自戒

・人は自分が恵まれた環境にいることや、恵まれた才能を持っていることを自覚出来ない。しかし、自覚せずに生きることは愚かなことだ。無闇に人を傷つけ、嫌われてしまわないためには、細心の注意を払う必要があることを忘れてはいけない。例えば私は両親が不仲で別居をしている。両親が別居していなくて、普通の会話が出来る家庭が心底羨ましい。もし「別にうちの親仲良くないし」と言われたって、「じゃあ毎日怒鳴り声が飛び交って、部屋の隅で震えて泣いてたまにとばっちり食らって暴言吐かれまくったり首絞められたりしたことあんのかよ、ないなら幸せじゃねえかよ、文句言うなよ」と返したくなる。恵まれた環境とは、特別な環境のことではない。本人は陳腐なことだと思っていても、それは誰かが喉から手が出る程求めているかもしれないくらいに価値があることかもしれない。私は大学に通えている。それは多少勉強が出来て、塾や予備校代、大学の学費を親が出してくれているからだ。大学でやりたいことを学べていることは、私にとっては普通のことと言ってもいい。しかし、親の理解がなかったり、金銭的に難しかったりしたら、私はいま大学に通えていないだろう。自分の普通は誰かにとっては遠い夢かもしれない。そのありがたみを理解しないで生きることは、本当に本当に愚かだろう。愚かにならないためにたくさん自分の当たり前を俯瞰し、感謝したい。

・自分の機嫌は自分で取らないといけない。自分の機嫌が悪い時ほどつい親しい人間に頼り、慰めることを求めたくなる。しかし、友人は決してサービス業ではない。親しい人間に対して、親切にして貰うことをさも当然かのように思うことは、あまりにも相手への配慮に欠けている。かなり緊急事態でない限り、頼るのは避けようとすることが望ましいことなのではないかと思うようになった。この話の延長として、「親しき仲にも礼儀あり」ということわざを忘れてはいけないと最近強く感じた。仲がいい人間に対して、つい「これくらいの冗談は許されるだろう」と思って、言葉を選ぶことを怠ることがある。しかし、親しいからこそ、言葉は常に慎重に選ぶべきだ。友達に不平不満は言いにくいものだ。この歳になって、いちいち注意してもらえたり、叱ってもらえたりするだろうと思うことは甘えであり、年相応の発想とは言い難い。知らぬ間に相手を傷つけているかもしれないということを常に念頭に、慎重に言葉を使うようにしていきたい。

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