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2冊の母子手帳とフラペチーノ

ゴールデンウイークが終わり、子どもたちはそれぞれの学校へ、夫と私はそれぞれの職場へ馳せ参じる日常が戻ってきた本日は火曜日。
自宅を円の中心として、自家用車でそれもかなり狭い円の中で過ごしただけのゴールデンウイークであったはずなのに、まるで遠い異国の地から帰って来たかのような、この時差ボケのごとき脳みそのグダグダっぷりに我ながら感心する。
久しぶりの出勤、今日はほとんどリハビリをしただけで終わってしまった。
明日はもうちょっと動けるかなぁ・・・。

あまりにボケボケしていたので、今日が長女の通院日であることもうっかり忘れていたが、そこは母より脳みそがフレッシュでしっかりしている長女のおかげで病院をドタキャンせずに済んだ。
「ママ、今日病院5時よね?部活せずに帰って来るからね!ママも間に合うように帰っておいてよ!」
・・・おぉ、ありがとう長女よ。さすが我が家のリマインダー⭐︎長女。

通院に必要な診察券、健康保険証は母子手帳と同じ場所に保管しているので、久しぶりに保管場所をゴソゴソする。
我が家は子どもそれぞれに、母子手帳が2冊ある。
1冊は、子どもを産んだ女性(実母というか生母というか)の名前で発行されたもの。
もう1冊は、私たち夫婦を父母として発行されたもの。

我が家は子ども2人とも、幼少期から折に触れ告知をしてきたので、特別養子縁組で家族になったことは理解をしている。当然、母子手帳についても2冊あることを知っているが、とりわけ長女に至っては、2冊の母子手帳を一時期よく眺めていて、自分を産んだ人は何という名前で今何歳なのか、背は高いのか低いのか、勉強はできたのかできなかったのか、どんな顔なのか、どうして自分を妊娠して産んだのか、産んだのになぜ育ててくれなかったのか、育てられないのにどうして産んだのか、産んだ時どんな思いだっだのか、自分には血のつながった兄弟姉妹がいるのか、どうして養子に出すと決めたのか、どこの何と言う病院で出産したのか、その時のお医者さんや看護師さんは事情を知っていたのか、どうやって自分は今の家までやってきたのか、産んだ人は出産した日=つまり自分の誕生日を今でも覚えているのだろうか、等々ありとあらゆる疑問を私に全力でぶつけてきた時期があった。

ママはどうして私を育てようと思ったのか
自分に子どもができないとわかった時、どんな気持ちだったのか
自分のお腹の中で赤ちゃんを育てて産むことができないと分かって、それでじゃぁどうして血のつながらない子どもを迎えて育てようなんて思ったのか
自分を産んだ女性に直接会ったことはあるのか
いつの日か会うことはあるのか
家族になって良かったと思っているのか
やっぱり血のつながった子どもの方がいいなって思ったことはないのか

湧き上がる疑問を言葉にし、直球でぶつけてくる長女に私ができることは、知っていることは知っていると言い、知らないことは知らないと言い、私が考えていることをただ言葉にして長女に届けることだけだった。
取り繕っても仕方がない。誤魔化さずに向き合うことしか、私にはしてあげられない。

ママのお腹から産まれたかった、そう言って長女は泣いていた。
そっか、と私は答えた。

長女が自分の出自に関する疑問を口にする時期が、いつ頃始まっていつ頃終わったのか、思い出そうとしても思い出せない。
いつの間にかその話題は減り、今ではほとんど口にもしなくなった。
たまに健康保険証が必要になる時、あ、久しぶりに見たわー母子手帳!え、パパとママの子どもになってなかったら、私の名字って○○だったん?名前と合わない感じするわぁー変な感じするぅ!とふざけているくらいだ。

今日の診察も無事終わり、病院頑張ったから帰りにスタバでフラペチーノ買ってよと、こういう時だけ小さな子どものように可愛い子ぶる長女を助手席に乗せて帰路についた。


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