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前世少女に捧ぐ

はじめに

あるきっかけで前世少女、そして戦士症候群だった方々のことを再考する機会を得た。

前世少女戦士症候群も、1980年代のオカルト雑誌文通欄から生まれた、大層香ばしい案件である。

何のことを言っているのかわからないという方が多いと思う。

詳しくはnoteではない方の「ちゆ12歳」さんのサイトを御覧いただきたい。

今日は、その「前世少女」たちとオレの曲『霊能少女の繁栄と衰退』について書いてみたい。
先に言っておくけど、くっそ長いし、最後にちょっと怖いことになってしまっている。オレも驚きなのだけれど。


前世少女・戦士症候群とは

流れをすごく大雑把にまとめると

  1. 1983年に劇場版アニメ『幻魔大戦』が公開

  2. 影響を受け、「自分も使命を持った超能力者だったらいいのに!」と願う人々が大発生

  3. 『ムーの白鯨』などの各種アニメや漫画の影響で、「自分は前世からの使命を持っている」と信じたい人々が発生

  4. 上記2つが合体し「前世からの因縁があり、世紀末の今、最終戦争の戦士として目覚める」という物語に身を投じるメガロマニアが日本全国に溢れる(不思議なことに、彼らの9割は女性である)。

  5. 彼らはオカルト雑誌の文通コーナーで「前世の仲間」を探し始める(投稿された葉書)

  6. これらのムーブメントにヒントを得て、日渡早紀『ぼくの地球を守って』連載開始

  7. より過激に過剰にヒートアップしていく「前世少女」「戦士症候群」の投稿に危惧を覚えたのか、1988年6月 学研『ムー』は前世の仲間探しの掲載を打ち切る

  8. 1989年夏、徳島県にて3人の少女たちが「前世をのぞくために自殺騒動」を起こす

  9. 大騒ぎになるかと思いきや、ほぼ同時期に発覚した「東京埼玉連続幼女殺人事件」のショッキングさに塗りつぶされる

  10. そして前世少女は忘れ去られていった


当時のオレの立ち位置

オレがこの文通コーナーの異常さに気付いたのは1987〜88年頃だと記憶している。

つまりこのムーブメントの終盤、煮詰まりに煮詰まっている時期だ。

投稿された文面も葉書も、もう並大抵のインパクトではなく、美麗なイラスト、エキセントリックな言動、「最終戦争』に向けての思わせぶりな言葉など、箸が立つ程に何らかの濃度が上昇していた。

それを見た当時のオレが何を思ったか。
順を追って説明しよう。

① 初見
え!? え、え!?
前世の仲間!?!?!?
どゆこと???
この人ら、みんな前世の記憶あんの!?

戦士って何!?!?!?

文面から察するにその「最終戦争」とやらで戦うっぽい感じになってるけど、何なんですかそれは?
そんなの、マンガの中だけじゃなくって、ホントに「来る」んですか!?!?!?

だってそんなこと誰も言ってない。ニュースでも言ってない

なのに、ここの人たちは皆それが大前提みたいな空気で、その前世の仲間とやらを探してる……。

え!? 本気で言ってるの、コレ!?
どうなってんだ!? 世界!?

② 興味
こんな面白そうな祭りがあるんなら、ぜひとも乗っかりたいのだが!!
そのビッグウェーブに!!

③ 羨望
仮に、仮にだよ?

この人らの内の何割かは「ホンモノ」で、本当に「最終戦争の戦士」なんだとしたら……いや、そんなこと絶対に、絶対にあり得ないんですけど!!

あり得ないのはわかってるんだけど……もし本当なら……そんなドラマチックで特別な人生、羨ましすぎる……。

④ 憐憫
きっと彼らは現実での居場所をうまくみつけられなくって。

でも、自分は他の人達とは違うんだ、特別なんだって思いたくて。

現実で自分の価値を見つけられないから、だから彼らは「前世からの使命」「世界を救う使命」「特別な能力」が自分にあると信じたかったんだろう。

別に、この文通コーナーで本当に前世の仲間を見つけなくってもいいんだろう。

「前世の仲間を探している自分」という物語の演者であるために、実際にハガキを書いて雑誌の誌面に自分の言葉が記録される、というのは必要な行為だったんだろうね。。。


①〜②あたりを見るに、メディアに掲載されたものは全てが真実だと思うくらい、当時のオレは純心だったらしい。

③から④の間、一体オレに何があったんだ!? と問いただしたくなる落差だが。実際のオレの反応はこうだった。

①〜③までは一気に気持ちが燃え上がり、少し時間をかけて③から④へと熱情は冷めていった、というのが真実である。

『霊能少女の繁栄と衰退』について

『霊能少女の繁栄と衰退』
作詞・作曲・編曲:ハヤカワP

教室の片隅見上げ 首を傾げる君
何でもないよと言いながら こっそり渡されたメモ

開いてみれば仰天『あなたも見えてるんでしょ』と
何だそりゃ意味ワカンネ
そういや彼女のあだ名は「霊能少女」

呆れられているやら恐れられているやら
打たれ強い彼女は孤高の図書委員長
『霊の見える天才少女』って かつてTVにも出たらしい
今は昔 栄枯盛衰 もう誰も覚えてないけど

ギラリと輝く眼鏡の向こうで
ここじゃない何処かを見つめ過ぎているのかい?

見えなくてもいいよ
別に見えててもいいけど
僕は君のアイデンティティになんて
ちっとも興味は無くって
今はただやたらに瞬き繰り返す
ツヤ消しブラックの君の瞳に恋しているよ

放課後の図書室で 君は悲しげな顔して
「まだ思い出さないの?」って 僕に問いかけた
宇宙とか前世とか波動とか…どうでもいい
でも君には大事なんだろ やがては悲しき「霊能少女」

ギラリと輝く眼鏡は全ての
痛みを物語に換え 君を守ってるのかい?

信じててもいいよ
別に信じてなくてもいい
僕は君を包み込むおとぎ話に興味は無い
だけど今の君にそれが必要ならば
少しだけ何かを演じてみても悪くはない

嘘でもホントでも どっちでも良かったのに
「ホントは見えてないよ」って君は笑い泣き
「でも見えなきゃいけないんだ」って君が泣いてる

見えることにしようよ
ホントに見えててもいいけど
僕は君の物語を密かに愛し始めてる
いつの日かギラリと輝く眼鏡を外せる時まで
仕方ないな、と見守るから

信じてもいいよ
君を守る巨大なウソ
僕は君を包み込んだおとぎ話の立会人
今はただ真っ赤に腫らしたつぶらな
真実映さぬ君の瞳に恋しているよ

出典:オレ

2011年。まだそれなりにハヤカワPの名前自体が有効だった頃、オレはターゲッティングをした上でこの曲を作った。
今と違い、聴く人のことを考えていたわけだwww

では、誰に聞いて欲しくて、誰に向かって刺さるとオレは考えていたのか。

  1. 前述の「前世少女」から脱却した「元・前世少女」たち

  2. オレ同様、前世少女のムーブメントを傍観していた人たち

  3. 時代は異なれど、当時の前世少女と似たメンタリティを持った2011年の若者たち

オレが歌詞に込めたのは、あの頃の前世少女たちが「本当は言って欲しかった言葉」である。

それは、自分が「特別じゃない」ことを知っていながら、でも特別であろうと作り上げた虚飾の自分を認めてくれることであり。

かつ、その虚飾と虚勢の殻をすり抜けて、隠していた自分を優しく包んでくれる言葉であり。

そして今はまだその殻を脱ぎ捨てられないけれど、いつの日かそれを脱ぎ捨てる時まで、自分を優しく見守ってくれるという約束の言葉である。

なんともまぁ、都合のいい話である。

でもこれこそが彼女たちが求めていたものだろうと当時のオレは考えた。

身も蓋もない言い方をしてしまえば、「今の君が好きだよ」と言われてしまえば、前世なんてものもいらなくなるだろ、という話である。

ひどい。嫌な感じすぎる、オレ。

この曲の動画を作り、公開前に知人に見せたところ
「……すごくイヤな感じなんだけど」
と、結構な勢いで嫌悪されたことを覚えている。

ただオレには絶対的な自信があった。

伸びるか伸びないかはともかく、オレが表現しようと思っていることをきちんと形にできた実感があったから。

随分とニッチな層をターゲットにしたものだが、だがオレはその層に当てはまる人の数は決して少なくないと確信していた。
あの時代の『ムー』を読んでいた読者層の厚さに賭けていた

結果は……あの当時としては再生数20000台って、決して多くはないんだけれど、少なくはないよな、というほぼほぼ目論み通りの結果となった。


2022年に思い返して

そもそものきっかけは「前世少女」である。

不意に彼女らのことを調べなければならない状況(どんなんだろうねw)に陥り、久方ぶりに自分の曲も聴いてみた。

この歌詞のテーマに対して、どうして曲はスカパラ調なんだ!?と改めて思ったが、妙なミスマッチで逆にアリだと思う。今でも。


そして2022年にわかったこともある。

あ、これ、オレなんだ、とわかった。

何のことはない。
この曲の中に歌われている、特別じゃない自分に気付きながら、特別な自分であるために虚飾の殻で自分を隠し、そんな自分を認めてくれる都合のいい誰かを求めている少女

これは、たぶん10代のオレだ

曲を作った当時、オレは前述のような勝手なターゲット像を描き、しかもそれを揶揄するような上から目線で、そのターゲットに向けて曲を書いていた「つもり」だった。

そんなニッチな層の割に、やけに具体的なペルソナを描けているのも当然。彼女らに刺さると確信できるのも当然。

だって、その「架空の彼女ら」ってのは、オレ自身だから

だから、どんな気持ちかわかるし、どんな言葉が欲しいかわかる。
別にオレが前世の仲間を探していたってわけじゃない。
前文の前世少女に対するオレの反応を見てもらいたい。

あの頃、オレの中には彼女らを羨望する気持ちが確かにあった。

嘘でもホントでも、どっちでもよかったが、そんな風に「特別な自分」でいられる彼女たちを羨む気持ちがあった。

自分が特別でも何でもないことにオレは既に気付いてしまっていたから、虚飾だろうが虚勢だろうが殻でも仮面でも作り上げて、物語に乗っかっている彼女らを羨んでいた。

彼女らの様に、前世の仲間を探していると信じ込めるほど、メガロマニアになれるほどの強固な意志もなく、現実も見えた気になっていたから。

特別な自分になりたかった。

特別じゃない自分であることを、砂を噛むように日々味あわされながら、それでもなお特別な自分であることを強く渇望していた。

小説を書いたのも、マンガを描いたのも、ギターを弾いたのも、全部ぜんぶ特別な自分になりたかったからだ。
思春期の少年の多くはそんなものだとも思うが。


ただ、奇妙なのはここからだ。

特別になりたくて、なれなくて、徒労でしかないもがきを続けた過去の自分。

それはいい。

それはいいんだが、オレはまるで「あぁ、そういう奴ってあの頃いたよね」と言わんばかりに、自分じゃない誰かを作り上げて、その誰かにオレ自身の過去の煩悶を背負わせている。

自己投影、ではないんだ。

投影しているのではなくって、過去の自分を忘れ、自分以外のそういう奴がかつていたかの様に錯覚している

当時のオレが抱えていた煩悶を抱く別の誰かを自分の過去に捏造し、そんな歴史があったなぁと思い出した気になって作られているのがこの曲『霊能少女の繁栄と衰退』なのだ。

そして何より恐ろしいのが、そのことに2022年まで気付いていなかったということ。

どうした、オレ⁉︎ 怖っ!!
恐ろしすぎる……。
オレ、そういうタイプだったっけ???

前文「当時のオレの立ち位置」で書いた前世少女に対する自分の反応。
これの③から④への急激な掌返しも、そういう目で見れば何だか理由付けが出来そうに思えてくる。
やんないけど。
ちょっと直視したくないな、コレ。



ぜんっぜん話変わるんだけど、かつてオレはとある人に『前世で一緒にイギリス行きの船に密航した仲間』だと言われたことがある。
彼女が言うには、地球の意識レベル的な何かが下がっていて地球がヤバいのだそうだ。
で、一緒に地球を救おう的なオルグをされた。
「だが断る」
とはこういう時に使う言葉なのだな、と思ったね。
まさかオレも「一緒に世界を救おう」と誘われて断る人生が存在するとは思わなかった。

でも、こうなってくると全然彼女らのことを笑えない。
過去の記憶捏造して信じ込んでしまっていたとは……ホントに笑えない。。。


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