健康優良児の七夕

なんかいっつもnoteの始まり課題の話で「こやつ暇なんだな」って思われていそうで恥ずかしくなってきたので今日は違う話から始めようと思います。っていう前置きをしている時点で暇なのは確かなのです。暇確定。

今週は、課題が、少ない!!!!!
(溜めてるだけっておいっ)

本読まないとなぁ…読書しないとなぁ…個人的に読みたい本はいっぱいあるのですが、課題用に読まなければいけない強制本というものがこの世には存在していて…重い腰を上げてともいかず…課題の時には都合よくぎっくり腰を起こしています。いてててて…


スマホをあまりみないように〜とかを
したとて私の手元にはパーソナルコンピュータ、パソコン、つまりPCがあるので結局禁止しても見れてしまうのがなんとも。加えて課題をやるにはPC、つまりパーソナルコンピュータがないとできないんですよね…大学生から機器を取り上げるのは至難の業ですね。あ、コンピュータにーがついてないのはこだわりでもなんでもないですよ。Simejiくんがそういう変換にしてるだけです。Simejiくん、意外と歳上な言葉遣い。


課題か、アーティストか、曲作りか、しか話題がないのがすかすかな感じというか、なんかいけ好かない奴って感じ…。骨あるのに中身スカスカ。セノビック飲むか外に出ろー!外に出ろ的な話、よく友人とするけど、どんなにその時そう言ってても内心、外に出るのは億劫。外に出れば出会いがあるのは当然だけど、素敵なお話が聞けるのもそうだけど、夏の外はやだなぁ…。夏はしっかり夏眠しないと。夏眠、仮眠。夏こそいっぱい寝るんです。冷え冷えのおうちで、すやすやと眠り、起きてもぐもぐしてまた寝るの。それが夏、ぱつどらの夏です。暑がりだし外眩しくて目が痛いし、じめじめしてるし。冬が恋しい。いつか北欧に引越したい。夜長いし、涼しいし。4時ぐらいになるともう明るいのやめて欲しいね。せめて6時ぐらいに日の出お願いします。


歌詞を書いていて。
友人と既存曲のこととかこの歌詞が薄い、いい歌詞だあーだこーだとか色々話し、帰宅。ひと段落着いた後に自分で書いた歌詞を開いて見てみると、なんともスカスカに見えてしまって。いくつも曲をしまいこんだまま4ヶ月ほど経ってしまっています本当にだらしがない。
歌詞が薄いみたいなことを話していると、相乗効果じゃないですけど自分の歌詞すら脳内で友人らがいいねー!すごいねー!って言っている裏で「なにこれうっすだっさしょっぼ」って思っている様子がチラついて勝手に傷ついている被害妄想野郎が通ります。全然笑い事じゃないです。これ結構去年からずっと悩んでます。こういう表現お悩み系noteを書くと友人から反応を頂いたり、私はこう思うよみたいな反応を頂くのですが、これに関してはノータッチお願いします。「こいつほんとめんどくさいな、何度言ってもわかんないのかこのおたんこなす」って思うと思いますが、なんかやっぱり、距離が近しい人にこそ内面を知られたくないなと思ってしまうのです(変だよね、矛盾してるよね、note書いてるのに)。近くなれば内面を知れるのは当然だし当たり前なのに、内面=ダメなところみたいな認識だからさらけ出したくないというか、距離が遠かった時代の自分の像と、近くなって知ったダメなところのピントを合わせてみた時に「すかすかだったんだ」って思われるような気がして言いたいことがどんどん言えなくなってくる。
そういう意味で、自分を知られるっていうのは怖いことというか、ハードルの高い事というか。かといって距離の遠い人に自分を知られるのが良いのかと言われたら、それも違うし、嫌だ。

自分が仲良い人にこそ内面をさらけ出せないというか、さらけ出さなくなってくるって言った方が正しいかな。相手の意見を尊重というか、相手だって共感してくれたら嬉しいに決まってるだろうから、仲良い分自分のことはさておきで、そう思ってなくても共感を選んでしまう。自分を押し殺しているのではなく、自分に相手を入れる、相手に自分を入れるみたいな…言い方わかんないけど…


だから近年で言う推し活コミュニティーみたいなもので大衆が団結しているのを見るとすごいなぁ…届かない世界だなぁ眩しいなぁ…って思う。余計な言葉で関係ないかもだけどね…。習い事も趣味も考えることも全部一人で完結するものだったから、いざ2人以上の複数人で何かを話したり作るのは未だに慣れない。
一人で失敗したり、出来なかった時には自分を責めたり自分を練習させてレベルをあげていけばいい話だけど、2人以上だとそうもいかない。片方や他複数人のレベルが追いついていない時、指導して上げるよりも、自分自らが合わせた方が相手との関係性は悲しいことにいい物になるんだよね。みんなそれほど目の前の現状を良くしようとは思ってないみたいで。今を生きて、今を楽しんでるのに、今はどうでもいいみたい。
「協力して、力を合わせて、」って言う類の言葉が1番理解できない。



ここまで、全部相手の言葉を勝手に自分が乗り移って書いてるあたりこの人ちゃんと人の話聞いてるのかなって思っちゃうよね(ほらまた)。


1人の友人に限らず、周りの友人の何人かがが痛み止めとか(人にも差し出せるタイプのやつとか)、加えて個人用のもろもろの薬を沢山持ち運んでいて、大変そうだなぁと思うのは合っているのかと言われればちょっと違う気もするのですが、大変そうだなぁと思っています。大変そうだなぁというのは、私が健康すぎるが故に出てくる言葉なのだなと、思います。かなり健康優良児。骨折もなければ、虫歯も1度もない。内科外科の手術入退院もなければ、メンタルでの不安でお医者様にかかったこともない。月の痛みも軽い方だし、貧血も頭痛もほとんど無い。私は、なんにも知らないし、人の痛みを和らげてあげることもできないし、大丈夫?っていうのも違うと思ってしまう。(それでも大丈夫?って言うのが普通だし実際言っているけど、だいじょぶなわけないよな…って思う自分がいるのです。)人の痛み全てを知る必要は無いのはずなのですが、目の前で辛そうにしていたり、それこそ薬を沢山持っていながらも「沢山薬とか、痛み止めあるからすぐに助けられるぜ☆」みたく笑いに変えていたりすると「この人は私の何倍も辛いことを知っていて、尚且つそれと向き合っているんだな」と感じて、不謹慎ながらも良いなと思うのです。人の痛みに寄り添える人になりたいです。これ、七夕の願いね。

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ご覧の通り、いくつかまたnoteが倉庫へ。半年終わったからね。いつまでnote書いてるんだろうね私。あの、文体というか雰囲気暗いけど全然パワフルです。僕健康優良児なので。眠いけど。