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星が綺麗な夜だから

どうも皆さんこんばんは。お久しぶりです。3か月もの間、地中深くに潜っておりました。

いや、むしろ竜巻に飛ばされて、いつもいる地上から離れ、ふわふわとどこに寄る辺もない空中に放り出されていた、というほうがあっているかもしれません。

自分から始めたにもかかわらず3か月も留守にするとは、なんとも恥ずかしい限りですが、でも本当に、地に足が付いていないときというのは驚くほど言葉が出てこないのです。言葉を出そうとしてもうまく出てこない。絞り出す言葉は何とも不安定に揺らぎ、口に出した瞬間にその輪郭を失い、この世界に放たれたと同時に消息を絶つ。

いや、むしろその言葉はそもそもが自分の言葉でもない。何か言葉を発さねばという圧力によって絞り出されたうめき声のようなもので、この3か月間、自分が発していた言葉がすべてそんな意味のなさない枯れた音だったようにも思えてきます。

自分自身とつながっていないとき、社会という名の亡霊に憑りつかれているとき、人は言葉を発することが出来なくなるのだと、今まで何度も経験して味わってきたこの苦しみを、この3か月もまたずっと感じてきました。

はぁ…

以前、瀬戸内海にいるスカラベは、失われたhの音について話をしていた。認識のできない音、かすれるような音。

正確に数えてはいないが、この3か月の喫煙量は過去最多を記録したと思う。そしてその時、煙と共に口から出していたのは、はぁ…というため息に他ならなかった。どうしても言葉にならない思いたちを、何とか外に出そうと、たばこの力を借りて、外に出す。はかないh音と共に、煙はゆらぎ、消えていく。そうして自らの中にたまり、爆発しそうな思いたちを外に出してやることで、何とか自分を保つのだ。

瀬戸内海種はまたこうも言った。その失われた音について思いを馳せる時、何よりも心奪われる他者がそこにいる。と。(趣旨は違うような気がするけど気にしない)

ならば、その吐き出された煙の中にも、なにか大切なものがあったのかもしれない。
今はまだその煙たちを回収することはできそうにないが、自らの中に潜んでいた、煙に化けた他者たちを、今度は面と向かってお出迎えすることが、いつかできたらなと思う。そこには自分の中にいる言葉に現れない他者たちがいるはずだ。

星が綺麗な夜だから

なんだかわけのわからない文章になってしまったが、今日はどうも星が綺麗である。どんなに満点の星を見上げても、自らがここにあらずではきれいだとは感じることはない。反対に、都会の夜にも、どうしようもなくきれいだと感じられる夜がある。

星が見えますか 星が見えますか
ああ 星が そこから星が見えますか
いくら見上げても 僕には見えません
ああ 星が 今日の僕には見えません
願いをかける 星さえ見えず
そんな気持ちなんです
都会の空に星を下さい 雲のすきまに星を下さい
『星をください』THE BLUE HEARTS

何はともあれ、今日の僕には星が見える。それだけでも救いだ。

みんなが幸せでありますように。
高校時代から星につぶやいていた言葉を、今日なら口に出せそうだ。



リハビリのような文章になってしまったが、今回はこんな感じで終わらせよう。早くみんなの言葉が聞きたい。

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