ラジオを聴き始めたきっかけ


ラジオを「聴く」と書くことになんとなくこだわってしまいます。


私がラジオを聴き始めたきっかけは、『関ジャニ∞横山裕と村上信五のレコメン!(文化放送)』です。

確か2010年頃から聴いていました。当時小学6年生です。

文化放送では22時からスタートですが、私の住んでいた地域では24時からしか流れないため、毎週眠気と戦いながら待っていました。今ほどインターネットに触れられなかったため、途中で寝落ちしてしまったらもうどこにもそれは残っていないというような、非常に個人的な体験でした。

あとレコメンの枠で金曜に放送していた文化放送『相葉雅紀のレコメン!嵐リミックス(文化放送)』も聴いていました。こちらは文化放送では30分番組ですが私の聴いていた局では1時間番組だったので、(引き延ばすための)極めて長いフィラーを毎週聴かされていたことを強く覚えています。

関係ないですが、ジャニーズタレントってラジオ番組かなり抱えていますよね。もし思春期にジャニーズにハマっていなければ、今こんなにラジオを聴くことも無かったと思います。


私にとってラジオはセーフティーネットのようなものです。


それを強く感じたのは、東日本大地震のとき。当時は中学1年生でした。津波の被害は幸いありませんでしたが、住環境の関係で3週間程度の避難所生活を送りました。避難所生活はプライバシーもクソもあるはずも無く、家族4人でブルーシート1枚の上での生活。仕切りも勿論ありません。寝返りを打とうものならすぐに見知らぬ人が隣で寝ているという状況でした。

そんな中、中学生で携帯も持っていなかった私の唯一の娯楽が、iPod nanoでラジオを聴くことでした。と言っても被災した直後は充電もできないため、1日15分だけと時間を決めて大切に聴いていたことを覚えています。ラジオを聴いている間だけは、現実から目を逸らすことができ、パーソナリティとリスナー(私)だけのパーソナルな空間に居れるような感覚にさせてくれました。


その感覚は今と全く変わっていません。今でもラジオは、大切な個人的な空間です。


その後にハマったラジオ番組は『関ジャニ∞渋谷すばるのスバラジ(NACK5)』です。この番組は、トーク・コーナーは勿論のこと、私は特に選曲を楽しみにしていました。好きな人の好きなものって気になるじゃないですか。そういう感じです。でも、この番組のおかげで私の音楽の幅も広がりました。こういうラジオの楽しみ方もあるのかと気付かされました。


ここまでが中学生時代です。これ以外も『福山雅治のSUZUKI Talking F.M.(TOKYO FM)』(現在はタイトルが変わっています)『山下達郎のサンデー・ソングブック(TOKYO FM)』『NISSAN あ、安部礼司〜BEYOND THE AVERAGE(TOKYO FM)』は父親の影響で聴いていました。

ここまで書いていて気がつきましたが、父親はかなりのTOKYO FM派ですね。父親もかなりのラジオ好きなので今もおすすめの番組を教えてもらったりするのですが、私が聴いているのと被っていたのは『Skyrocket Company(TOKYO FM)』だけでした。


ここまでのラジオの楽しみ方は、どちらかと言うと「好きなアイドルの普段聞けない話・こぼれ話を聴ける!」的な楽しみ方であった気がします。


高校生になり、『オールナイトニッポンサタデースペシャル 大倉くんと高橋くん(ニッポン放送)』が始まりました。この頃にはスマホを持っていて、radikoでラジオを聴くようになっていました。これが本格的にラジオにずぶずぶとハマっていくきっかけでした。

大体いつも勉強をしながら聴いていましたが、気が付いたら番組終わっていることもしばしばありました。

そのときに出会った番組こそが『オードリーのオールナイトニッポン(ニッポン放送)』です。この番組は(良い意味でも悪い意味でも)私の人格形成にかなりの影響を与えたと感じています。「大人」が深夜に集まって、世の中の建前やフィルターを取っ払い、自分の恥ずかしい話や世の中への妬み嫉みを話してくれる空間やただただバカをやる空間は、心の支えでした。素で話せる友人や大人がいなかったため、そんなことを開けっ広げに話してくれるパーソナリティの存在は、救いであり、毎週同じ時間・同じ周波数で集まることのできるセーフティーネットでした。

大手を振って歓迎されるわけでもなく、かといって排除されるわけでもなく、このなんとなくゆるい空気感が最高に居心地が良いものでした。