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姉のはなむけ日記が届いて、また涙があふれた

岸田さんのマガジンを楽しみにしている私。
姉のはなむけ日記が連載されていた時期は、節電のために消灯された昼休みの執務室で、溢れる涙を拭いながら読んでいた。
暗がりの中、スマホの灯りでぼんやり浮かび上がるアラフォー女の泣く姿は、さぞ気持ち悪かったと思う。
そんな私が待ちに待っていた姉のはなむけ日記の本が届いた。

早速本を開く。
文字に沿って指を滑らせる。
言葉がより心に染みる。
1枚1枚、紙の存在を感じながら、
ページをめくる。
”画面”で読むのとは格段に重さが違う。
やっぱり紙の本はいいなぁ。

そしてやっぱり私は泣いてた。

飛行機で読むつもりだったけど、家で読んでよかった。
ゆっくり言葉を噛み締めながらよんだ分、昼休みのデスクで読むよりももっとたくさんの涙が出た。

前置きが長くなってしまった。読みながら考えたことを記してみたい。


姉のはなむけ日記を読み始めた頃、こんなにもスッと読めてこんなにも応援したくなる理由は、文章の素晴らしさに加えて、岸田さんやお母さんが良太さんに向ける優しい眼差しや、岸田さんの一生懸命さに心打たれるからだと思っていた。
もちろん、それも理由だ。それに加えて、
今回、本を手に取り、あららめて姉のはなむけ日記を読んでみて、私は岸田さんと自分を重ねているのだということに気がついた。だからこんなにも心打たれるのだ。

初めての子供が生まれた頃、
赤ちゃんだった息子の寝顔を見ては、どうか、幸せな一生を送れますように、と願った。できるなら、いつでもこの子の歩く道の一歩前を歩いて、この子が躓かないように道を均し、どんな小さな小石でも拾ってあげたいと思っていた。
でもそんなことはできるわけもない。
じゃぁ、私がいなくても、息子が自分の力で凸凹な道を歩けるように、転んでも立ち上がって歩いていけるようにしっかり、強くなってもらわなきゃ。
そして、
転んだら誰かに手を差し伸べてもらえるような子になってもらいたい。もし誰かが転んでいたら手を差し伸べてあげられる子になってもらいたい。
幸せな一生を送れるように。
私の子育ての柱はこの2本となった。しっかり、優しく。

母親になって10年以上になるが、そのバランスがまだわからない。
どうしてもしっかりして欲しいという気持ちが大きくなってしまう。
そして日々、接し方はこれでよかったのかと葛藤と後悔の繰り返しなのだ。
しっかりを求めるあまり、心を潰すようなことを言っていないか。優しさを求めすぎて、心を疲れさせていないか。子供たちはちゃんと自分を好きでいるのか。

姉のはなむけ日記では信念を持って良太さんに接している姿が描かれている。それから気持ちを素直に表現し、伝え合っている岸田さんご家族の姿も。
私に足りないものばかりだ。
岸田さんに自分を重ね、足りない自分に気づき、処理し切れない、このなんとも言えない感情が涙となって溢れ出るのだ。

これが、私が涙する理由だったのだ。

最後に、
岸田さんの表現をお借りすると、私は人見知りで、周りにがっかりされるんじゃないかとビクビクしながら生きている。

足りない私と、ビクビク生きる私。
足りないことは、補う方向が見えたし、
自分がびくついていることに気づいているならまぁ、いいかーと思えてくる。

本当に気付きの多い本でした。
ありがとうございました。
これからも応援しています。




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