2020年を生き延びた

恥ずかしながら2020年、ちゃんと生きておりました。

2つ前のnoteを最後に泥のようになっていました。
そう、ちゃんと人生の清算をしようとして。

まずは部屋の片付け。
自分が死んだあと整理をしやすいように、余計なものは全部捨てた。
多少強迫性を孕んでいたため、何を捨てたか覚えていないし何があったかも覚えていない。
死ぬために片付けてると思うと何度か涙が出てきたけれど、死ぬことしか考えてなかったからどうでもよかった。
少し早く自分に手を合わせた。

着実に誕生日が近付いてくる恐怖で少しずつ狂い始めた。

相変わらず通院して日々の報告をしていたが「片付けをしている」と言うと「少しずつ良くなってきてるのか?」と思われた気がする。
だが「自殺を考えています」とは絶対に話さなかった。誰にも何も話さずにそっと死のうと考えていたから。

正直片付け以外何をしていたか覚えていない。
自殺しようとしていることに気付かれないようにいつも通りに過ごしていた。
どうせ死ぬしな、と思うと全てのことがどうでもよくなって、心が広くなったように錯覚した。なんでも許せた。なんでもよかった。

それでも気持ちは焦ったまま。早く片付けないと間に合わない。誕生日までになんとかしないと。とにかく早く。早く。

誕生日まであと少しというところで、いよいよ精神が限界に達した。数少ない友人Aに助けを求めた。
「頼むから誕生日の日一日一緒にいてくれ、一人だと自殺してしまう」

「それは大変だ、わかった一緒にいよう」

なんて返ってくるわけもなく。

「こっちも忙しい。満喫にでも行け」

にべもなく呆気なく断られ、静かに泣いた。
そうだな、その通りだよ、自分が解決しなきゃいけないよな。
その瞬間、覚悟が決まった。

偶然にも誕生日と通院日がかぶった。
これが最後なのか、と思うと言葉が詰まった。
医師と患者、その割り切った関係がよかった。それがなくなる。この関係がなかったらまた一人で抱えて生きていかなきゃいけない。そう思うと耐えられなかった。
実は今日死ぬつもりだったんです。そう口から出すと同時に涙も出てきた。肯定するでもなく、否定するでもなく、ただ頷いて話を聴いてくれた。

いつも通り次の通院日を予約して待合室に戻ろうとすると、絶対また来てねと約束された。
私が約束を絶対守る人間なのを知っているからかはわからない。それでもその言葉で安心して、また少し泣きながら待合室の椅子に座った。

昼過ぎに帰宅した。不思議な気持ちだった。
死んでもいいし、生きてもいい。
あんなにも絶対に死ぬと決めていたのに。

両親は知らない。今日までどんな気持ちで生きていたかを。今日どんな気持ちで起きたかを。

恐らく幼馴染の彼女だけが、知っていた。

SNSでフォローし合っている彼女だけが私がおかしいことを察していたと思う。
近所に住む彼女からプレゼントを貰った。用件はそれだけだったはずなのに彼女は「これ観てみて」とDVDを貸してくれた。正確には押し付けられただが。
寒いのに、雪が降ってるのに、暗くなってきたのに、彼女は帰らなかった。ずっとくだらないことを話して、笑い合って、こんなこといつでも出来るのに、と思いながらどうして今日はこんなに粘るんだろうと思っていた。
夜になって寒さも厳しくなってきた頃、ようやく彼女は名残惜しそうに帰った。

当時の自分はわからなかったけれど、彼女の親戚が自殺したことがあったらしい。だから彼女は気付いていたんだと思う。私が死のうとしていることに。
自殺する前の人間の行動だと、気付いていたんだと思う。あくまでも推測でしかないけれど。

返さなきゃいけないDVD、次の予約が入ってる病院。
もう少し生きるには、十分だった。

あんなにも絶望して覚悟を決めたのに、揺らいだ自分が弱いなと思う。いや、弱くてよかったのだ。
SOSを出せるようになった。受け取ってくれる人がいた。気付いてくれる人がいた。
必要だったのは、助けを求めた人を間違ったと気付くことだった。

そこからのことはまたnoteに記そうと思う。

ただ今は、少しだけ生きててよかったなと思っている自分に拍手を贈りたい。
そう思えるようになった自分に、そう思えるようになるまで成長した自分に。
おめでとう。

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