履修登録の時期だぜベイビー。

なにかと先輩に聞こう!とかインスタのおまとめ系垢がいってるけど、いや一人でできるであないなもん!!逆にみんなでやるからわかんなくなるんや!困った時の教務、学生課やんか!!!!!!!

というのは私の意見で…(^^;;

み、みんな…先輩とエンジョイしたいもんね….ごめんよ…よその人間が…
あぅ…

いつの時代も先輩という概念には苦しめられており、なにかとガルガルしてしまいます…

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「星条旗よ永遠なれ」

あれは中学の吹奏楽部。
中一の5月ごろ。体育祭に向けて先輩達がマーチング練習をしに校舎周りを演奏しながら行進していた。当然、一年生は基礎練の期間であるために参加させてもらえず、音楽室がある四階の廊下の窓からちぇーと拗ねていた。正直、簡単すぎたのだ。二、三年が4時間外で星条旗とハロー!サンシャインを動きをつけて練習してる間、一年生は3Dバンドブックの基礎練。それも代々コピーして受け継がれてきたB♭10ページ、スケールとアルペジオ、アンブシュア。基本的に楽器未経験者が吹奏楽部の9割を占めていたために、周りの一年生は音を安定させて出せるようにするところから始まる。それができたら次は楽譜の読み方。一音一音全てに音名を振っていた。移調楽器の子達は階名から音名におろす作業も。フルートはC管と言ってドを吹けばドが鳴る。これがクラリネットだとドを吹くとシ♭、アルトサックスならミ♭。上から目線だけれど、正直なところ、全くの音楽経験がない子にとってこれほど酷なことはないだろうと思った。がそれは違うようで、絶対音感なるある種の邪魔な能力を持っている人間がそう思うだけであった。まっさらな状態であれば、その時出会ったドが、ドになる。そんな心配と思考をする余裕すらあった。

私は小学校を卒業し中学入学前の春休み中にある程度の基礎練習をしていた。父と母に自分のフルートを買い与えてもらったし、ピアノ以外の楽器にワクワクしていた。また別の形で新しく音楽を学ぶことができるから。主旋律しかない楽譜が軽過ぎたが、楽しくて譜読みをどんどん済ませてしまった。ピアノは習っているけど、フルートは全部独学。だから、初心者と言えば初心者だけど、強くてニューゲームみたいな、そんな状態だった。

話を元に戻そう。

そんな強くてニューゲームな中学一年生の新入部員を誰が可愛がるだろうか。無論先輩というものは自分より知識のあるものを遠ざける性質をもつ。それは先生もそうだった。(先生とはのちにそれを笑い話にできるほどの仲になります)

冒頭の練習の日、基礎練に飽きた私は同じフルートパートであるEと、オーボエパートのAと四階の窓から先輩たちの行進を覗いていた。顧問であるM先生は先輩達につきっきりで外に出ているため、副顧問のS先生が一年生が汗を垂らしながら練習する廊下で一人一人に声をかけながら練習の様子を見守ってくれていた。

当時、顧問であるM先生はすっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっごくこわかった。練習が厳しいからとかではなく存在そのものがこわかった。私とほぼ同じ身長なのに、なんなら私の方が高いのに、オーラがこわかった。威厳がある。

ピアノのレッスンがあるので早退しますと告げると「そんなの聞いてない、もっと早く言いなさい」(ほんとはもっと言い方こわかった)と怒鳴るに等しい声で返された覚えがある。(先生とはのちにそれを笑い話にできるほどの仲になります)

M先生はこわかった(過去形大事)(先生も赴任したばかりで不安だったそうです)

から見守りである副顧問のS先生が癒しだったし、ある種、早いけど相談先になっていた。

その日も窓に三人ぎゅうぎゅうになりながら行進をかじりついて見てるとS先生が「練習しなくていいの?休憩か!暑いよね~先生も涼も~」と一緒になって見ることになった。

S「基礎練どう?できるようになった?」
私/E「んー、できるようになったというか、もうできる…なんならずっと前からできる…飽きた…」
S「そうなの!?!?!もっと早く教えてよー!飽きちゃう…よね…先生も基礎練苦手…Aはどう?いい感じ?」
A「私は、楽譜読むのもまだまだ…音も安定してでない…」
S「オーボエ、リード特殊だもんね…」
A「だから基礎練やんなきゃだけど…先輩外行っちゃってるし…なんもわかんない….」
S「そうなんだよね、先輩いないのに練習できないよね」
私「Aは私が教えるからいーの!!!」
E「フルートパート二人で他の木管金管全員面倒見れるよ」

私とEを除いた吹部の部員は、先輩がいなければ練習が続けられない。それは、音の出し方から楽器の手入れまで、レッスンのようなものだから、先輩が行進練習に行ってしまうと、手をつけられない、孤独なのだ。だから、私とEがされたらおせっかいと思うかもしれないけど、相手は皆私とEではない。全員ひよこ。他パートの基礎練も私たちで教えていた。(それぐらい暇と余裕を持て余していた)

♪~

4時間も基礎練をする。星条旗とハロー!サンシャインをBGMに。吹奏楽の練習にもBGMが存在するのだ。面白い。

あーもうなんでもいいや。きっと聴こえないだろうから。

先輩達の美とはいえない爆音に合わせ、まだ当分渡されないはずの星条旗を踊り場で吹いた。タイルがボロボロに剥がれた踊り場。粉が舞い危ない成分が蔓延してそうな廊下のすみっこ。ジリジリと上履きが擦れ剥き出たコンクリに砂利つく。行進はせず、目を閉じて。曲という曲の楽譜を渡されない一年生の鬱憤を晴らすためのひとりよがりな演奏。顧問の目を盗んで吹く星条旗にはそれこそ自由の国の風を感じさせた。「星条旗よ永遠なれ」はアメリカの劇場やサーカスでは災害行進曲として使用されるそうだ。緊急事態が起きても聴衆が慌てて混乱を起こさないように避難誘導することができるそうだ。先輩達は顧問に怒られないように平和を願って、はたまた外部活の生徒に見せつけるのが目的か、バラバラな音で行進を続ける。私は第一に自分のため、第二に副顧問とEとAのため、自由に。

いくら踊り場で吹いて音が反響しているといえど、静かすぎる。廊下の一年生全員が休みながら聴いてくれているということだろうか。ちらっと見ると皆コチラを見て体を揺らしている。外に目を戻すと行進が終盤に差し掛かってきた。分厚い行進曲の上を飛び回るようなピッコロのソロが聴こえてきて私も追いかける。少し小刻みに音階が下がるタメで盛り上がる終盤、もう一度振り返る。

思えば音の下りは状況の悪さを教えてくれていたのかもしれない。

外にいたはずの顧問と先輩たち(フルートパートの)がそこにいたのだ。


顧問には「ここは音楽教室ではない、一人で吹きたいなら部活をする意味がないだろう」と怒られた。先輩とやらにはこっぴどく怒られたわけではなかった。があれは、軽蔑した目だった。

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「ハロー!サンシャイン」

組織やグループ、人と人の関係では頭ひとつ抜けたものがリーダー、引率者であるのに対して、それ以外の何かが頭ひとつ抜けると雰囲気が乱れる。


一年生は"一年生らしく"いなければならなかった。だれでも4時間同じように基礎練をしなければならない。もう知り尽くした大きなかぶを読み、書き、また読むのを繰り返すようなものだ。基礎練がつまらないと言っているのではない。全員が同じ基礎練をする必要がないと思っている。いくら部活であろうとも、早く出た芽は良い意味で摘んだ方がためになると思うのだ。行進に参加させるなどしてだ。だが、それを思っても言ってはならないし、全て「先輩達は我慢してた」で済まされてしまう。先輩たちだって、蓋を開ければ9割は未経験者である。

生意気な一年生であることはよくわかってた。自分の方ができるとも思っていた。だからといってあからさまに先輩の前でぴろぴろ吹いていたわけではない。先輩がいない間に、同じ一年生の子達にあれ吹いてこれ吹いてと言われ、歌ってもらいそれを聴いて吹いていた。先の星条旗であっても、先輩らが練習を積んでやっと手にした立場で吹いているのを知っている。だから隠れて四階で吹いていた。

これを世間ではサボりと言う。

でも覗いたのはそちらではないか。


なんといわれようと、楽しかったのだ。明らかに面倒臭そうに行進をしている先輩よりも楽器を吹けることを誇りに思っていたし、正しい反抗だとも思っていた。


できもしないのに、ましてやそう思ってもいないのにそれらを盾にする人間が大嫌いだ。それこそ軽蔑する。好きでもないのに好きという。ファッションとしてだろうか。ほんといい加減にして欲しい。先生や歴代の先輩に媚を売って手に入れた立場を愛しているだけではないか。

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「Fantaisie Brillante」

基礎練地獄から時が流れ九月、中学の文化祭のようなものの時期になった。同時期、合唱コンの練習も始まり顧問の先生と打ち解けた。私がピアノを弾けることを知ってそこから中学卒業まで先生に怒られたことはなかった。むしろ親しくなりすぎた。中2、3年生と担任の先生が顧問だったのだ。一年生の時私のクラスの担任は国語の先生だったが合唱コンで最優秀賞と伴奏者賞をもらい、音楽の先生である顧問のクラスはなにも受賞しなかった。その後クラス替えがあり中2。新たな顧問のクラスのD組に私はいた。周りの生徒には歌が得意な子や基礎練から花開いた吹奏楽部員が揃っていた。はたから見て明らかに音楽と合唱に特化したようなクラスだった。チートと言われいじられながらも合唱コンクールが大いに盛り上がったのを覚えている。無論中2、中3と最優秀賞と伴奏者賞、加えて指揮者賞を総なめしていた。ほんとうにチートだと思うが、担任であり顧問でもあるM先生は何にも口を出していない。

閑話休題

文化祭練習中のある時フルートパートの先輩が言った。

「ぱつどらちゃんはそのソロパート吹かなくていいからね!
そこ先輩の役目だから!!」

言われなくたってそんなパートいらないし、ソロパートを吹くために私は吹奏楽部に入ったわけではない。人と音楽をやるということ、新しい視点から音楽を学びたかった一心で入ったのだ。よほど先輩の方が下心があって入部しているではないか。そんなの、単語違いの下ネタだよ、恥ずかしい。

強がっているのではない。強いのだ、私は。

ソロパート如きで喚かないし慌てない。そもそも、先輩にはソロパートなどいらないではないか。音を外して常に吹いているのだから十分ソロではないか。

可愛げのない後輩だ。だけど、自分を押し殺してまで先輩に媚び売ったりついて行ったりするのは嫌だから一切しなかった。先輩から学べることがなにもないからついていかない、それまでだ。


冬には外部のソロコンクールメンバーを選出する校内オーディションがあった。各楽器の一年生はもちろん出られない。これはソロコンクール自体の決まりのため仕方ない。がオーディション内で発表という形で吹くことはできる。一年生でもそれぞれ好きな曲を持ち寄って練習していた。皆が練習に励む中、来年自分が出る様子見にしようと、自分の曲と他の一年生の伴奏、トランペットパートの先輩の伴奏を受け持つことにした。

「ぱつどらちゃんはそのソロパート吹かなくていいからね!
そこ先輩の役目だから!!」

これを言い放った先輩がメンバー発表の時に手を組み合わせて祈っていたのをよく覚えている。選出されたメンバーが出場するのは"クラシック曲"のソロコンクール。先輩はオーディションでタイタニックのテーマを吹いていた。


私はトランペットパートの先輩とソロコンクールに出場した。

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「CONCERTINO Op.107」

やっぱ、振り返っても先輩に関してはいい思い出あんまりないや。がるがるしてたし、がるがるされてたし。人のこと尊敬できないのは終わってるけど、尊敬できるほどの人がいないのが問題だと思う。強いていうなら、一緒にソロコン出たトランペットの先輩には懐いていたかもしれないな。向こうも後輩とかじゃなくて友達みたいな感覚でいてくれたし、そういう関係でいるときのほうがよっぽど尊敬が生まれてた気がします。

自分がいざ後輩持った時は先輩がしてくれなかったこと、先輩にして欲しかったことをするようにしてた。自分は先輩から学べなかったけどその分他で貯蓄があったから、惜しみなく。とはいえ、上下関係厳しいのはやっぱり好きじゃないからずっとちょけてたかも。それでだって、上下関係を保つには自分が前に立って成績を残さなきゃいけないから、ソロコンも今度は2年生だから出れるし、フルートで出て、金を持って帰ってきた。すごいでしょ?って思うよりもそれが”当然でしょ?”って思うし。

それでも、中学校楽しかったなぁ。そこから先の高校生活がすっぽり抜けてるから余計に懐かしく輝いて思える。入学式コロナ禍でしてないし…高校….。青春がいつかと聞かれたら中学って答えるな、私。

もうそろそろ先生達の異動の時期。今年も顧問かつ担任かつ大学の先輩であるM先生は残ってくれるかな….?(会いに行けよ)

大好きなんです。近くにいるってわかってるから安心してる。それで会いに行かない節があるからいざ居なくなった時に穴が開きそう。でももう三月の終わり。何を足掻いても決まってそうだからまたこうやって後悔を重ねる。

まだわかんないけど、残ってくれるって信じて。

異動するってなったら元のクラスの子達も集まるだろうな…そうなると私はいけない…うぅ…(そういう時だけくるやつとか思われたらすごく嫌だ…嫌だ….)

連絡してから行くよりもふらって中学に寄るのが理想なんだけど、卒業生でもアポを取らねば不審者だからね…ひゃー


昔話に時間を割いてしまった…春だなぁ。

どんな一年になるのでしょう。

いや受動的すぎるな。

んな一年にしよう!!!!!!

縮めて

どうしよ!!!!!!!

慌てるな、ゆっくり生きろわたし。