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ま、ま、ま、

波間、人の間、時空の間
「間(ま)」に無性に心を奪われる。
そこには無限の可能性があるようで、
とはいえ何かの間。限りもあるはずで。

それは例えば夏の訪れを感じた時、これから起こる無限の楽しみに思いを馳せ、
そして夏の終わりを感じながら、寂しくも振り返るあの時の感情に似ている。

波間

私の人生の砂浜には数知れず大きな波が打ち寄せ、それに翻弄されている間に時が過ぎてゆく。今も波と波の間にあって、さっきまで翻弄されていた今はなき波の姿を思い出そうと必死になっている。
そしてこれからやってくる次の波に備えるのだが、どうにもそのタイミングがつかめない。そうしてまた突如来た波に翻弄されながら時を過ごすのだ。
あわよくば、次の波にはしっかりと乗って、風を感じながら楽しみたい。波にのまれるのではなく、波に乗って、波打ち際まで辿り着いてみたいものです。

人の間

私の仕事は、人と人の間にあるものを見つめ、人の間にある可能性を信じ、そこに生まれゆく小さな光を愛でることだと思っている。人と人の間にまちは出来、人と人の間に幸福は生まれる。人の間に揉まれて人は育ち、人の間に揉まれて人は生きる。
人と人の間には、横軸に空間、縦軸に時間、そしてその交わるところに、「間(ま)」があるように思う。
人の間の空間には、その人々による距離感があり、この距離感がコミュニケーションを規定する。そしてその距離感は生き物のように日々変化して、当事者たちを翻弄しながら、その一瞬の交わりに歓喜もする。酸いも甘いも距離感が生み出すのである。
そしてその距離感の軌跡が、時間を経て刻まれていく。二人の距離感が合わさった時の喜びも、合わなかった悲しみも、人の間にたたずむ時間の像に彫刻されていく。
2か月前、私はある人と、その間にある像をともに掘っていくことを誓った。そこにどんな彫刻が出来上がるかはわからないが、とにかく、一つの作品を二人を中心に作っていこう、ということを決めたのである。

生まれてから死んでいくまでの間の時間に、どんな像を誰と作るのか。それは人それぞれだけれど、長い時間をかけて、自分の感性だけでなく、人と感性をすり合わせながら育てていく作品が、どのようなものになるのか、そんな好奇心に導かれての決断だったように思う。

時空の間

人と人の間の空間と時間、距離感と奥深さが合わさるところに、「間(ま)」は出来る。
それは一瞬の光であり、永遠に続く光線でもある。
それは人を温め、癒す力を持つ。
それは人の間の像を大きく刻み、これからを見渡す足がかりになる。
そんな一瞬の間を、創り出していけたら。

これからも、人のあわいに生き、人のあわいを泳ぐものとして、波間に立ち現れる刹那を逃さずにつかんでいきたいと思う。

P.S.
「間」の漢字の起源は、門のすきまから月が見える様からきているようで、とても示唆的で感動しているすばるくんでした。遅くなってごめんね。

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