「虚々実々也我私篇」

「虚々実々也我私篇」
中山侑子の非日常的日常

この作品は、【虚構と事実】を織り交ぜた物語です。

「とある女優の生涯」
という作品に取り掛かっている。
キッカケはとある海外B級映画に出ていた名も無き女優の演技に一目惚れしたからだ。
明らかに低予算と分かる、売れそうも無い映画にも関わらず出演している役者の熱量は凄かった。この女優からインスパイアされ、女優の虚々実々を書きたい。気がついたらペンを走らせていた。

名も無き女優はきっと私生活でも波乱万丈なのだろうと妄想し、結果一番愛した男に捨てられて、死のうと思うが生への未練が断ち切れず、その場でもがきながら自分の生き様を問う。
という幕切れ。
波乱万丈な人生までは思いのほか順調だったが、その生き様を問う、を長セリフにして終わろうと考えアレコレ試行錯誤はするものの全く思うようにはいかず、書いては消し、書いては消し、で遂にペンの動きが止まった。
何を書いても薄っぺら。気持ちもふわふわ、言葉にもならなくなった。
セリフにしない方向でも書いてはみたが、納得はいかず。やはり最後はセリフで締めたい。
いつものコトだが、いきずまった。

生きた言葉は、妄想だけでは生まれない。何かが足りない。

ペンを置いて暫くして、旧友から連絡が来る。
この旧友、劇団をやっておりその公演の知らせだった。
旧友は自信のある作品しか知らせてこない。今回の知らせは久しぶりだった。かなりの自信作なのだろう。
何度観たコトか。当たりもあればハズレもあったが、観劇後芝居の話をしながらの飲みの席が楽しくて観に行っている、の方が正しいか。
しかし、このタイミングで観劇は何か意味があるのかも知れない。私は旧友にペンが止まっている「とある女優の生涯」の話をした。
旧友は話を聞き終えるや、ちょっとごめんと席を立った。帰ってきた旧友からメモを貰う。この人に話を聞いて貰ったら?
メモには連絡先が書いてあって、話は簡単にだけどしてあるから、とも付け加えて。
旧友が何かを感じ取ってくれたのだろう。
別れた翌日直ぐに連絡を取った。
その人が中山侑子さんだった。

侑子さんとの待ち合わせは歌舞伎町の路地裏にあるBARだった。文豪が通うBARだと知る。侑子さんの意気な計らい。
地下にあるBARだが、看板もない。侑子さんが細かく教えてくれたから良かったものの、教えて貰わなければ降りないであろう階段。暗く、足元がおぼつかない中降りると左手に重厚感のある扉がそっとあった。扉の中央に小さな「トビラ」の文字。冗談ではなく、トビラがその店名。重く、引っかかり気味に開かれた扉。
トビラの店内は意外にも明るかった。軽く店内を見渡すとカウンター席と4~5人掛けのテーブル席が一つ。カウンター奥には昔から並ばれているのだろう、気持ちよく整理されて並んでいる銘酒の数々。そしてマスターが一人。
「いらっしゃいませ。」
と、抑揚のない声で。
カウンター席の端に座っている小柄な女性が私に小さく会釈してくれた。中山侑子さんだった。

侑子さんの隣に座りお互い挨拶を交わした丁度いい頃合でマスターが、お飲み物は?と聞いてくる。私はあまりお酒は飲まないのだが、こんな素敵なBARに来てそれもなかろうと、ある銘柄のウイスキーのロックを頼んだ。
侑子さんの飲み物が気になった。その真っ赤なドリンクはトビラオリジナルのカクテルで「ローズ」というそうだ。真っ赤な色はトマトジュースベースだから。
ラフだが清楚感ある服装、そして丁寧な言葉使い。侑子さんの人柄がうかがえた。

侑子さんに会うまでは、直球で「とある女優の生涯」で詰まっているコトを聞いて貰おうと思っていた。
だが、その直球を直感に変えた。
強烈に引きつける魅力が侑子さんにあった。
侑子さんを知りたい、話が聞きたい。

侑子さんの奥に人影が見える。
あの名も無き女優だ。何故そこにいる?そもそも何故見える?幻覚を見るほどもう酔っているのか?

役者になるまでは紆余曲折いろいろあった。小学校や高校時代の演劇体験や、アニメーターになりたかった話等は侑子さんの魅力も相まってかなり面白かった。
親御さんの反対が大きかったが、祖母の口添えの助けもあり、劇団の養成所に通えるようになるも劇団を辞め、海外の演出家との大きな出会いが、役者人生を変えてゆく。その間長い間ダンサーも経験している。

特に印象に残っている話は、一番古い記憶の話。
3歳の時親御さんに連れていってもらったマスクミュージカルのコトを覚えているそうだ。親御さんも覚えているはずないと驚いたそうだが、私も驚いた。場所も武道館で演目も宝島なのもしっかり覚えている。
また、劇団養成所時代に、ダンスがダメで習いに行こうと有名なダンススクールに通うと、そこにはドラマ映画舞台で活躍している有名な俳優さん女優さんが体慣らしに通っているほどレベルの高いダンススクールだったが、そこに通った経験があるから怖いものはないと笑いながら話してくれた。

他にもいろいろな体験経験を聞かせて貰ったが、とにかくアグレッシブで、面白そうと思ったものにはすぐチャレンジする。
怖いものはないから、自らの道を開拓出来る。動き学び、その一つ一つの点が繋がり線になり、大きな流れになる。
侑子さんは軽い語り口で語るが、なかなか出来るコトでは無い。
聞き心地の良い声、話のリズムが軽快で聞いてる私がそのリズムに弾みそうになる。
丁寧に、真剣に、コミカルに語る侑子さん。
侑子さんの魅力がきっと役者の魅力にも繋がっているのだろう。

侑子さんの奥にはまだ名も無き女優が見える。
時々笑い、頷き、おどけたりしている。
何がしたい。何を伝えたい。いや、そもそも伝えるコトなぞ無いはずだ。

海外の演出家との出会い。
侑子さんに大きな影響を与えた。侑子さんはその演出家のコトをクレイジーと呼んだが、話を聞くと正にクレイジーで(褒め言葉)ピアノを燃やしたり舞台を水浸しにしたり。だがその自由さが好きだと語る。
侑子さんが語る中で出会いは本当に重要だ。
いい出会いを沢山している。それはさっきの点から線への話にも通ずる。
その流れで侑子さんに聞いてみた。
いい演出家とは。
お客様の為に考える人。分かりやすく作る必要はないが、お客様に優しくない演出家はどうかと思う、と澱みなく答えてくれた。
そこから一転して、言葉を選びながら続けて。
ワークショップでも、一見自由にやってと言い、意見も聞いてはくれてやらせても、最終的に自分を楽しませる演出家は好きじゃない。その人の為にやってる訳では無い。
相談するコトをオープンにしてくれる演出家。
自分で作ったプランニングで進めるより、プレイヤーのプランニングからインスピレーションでより面白いモノが作れる。いろんなプランニングを試しては崩す方が豊かなモノが作れる。その方が素敵だと。
海外の演出家はお客様に届けるようにやってくださいと言う。それに対して日本のプレイヤーはYes Batで返す人が多いが海外のプレイヤーはYes Andと返す。その方が演技が広がる。
海外の演出家はその日来てくれたお客様にとって最高のモノを観せるが大切な人が多いので急な演出プランの変更も当たり前。だがその気持ちを共有出来ているからその変更要求を楽しむのも大事、と語ってくれた。

侑子さんの奥にいた名も無き女優の姿が消えた。消えたら消えたで気持ちが落ち着かない。
居たら居たで気持ちが揺れる。

海外の演出家さんと沢山舞台を作られている侑子さんならではの話。
ふと、日本と海外の演出家はかなり違うな、と感じた。その違いとはなんだろう。
それも侑子さんはキッパリと答えてくれた。
まずは、作家と演出家がしっかり別れているコト。
言葉を届けるコト。役者の雰囲気や気持ちを届けるんじゃなくて内容を届ける。
とある大きな劇場、あまり声が響きにくいとのコトで色んなところに座って声を確かめて欲しいと演出家。そして声を届けるのは最前席のお客様じゃない、三階1番奥のお客様に届ける。
届ける、と言う言葉が心に残った。
そして海外の演出家は、
「作品ありき、お客様ありき」

名も無き女優がまた姿を現した。
そして揺らめきながら、侑子さんと重なり、やがて同化したように見えた。何をしている。何がしたい。

ものすごく順風満帆に見える侑子さんの役者人生、だが苦しい辛いもあると言う。実際やっていて行き詰まるコトが多いと。
普通に役者が通る苦しみは感じている。セリフ覚えも大変だと苦笑い。
年齢的なコトもある。若い現場に入ると一歩引いてしまう。そこに無理やり入るコトはない、相手に気を使わせたくない。
コミニケーションと言う意味では苦労している。
自分が習っているベース(新劇)と小劇場のベースが違うからなかなか上手く噛み合わない。
意見を言ってもそれはあなたの意見でしょ?と返されるとそれ以上の会話にならない。海外の演出家はそれもあるねと応えてくれる。そこに窮屈を感じるコトが多い。

日本の演劇界でよく見られる、演出家が頂点のピラミッドがある。その変な縦の構造の中で無駄な努力はしたくない。
その言葉には説得力があった。侑子さんの本音だろう。
いろいろな思い、経験があって今の侑子さんがある。

今の侑子さんは、コロナ以前に繋がっている人とも繋がっているが、今また全然違う人達とも繋がっている。卒業したんだって人もいる。
今が人間関係の転換期だと言う。いろいろあったというより確実に付き合う人間が変わった。今年特に演劇だけで生活しているから、というものある。
点から線、そして流れへ。
人間関係もそのようだ。もちろん侑子さんの行動力と人柄も大いに関係しているだろう。

名も無き女優が侑子さんと重なりながら揺らめく。
名も無き女優よ、何を感じてる。何を思う。
名も無き女優が何かを言いたげにこちらを見る。だが、言葉にはならない。

歳をとるとアーキュレーションが悪くなるとか身体的な問題もあるが、それを補う深みが出せる。居住まいとか。
失うモノもあるけど備わるモノもある。
歳をとると、
「そこに居る」
が出来る。
究極それが役者に求められるコト。
侑子さんの言葉。

これは役者に限らずどんな表現者にも求められるのではないか。
「そこに居る」
そこにあるもので全てを表現出来たらどれだけ素晴らしいコトか。

最後まで侑子さんは丁寧に分かりやすく、そして敬語で語ってくれた。
笑顔も真剣な眼差しも、軽快な語り口もリズメ良く出てくる言葉、思い、感情。全てが魅力的だった。そしてそこの見えない深み。
もっと覗いて見たいと思った。

その時、名も無き女優は侑子さんから離れ、私の耳元で囁いた。

「私を、もう一度殺して。」

そうか。それだったのか。名も無き女優の生きた言葉。そう言いたかったのか。
生きてる役者に触れ、生きてる言葉を聞き。
それならそう届けよう。そうなるよう伝えよう。。
もう頭の中で点から線、そして流れになりつつあった。

侑子さんは最後までお客様と言っていた。
侑子さんにとっては当たり前なのだろうが、今の表現者でお客様と心から言える人がどれほどか。私も身が引き締まる。
そんな侑子さんのお客様への思いが詰まった言葉を最後に。

「作品の最後のピースはお客様。」

[完]

中山侑子
「3度死にかけた女」
「雨雲避け女」
興味があるならまず飛び込む。
年齢は会った方のお気の召すままに。

Twitter
@you9812

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