知識よりテクニックが優先される
ってよく思う
・人と会話してる時、知識としては知ってるのに「えっ、そうなん?!」っていう反応をよくしてしまう。
話を聞いていくと、「あ、これ知ってるわ」って思ったりする。
※その時に「ごめん知ってたわ」って言うか、
知らなかった振りで引き続き会話するか、はその人との関係値による。
が、大概相手の話の邪魔をしないよう、知らなかった振りをする。
上記のような時、私は「知識よりテクニックが優先されるんだな」と思う。
知識は出すのに時間がかかるが、テクニックは反射で出てきてしまう。
でも「ごめんなさい、反射で返しちゃいました」なんて言えない。
だって「私の話聞いてた?!」ってなるケースが多い。
私もこれ書いてるテンションの時は「あら、反射で返しちゃったのね」って言うだろうけど、
自分の感情でいっぱいの時は「私の話聞いてた?!」ってテンションになってると思う。
・上記は他人と生活していくための術なので悪くはないのだが、
話題いかんによっては、「これ知らないなんて...この人知識ないじゃん…」と思われたりする。
自分の能力が足りないと判断されることになる。
誠に遺憾であるが、私の反応起因なので面倒であるし、弁解もスムースに出来るものではない。
・「いい女のさしすせそ」って言葉が以前流行ったけど、
あれ「人間関係を円滑に進めるさしすせそ」だと思う。
人は大概自分の話を聞いてもらえるのは嬉しい。
私も嬉しい。
でも同時に切ない。自分を相手に背負わせている。
同時に怖い。自己開示は相手からの批判を伴う。
自分の話をずっと出来る人は、「自分に自信があるから喋れるのだな」と思ったりする。
・「自分の発言に自信が持てる時は、人から聞いたことを話している時だ」と田島列島さんが漫画で書いてた。
Ex.)ネット評論家の意見をさも自分の意見のように自信満々に話す、って感じのやつ
なので会話では自分の感情の話より、人間関係の話題や知識の話題が優先されるのだろう、と思う。
と考えると、「自分に自信があるから喋れるのだな」と前述したが、
自分の意見として話した自信ある話は、誰かから聞いた、言い換えれば人から借りた自信だったりするのかもしれない。
あとみんな自信がないから、人間関係の話題や知識が優先されるのかもしれない。
・あと、案外自分の考えてること言語化できないよな。
自分のことを話さない、話せないのはそれもあるのかもしれない。
感情を話すのに、言葉はあまりにも未完成だし、声は影響がデカすぎるし、感情はあまりにも邪魔である。
感情を話すのに感情が邪魔って、もう泥沼じゃんね。
※そういえば、私は自分の声が全然「面白いこと言いそうな声」や、「この人の話を聞こう」と思ってくれるような声に聞こえない。
それが時々、たまらなく悲しくなる時がある。
・知識より優先されたテクニックは、
私が人間関係を構築できなかったから、人のことを傷つけてきたから学んだ術だったりする。
でも、そのテクニックが今私の首を絞める。
その皮肉が悔しいし、悲しい。故に苦しい。
・なので最近皮肉の中で生活をしている気分である。
最近結婚をした。私にはもったいないくらいの素敵な人である。
だが、上記みたいな感情をずっと抱えて生活出来ている。
私は幸せだが、不幸せも内包している。
今まで傷つけた人と、嫌な気持ちにさせた人がいるのだから、幸せだけでは生活出来ない。
これから出会う、接するであろう、幸せだし不幸せな人と、ちゃんと接さなくてはいけない。
過去傷つけたり嫌な気持ちにさせた人のおかげで、私はこれから人を傷つけにくく、嫌な気持ちにさせにくく生活できる。
うわ!! 本当に皮肉の中で生活をしている!! 悲しい!!!!!
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