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「桜なんてすぐ散るからいくら見ておいても良い」という合言葉を携えて色んな人と桜を見ている。今年の桜はなんだかボリューミーというか立派な気がする。地元がどこもかしこも桜が植わっているような街なので、少し自転車を走らせればそれだけで極上の花見になる。

いつもはこれで十分満足なのだが、今年はそれに加えて、友達とレジャーシートを持ち吉祥寺の駅ナカでサンドイッチやおこわを買い女児大歓喜デザインのシャボン玉まで握りしめて井の頭公園に繰り出した。人の海だった。皆陽気だった。

 今年は桜なんて見たくない。自分に進路ないことがつらい。桜は進路がある人のために咲く花だから、私なんかかが見てはいけない。見る資格がない。そう思っていた。

最近はひとまず、元気に明るく過ごすことに留意している。少しでも気を抜けば、途端に気分が釣瓶落としと言わんばかりに深く沈んでいきそうになる。しかしそれを表に出したところで誰も助からない。周りは進路がある。進路がある人たちに迷惑をかける訳には、足を引っ張る訳には、行かない。

私と関わってくれている人達が、私に進路がないから、という理由で離れていく様子を何度も想像している。ぞっとする。有り得ないと一蹴できない自分がいる。今はまだ良くても、もしかしたら。もしこのまま何も上手くいかず、この状態が長引いてしまったら、あるいは。

刹那を重んじる。今はまだ暗くなるべきではない。気分が張りつめていく。それでも元気に振る舞おうと決めた。

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