「期待しない」なんて随分乱暴な表現ですね
・「君には期待してる」って言われると「勝手に期待すんじゃねぇ」って思うし、
「君には期待してない」って言われると「傷つける言葉を使うなよ」って思う。
・常々「他人には期待しない」って言葉はすごく乱暴だと思っている。
言い換えれば、相手を傷つけたい意図が含まれていると思う。
あと、これは想像だが、「過去自分が人に期待して傷ついたから、相手を傷つけたい(傷つけてもいい)」という気持ちが含まれていると感じる。
※これは人それぞれあるし、私も同じようなことを繰り返している。
世間一般的に「他人に期待しない」って表現はよく言うけど、
その人は「あなたには期待してない」って言われて傷つかない人間なのかしら、って思う。
私は正直そんなこと言われたら、上記と「面倒くさいし知らんがな」って思う。
勝手にしてくれ、と。ただ、言わないでくれ、と。
しかし、「他人には期待しない」って方が言うのは、
「相手が自分と同じ考えであることを前提に話をしない」
「自分が望んでいることを相手がしてくれる前提で対応しない」
という意味で言っていると認識している。
ここまで言語化出来てないだけだと思っている。
「期待」というワードの便利さ、浸透さが際立つ。
「みんな使ってるから、自分も使っておこう」みたいなワード。
ネットミームとか流行語大賞とか、そういったものに近いと思う。
例えば「その人ならではの言葉」みたいなのは接していると疲れてしまう。
このブログ読んでる人も疲れると思う。
ある程度「みんなが使っている」というような前情報があるワードの方が使いやすいし、ウケがいいのは知ってる。
そういった「市民権を得た言葉だが乱暴な言葉」が結構世の中にあるように思う。
その言葉を見るたびに胸がちょっとだけ苦しくなる。
・まぁそもそも言葉なんて人間関係の中で用いるものだし、
「今、目の前で話してる相手が、言葉を適切に届けたい相手が、ちゃんと受け取ってくれる言葉を選ぶ」というコミュニケーションの話である。
それに対して関係ない外野がとやかくいうのは野暮な話である。
・だが「言葉が人格を作る」という点はあると思う。
感情は心の中にしか無いが、人格は表現であり、言葉である。
感情は言葉にした段階で、その時点の感情が確定される。
同時に、その言葉を聞いたのが関係ない第三者だったとしても、言葉を発した人への印象が決まる。
・適切な言葉をこれからも探っていくしかない。
ああ面倒くさい。苦しい。でもそうするしかない。
こういうことを書くと私が誰かを傷つける言葉を吐いた未来、「過去あなたこう言ってましたよね」となるのは目に見えてる。
人間関係怖い! 私には期待しないでくれ!
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