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神様の使い

沖縄にして正解だったな、と思った。

11月も半ばだというのにまだまだ暑い。背中にツーッと汗がつたうのが分かった。けれど重すぎる荷物が、まったく嫌ではなかった。

今しかないような気がして、わたしは1週間の休みを取った。

再来月には会社をあげての大きなプロジェクトを控えていて、同期達は準備に明け暮れる毎日だ。もちろんこのタイミングで、有休をとる無能な奴はいない。周りの白い眼も、先輩の小言も、気づかないふりを決め込んだ。午前中のミーティングには毎日リモートで参加するという約束をさせられて、ようやく沖縄へと逃げてきた。

あさって、わたしは誕生日を一人きりで迎える。

いよいよ三十路に突入。「20代のうちに結婚しようね」と言っていた彼とは、先週別れた。彼の浮気だ。5年も付き合っていたのに、彼の嘘に何ひとつ気づかなかった。結局わたしは、自分が見たい部分しか見ていなかったのかもしれない。

彼を失った辛さなのか、思い描いていた未来が崩れた喪失感なのか、居ても立っても居られなくなって南の島に行こうと衝動的に決めた。いつもの風景の中にいると、気がつけば泣けてくる自分がみじめだった。とにかくあったかいところでボーっとしたい、そう思っただけ。

ホテルはちょっと豪華にした。

欧風リゾートを思わせるオレンジ色の瓦屋根や白い漆喰の壁、どこからでも海を見渡せる庭、広々としたプール。ガゼボのバーカウンターには楽しそうに笑うカップルがいた。わたしは海に沈む夕陽が見られるかもしれないと、ビーチへ足を運んだ。

波の音が心地いい。

深呼吸した。今まで息をしてなかったんじゃないだろうかっていうくらい、空気が身体中を巡っていった。

わたしは腰をおろしてエメラルドグリーンの海をじっと眺めた。

ふと足元にヤドカリを見つける。ちょっと大きめのヤドカリ。最近ヤドを替えたばかりなのか歩き方がどこかぎこちない。可愛くて思わず笑ってしまった。写真におさめようとカメラを構えるとすぐに身体をヤドに隠して動かなくなる。お互いジッとして我慢比べ。気を抜いて視線を外すと、またすぐにヤドカリは小走りに動きだした。ヤドカリに遊ばれてる!おかしくって、夢中でヤドカリのあとをつけた。

「どこへ行くんですか?」

ふいに片言の日本語で話しかけられた。声の方向へ振り向くと、白人の青年と日本人の男の子がいた。日本人の女の子2人も一緒のようだ。

「あ、ヤドカリ。撮りたくて……。」

ヤドカリごときに夢中になっている自分が急に恥ずかしくなった。気まずくなって、すぐにわたしはもと来た道を戻った。

何だったんだろう。今の……。

女の子たちと一緒にいたのだから、ナンパじゃないはず。女の子から全然ウェルカムじゃない視線を感じて居心地が悪かった。青年の質問だけ、無邪気な感じがした。

それにしても「どこへ行くんですか」って変な質問だなと思い出して、一人で笑ってしまった。夕陽はまた明日でもいいや。まだ、わたしのバケーションは始まったばかりだし。

夜ごはんを食べ終えてから、庭を散歩することにした。ところどころに松明を備え付けてあって、あたたかみのある炎が優しく庭を照らしている。ビーチに人だかりができているのを見つけて、近寄ってみることにした。

それはファイヤーショーを囲む人たちだった。海をバックに一人の男性がパフォーマンスを繰り広げている。どうやらもうクライマックスらしい。バトンの両端に火をつけてぐるぐると回しながら、口から大きな火を噴き出すと、周りが一瞬明るくなって、とても綺麗だった。

「あ、ヤドカリの人だよね」

横から声をかけてきたのは、夕方ビーチで出会った日本人の男の子だった、らしい。”らしい”というのも、わたしは全然、顔を覚えていなかったから。ファイヤーショーをしている青年は、俺の友達なんだと教えてくれた。

「なにか僕が悪いことを言った?てカレ、あのあと気にしてたよ。」

そう言って男の子は笑った。わたしがあまりにも一生懸命な顔でファインダーを覗く姿に、白人の青年は興味を持ったんだそうだ。しばらく話をしていると、パフォーマンスを終えた青年がやってきて嬉しそうに言った。

「あ、ヤドカリの人だよね!」

さっき男の子が言った言葉とそっくりすぎて、私たちは笑った。思わず大声で笑ったせいか、すぐに打ち解けられた気がした。

青年はあまり日本語が得意ではなかった。

「これから打ち上げするから、ちょっと待ってて!」

早口な英語で多分そんなことを言って、どこかに駆けだしていってしまった。誰か他にもやってくるんだろうかとソワソワしていると、青年と男の子がニコニコして戻ってきた。私たち3人きりなんだ、とわかるとなぜかホッとした。

青年が手渡してくれたビールで乾杯するとすぐに、男の子がギターを弾き始め、青年が歌いだした。あまりにも楽しそうに歌うから、聴いているわたしもすごく楽しくなった。わたしは歌えなかったけど、ほんの少し身体を左右に揺らしているだけで気持ちが開放されていくのが分かった。

青年はカナダの出身だと言った。

大道芸のパフォーマンスで世界中を旅している。男の子とは沖縄で出会ったそうだけど、二人は昔からの友達のように息ぴったりだった。彼らはこの近くに一緒に住んでいるとのことだった。

ここが一番お気に入りの場所だから、毎晩ここで乾杯するんだ、とも教えてくれた。

話は尽きなかったけれど、ビールを飲み終えたわたしは部屋に帰ることにした。明日のミーティングの準備をしていなかったのも気になっていたから。

「また明日も来てね!ここにいるから!」

と青年が笑った。わたしは来るとも来ないとも返事できずに、はにかみながら今日のお礼を言った。

帰り際に「ねえ、楽しんでよ!毎日楽しんで、毎秒楽しんで!どんな時も楽しむんだよ!」と青年が言った。

その言葉がズシンと心に響いて、わたしはその晩あまり眠れなかった。

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翌日の晩、ドキドキしながら昨日の場所に行ってみた。

今日もいるのかな?本当に来たって思われたらどうしよう?気恥ずかしさみたいなものに包まれながら行ってみると、青年が満面の笑みで出迎えてくれた。

「Good morning!Beautiful!」

そうわたしを呼んで手招きする。

それから、どの時間帯でもGood morningであることを説明し始める。青年の語り口調はソフトだったけど、真剣なことを話しているのが分かった。

「人生はお祝いだ!」

青年の号令に合わせて、私たちは笑顔で乾杯した。青年は屈託のない顔をしていた。夜の海はキレイだった。青年と男の子の談笑を聞いていると、暗い海も明るく見えた。急に世界が広がっていくような気がしていた。

ふいに青年が「さぁ、行こう!」と手を差し伸べる。

なんだかすごくワクワクするようなことが待っているような気がして、その手をつかんだ。ビーチの端っこに、青年が昼間見つけた砂利の場所があるのだという。波に削られて丸くなった石ころたち。その上を裸足で歩こうと誘う。男の子もわたしも、キャッキャッと声をあげながら天然の足ツボマッサージを楽しんだ。

しばらくして、ゆっくり静かに歩けば少しは痛みがマシになるという方法をあみだして、三人でそろりそろりと砂利の上を歩いた。歩きながら青年は静かに言った。

「今、足の裏が痛いのを、心は感じているかい?心も身体も魂も、すべて繋がっているんだ。ひとつじゃなきゃいけない。バラバラにしちゃいけない。」

そう言われて、本当に心も魂も痛がっているのか、神経を集中してみた。心や魂が実際はどこにあるのかよくわからなかったけど、どうにか心も魂も痛がっているような気がして、安心した。

月明かりの下で、とても尊い儀式に参加している気分だった。

その帰り道、青年はいろんなことを教えてくれた。世界中のあちこちに行こうと思い立って、ファイヤーショーを練習し始めたこと。アフリカでの生活。フィリピンで出会った人たちのこと。争いに巻き込まれて悲しい思いをしたこと。

「いいかい、人生はメニューなんだ。メニューには色んな料理の名前が書いてあるだろう。レストランに行って僕たちは食べたいものを注文する。それと同じように自分がやりたいことを選ばなきゃ!そのとき食べたいものを注文するように、本当に今、やりたいことを、自分で選ぶんだよ。」

男の子もわたしも黙って聴きいっていた。青年の声が波の音のように心地よくて、ずっといつまでも聴いていたいと思った。


その次の晩も、いそいそとあの場所に行ってみる。けれどそこには誰もいなかった。ガッカリした。

毎晩ここで乾杯するって言ってたのに……。急に恨めしく思った。今日はわたしの誕生日だっていうのにな。

けど友人の多い彼らのことだ。どこかでパフォーマンスを頼まれてやっているのかもしれない。どこかでまた陽気に歌っているのかもしれない。

手持ち無沙汰に砂浜をこねくりまわしながら、青年の言葉を思い出していた。大事な言葉をたくさん与えてくれた。そう思うと感謝の気持ちが湧いてきた。

彼らには、もう二度と会えなかった。

あれから何度季節が巡っても、ふとあの言葉を思い出す。

カレは神様の使いだったんじゃないかな、そう信じている。

「Everytime enjoy!! Beautiful!」




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