ずっと解像度が低い
・解像度が低いんすよ
・ずっとピントがずれたまま生きているような感じがする。
・少なくとも私は「自分にどこかバグがある」と思っている。
(これは私の家庭環境のせいでは無く、単純に私個人のパーソナリティが原因である。)
※これと同じ感覚の人がいるかは知らないけど、いてもおかしくないし、いると思ってる。
生きてる中で少なからず「何かよくわからない」という気持ちをずっと抱えている。
勉強しても、音楽理論を学んでも、頭の中にスっと入ってくることが少ない。今も本当に分からない。
そのおかげでだいぶ人を傷つけてきた。人を傷つけたということに思いを抱えてきた。
人を傷つけた、という罪悪感のおかげで、最近は人とのコミュニケーションでは「わかる」という感覚が増えてきた。
「分からなければ人を傷つける」からだ。死活問題に近かった。
・人を傷つけるのは、傷ついた人がいるから傷つけた側は悲しい、苦しいとは言えない。言いたくない。
罪悪感を覚える頭があるなら傷つけないように行動しなくてはいけない。
その人の人生に関わらないのが唯一出来るの贖罪だったりする。
・傷つけられた側が理に反していても、「傷つけられた」という視点を持ってしまう時がある。
Ex.)約束を破った人を責めたら、責めた言い方や内容で傷ついてしまった みたいな感じ
傷つけられた側は、自分が理に反していたという手前、「悪くない部分もある」という側面もあるのかも分からない。
不安な時は不安なだけでなく、誰かを批判したくなる時がある。これも悲しいことだったりする。
故にちゃんと生きなくてはいけない。
でもちゃんと生きれるほど人間はよく出来ていない。そういう部分が多い。
ちゃんと生きてる人はすごいと思う。ちゃんと生きたい。
・現在進行形で色々なことを記憶して、覚えて、勉強している最中だが、
本当に物事の成長が遅いと思う。同時にずっとモヤモヤしてる。よく分からない。
頭の中がクリアにならず、ずっと複数の物事を並行して考えてクリアにならない。解像度が低い。
ずっと苦しいし悲しい。
・どんな人だって生きていていい、というのが今の世の中である。私もそうであってほしいと思う。
誰だってもちろん生きていていい。
でも時々「生きるって苦しいし悲しいし面倒臭い」とめちゃめちゃ思う。
本当に恵まれた生活を送れている部分もあるが、生きるのは面倒臭いという側面もある。
「ずっと幸せで無くてもいい、時々不幸でもいい」という内容を違国日記でも書いていたが、
不幸なこと(言い換えれば、私にとっての「よくわからない」)が人生において、本当にたまらない時がある。
※こういう感情は曲になることもあるし、曲にならないこともある。
曲を書くのは体力と精神力がいる。体力も精神力もない時には何も出来ない。
…え、みんなどうしてるの!? たまらない時! やばくない?!
ずっとなんとなく過ごしてきた気がしてきた!!
「たまらない時の対処方法」の解像度が低い!!
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