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私の問題だったんだね・・

わかってる。
わかってます。

そうです、私の問題だったんです。


これが私の言い分です。

こんな文章から始まる、私の問題に気づいて
腑に落としたところのスピナビ oga です!

ここのところどんよりな感じの記事ばかりで
沈み放題沈んでいるわけです。

こんなに潜在意識の中で
へばりついていたある問題に。
といっても私の一部になりすぎていたこと。

それが、ひらりひらりとはがれて浮いて出てきて
スーッとすくわれ、ポイっと捨てられた感

昨日の満月では、「もうこれでおしまいにしましょ!」と
バタンと扉を閉ざされた。

それは、私の反復思考からの違った妄想もある。
それは、焦りからくる緊張
それは、先を急ぐ私の心
それは、自分の回答がどこかで話されていることを
    気にするコントロール思考
それは、自分を認められない自己肯定感の低さ
それは、自分のポジティブ思考からくる下落感
それは、相手も自分も信じられない、疑い深い心
それは、私ってなんてかわいそうなの。」という自己憐憫


こういうことは、今まで何度も投稿している

勿論、人生の中で・・

なぜ?こんなことばかりと思う


何かが起こった時、自分が出やすい。

私の問題に、私が気付かずに
目を背けていると

私の持っている問題=私の持ち物と同じようなものを
持っている人が目の前に現れて

問題が解決されると、解決されなくても
気づくと問題ではなく、それ持っていたのね。

同じだったんだね。
時間が経って気づくこともあれば、瞬間的に気づくこともある。

憧れの人は、かけ離れた人
嫉妬するのは、自分より少しだけ良いものを持っている人
たいしてか変わらないと聞いたことがある。

かけ離れた人に嫉妬はしないようだ。

でも、良く見えたり、自分とは全く違うように
見えたりするのは、あくまでも自分の色眼鏡のようだ。

その日その時の感情だったり、その時々の調子だったり
晴れと、曇り空と夜空が違うように

同じ人、同じもの、同じ事柄、同じ状況も
全く違うように私たちの目の前に現れて見える

心にあるものから頭で思考となりぐるぐると考えてしまい
目の前に状況としれて映像化するとも言われるように
私たち次第で、目に映るものは変わる。

だから、私の問題のようだ。


今まで、人のせいにしてきた。
辛かったから。苦しかったから。
怖かったから。逃げたかったから。
認めたくなかったから。

自分という人間が、自分を作り上げていく過程で
体は、動物と同じような成長を遂げる。
生きとし生けるものとして

でも、心は成長しているのか・・
こんなにも同じ教育を受けようと、同じ人間などいない。



蓮の花に例えて心の中に潜ると・・

蓮の花が夢希望の開花だとしたら・・

まさに、蓮の花を咲かせようというより
泥水で育った蓮の根があって
花が咲くことを願っているわけだ。

あんなに幻想的で、天空の花ではないか!と思うほど
魅了させられる花はない

蓮根はレンコンとして調理したらシャキシャキ食べて
人間の腸内も綺麗にしてくれる。

夢や希望を開花させるには泥水の蓮根を例えると
自分の今の状況もどんな感じか
想像して、卑下しなくてもいいかと思う。

問題は泥水ではなく、
泥水があったからこそ必要な栄養だったと解釈。

これからも”私”という人間と
とことん向き合っていこうと感じた
満月の日を迎えた。




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