心を開くということ

思ったことを包み隠さず話すヤツがいる。世の中の不満、苛立ち、親しい相手への暴言または欠点もふくめ。だが、そいつは最低で不良な人間ではない。勤勉で誠実な面もあり、努力家でもある彼は、人付き合いもいい。要は表面はふざけているようで実は真面目なタイプだからホンキでグレるということはない。
対して俺の方はといえば、あまり勤勉とも誠実ともいえず、それでいて本心は極力隠そうとしてる、はっきりしないヤツだ。それに自分はわりと甘えたがりでワガママなガキっぽい性格があって、それが自分の本質だとわきまえてる。今の自分にとって一番楽な状態だと実感してる。そして一度こういっただらしなさをさらけだしたら、中々理性の歯止めがきかず、どんどん独りよがりになる。
彼とは違って自分は本質的にワガママなガキ精神が宿っているのでまずもって、心をオープンにすることはない。なぜかといえば、何度かこの状態になった時、流石に友人もついていけず、次第に親密さが薄れかけた。余程目に余る言動だったのだろう。また自分も、ずっとこの状況でいることに次第に心が荒んでいくような感覚に陥り、人が離れていく寂しさを覚え、もうこれからはしっかりしようと決めた。建前でも独りよがりでない、朗らかな、人当たりのいい自分でいよう、と。
正直、建前と本音を使い分けるのは難しい。けれど、本音をぶつけると周りも手がつけられない可能性がある。そんな状況になるのは怖いし俺の精神もズタズタになってもたない。だから、たとえ社会的能力がなかろうと、自分を建前モードにして付き合っていかなきゃならない。孤独にならないために。心を開くということ、それは俺にとって、コミュニケーションの廃絶を意味する。なんて大げさかな?