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大人になったけど2番目に好きな人が分からない

大人になった。既読無視も未読無視もスルーできるようになったし、やたら小さかったり丸っこい字はいつの間にか書かなくなった。突如姿を現す広告の片隅の申し訳程度の×を器用に弾く深夜に「よった」を予測変換すると「寄った」より先に「酔った」が出てくる。好きな人に見てほしいだけのためにストーリーを上げることはもうない。昔買ってもらって薬指にはめてた指輪は今となってはピンキーリングとなった。

幼稚園の頃になりたかったお花屋さんもケーキ屋さんも、今は専らそれらを享受する側であることに十分満足している。本当に好きなことを仕事にするというのは、そのものを通して良い面も悪い面も見るということであって、それに携わることに喜びを見出すか、それを見ることで仕事のマイナス面を連想するくらいなら仕事ではなくただ好きなままでいたいとか。本当に好きな人と結婚するより2番目に好きな人と結婚した方が幸せとかもこの類の話なのか。

日本一高い山は有名でも日本で2番目に高い山はあまり知られていないように、いや、それと関係あるのかは知らないが2番目に好きな人なんて存在しない。すごい好きだった人と叶わなくてってことなのか。

でも2番目なんてあとから分かるもので5人付き合った上で3番目に付き合った人が2番目に好きだなって思ったところで今付き合ってるのは5人目の人なのだからどうしようもない。そのときそのときでちゃんと1番に好きな人といたい。あるのは1番だけである。少なくとも私の中では。

大人になるというのはこんな屁理屈を並べるということなのか。そもそも自分が2番目の女になるということを許せるということなのか。2番じゃダメなんですかが話題になった事業仕分けを思い出す。

帰りがけに寄ったドーナツ屋のイートインスペースで何気なくそんなことを考えてたら、コップの半分以上はあったはずの氷がすっかり溶けてアイスティーがすっかり水っぽい。

薄まったアイスティーの冷たさを舌の先で感じながら返却台にトレイを載せるとお店の人のありがとうございましたの声。外に出て見えた夕焼けは色は薄く一緒くたであまり綺麗ではなかった。そんなすぐにでも忘れてしまいそうな夕焼けを見ながら私も誰かの1番になりたいなと呟いた。

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