スーパー自分語り

自分は笑うのが好きだ。いつも自分でくだらないことをして自分で笑う。それは結構なことだが、問題はひとしきり笑った後に訪れる静寂。これには耐えられない。今までの自分の行いを振り返っては悶える。何の努力もせずに歩んできた人生を振り返っては、それなのに笑っていた自分が愚かに思えてくる。そうして生まれた自分を卑下する心。イヤになってきた。またこの苦悩の時間が始まる。

自分は、正直言って自分に自信がある。根拠はないが、それでも、アイツよりはマシ、頭もいいし、友達もいるし…と自分の少しでも優れている部分を列挙すれば自信らしいものは出来上がる。だが、こうしてハリボテの自信が生まれるからこそ、自分を卑下している時、自分より下(かもしれない)者たちに申し訳なくなる。特にアフリカの子どもなんかが浮かんだ時には、なんて贅沢な悩みだろうか、と思ってイヤになる。むしろ、自分は生活が豊かというだけであって、人間性はアフリカの子どもたちの方が遥かにいいのかもしれない。この文章は、アフリカの子どもたちを無意識に下に見ていることの現れではないのだろうか、などとまた自分を卑下する。同じことの繰り返しである。

自分で言うのもおかしいが、私は他人に優しい。頼み事はだいたい聞くし、悪いことをしてしまったらしつこいくらい謝る。優しさとは関係ないかもしれないが、車が来ていなくても信号を守るし、自転車に乗るときは頑なに左側通行だ。しかし、優しさとは臆病さの裏返しである。頼み事を聞くのも謝罪するのも、結局は相手に嫌われたくないからだ。根っからの善意で行動したことなど、今までにあっただろうか?さて、こんな自分だから、どうしても許せないタイプの人間がいる。それは、自分のしたいことばかりしている、自己中心的なタイプの人間だ。彼らは他者に嫌われることを恐れていないどころか、嫌われるなんてことを考えたこともないのだろう。そんな価値観を持つのは彼らの勝手であるのだが、私から見ると、彼らは卑怯な存在に思える。自分はこんなに嫌われないように努力しているのに、どうして彼らだけが好き勝手に行動できるのか。だが、みなさんはこう思うだろう。「お前も好き勝手に生きればいいではないか」と。しかし、先程も言った通り私は臆病であるため、嫌われる勇気など持ってはいない。つまり、もとを辿れば、自分は優しいからこそ他者を妬むようになってしまっているのだ。私はそういう人間には脳内で悪口を言いまくる。嫌いな人間のことなど考えなければいいものを、いちいちソイツの行動に注目して、脳内で一つ一つの行動に突っ込む。時間の無駄だが、やめられない。ここからが最終段階だ。こうしてベラベラと語ったが、これをインターネットに流したところで、何の得にもならない。みなさんは私の自分語りを読んでもおもしろくないだろうし、私自身、こんな文章が誰でも読める状況になるのは嫌だ。だが、それでも、こうして発信しているのは、誰か一人くらいでも共感してくれたらいいな、と淡い希望を抱いているからである。結局、私は希望的観測に縋って愚痴をぶちまける愚か者だった。おわり。


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