雑念と衝動

 誕生日は、一度目緊急事態宣言の最中でした。成人式は、二度目の緊急事態宣言の間で、中止になりました。もちろん、祝われていないわけではありませんし、こういう状態が僕だけに降りかかったわけでも、誰かの嫌がらせでこうなったわけでも、理由もなくこんな状態になったわけでもないです。不運ですらないと思います。いわゆる、「こんな」状態では、仕方のないことで、当たり前の対処の仕方で、分かっています。はい。分かっていますとも。2020年が楽しいことのない一年だったわけじゃないことも、連日のニュースがただ不安を煽るためだけにやっているんじゃないことも、誰が悪いわけじゃないことも、これが数少ない「猛威」への争い方であることも、ただ中止されたわけじゃないことも、僕らにできる足掻き方が時代を受け入れることしかないことも、分かっています。
 ただ、少し辛いと思っていた感情が集まりすぎてしまったのです。気がつけばまるで僕には自由がないかのような、あるいは心がなくなっていくような、そんな錯覚に陥ってしまっていて、耐えられなくなってしまったのです。だからせめて、愚痴と弱音を許してください。それを放つには、自分が思っているよりも広い場所であることも、それが適切な行為でないことも、承知の上です。適切という言葉の、その鋭さも。

 ボクは人が好きです。ご存知のことかと思います。漫画に出てくるような斜に構えた意味じゃなくて、素直な意味で。斜に構えているのはむしろ、一人の時間が大切だから、と言っている時だと思います。誰かが隣にいなきゃダメで、カッコつけて言うなら、ボクの命は、ボクの目の前にいる人たちの感情でできているんです。名誉や栄光、スポットライトに照らされる舞台に焦がれる理由は、これがその一端である気がします。例えば目の前の笑顔とか、涙とか、そんなちゃちでクサいもので、ボクの火は揺らめくのです。
 だから、苦しいのです。そりゃ、隠れて遊べばいいのかもしれませんし、適切な状態で、適切な対処の中で人と会えばいい、とか、言葉にすれば簡単なことを思った人もいるかもしれません。でも、例えば、ボクの行為が、祖父の名に傷を付けたとしたら?もちろん、ボクの行為が傷をつけるほど、ボクが大きな存在ではないことはわかっています。ほんの小さな可能性です。ただ、それはもちろん考慮しなければならないはずです、そういう家に生まれて、それを自慢していたのだから、それは、小さな責務な気がします。それに、適切なんて、そんな簡単な言葉で片付けられるほど、すぐに癒える心でもないのです。ボクはこの時代のなかにおいては、紡がれてきた友情や信頼に自信が持てません。それは、いままでのボクの言動が理由で、それを改めてしまったら、ボクの中の矜恃が欠けてしまうから、ボクが変わることはないのだけれど。複雑で面倒な心。でもこれがなきゃ生きていけないから、許して。

 命が大事です。命が大事です。でもこのままだと心を失ってしまいます。もちろん命は大事です。でもこのままの心では。SOSではありません。救済は求めません。助けようはありません。ボクが思いこがれていたいくつかの未来はもう失われ、過去になりました。儀礼的で退屈な成人式がそんなに大切だったかって?思いますよ、自分でも。そんなに大切なことか?って。祝われようが祝われまいが、成人して、大人ですって顔をして、ただ、ちょっとみんなで同時に振り向く機会を失った程度だろうって。そんなに重要じゃないと思います、成人式。でも、確かにそれがトリガーとなって、数回折れかけたボクの心は、今まさに。

 どうやって生きてきたのかわからなくなりませんか?感動が嘘っぽくなりませんか?今自分が笑うことも、泣くことも、吐き気がします。もちろん、どんな時代で、何が制限されていようが、生活はしなければならなくて、ましてや全ての外出が禁止されたわけではなく、目の敵にされるのは、ボクの中のエポックとなりそうな瞬間か、ボクを庇護するヴェールになるような時間で(それが被害妄想なのも重々承知で)、ですからボクは、普通の人として生きているし(普通の人なのだけれど)、例を挙げるなら、親と冗談を言い合ったりしますが、その実、無いのです。何がと問われて、答えられてれば、少し楽なのでしょうか。

 まとまらないまま書いています。雑念と衝動。会いたい人に会えていなくて、自分が何者かを簡単に感じられる人とも、空間とも、時間とも、触れ合うことがなく、おかしくないですか?一昨年仲良くなった人たちと、去年、ほぼ一度もあっていません。一度もあっていない人がたくさんいるんです。一度もあってない、自分の中で重要な人たちがですよ?ボクの情が重いだけですか?苦しいのはおかしなことですか?分かってます。ボクだけの状況ではないし、この気持ちが不思議でないことも、不愉快にも、簡単に共感・同情されてしまうような、今は珍しいことではないことも。

 便利なことは好きです。頼って生きてきました。それに殺されるのは、きっと『ターミネーター』みたいな未来だと思っていましたが、もっと、もっと複雑な殺し方をするのですね。薄い繋がりがどうやら苦手みたいで、昔興味本位でやったさまざまな心理テストの結果を思いながら。こころの重さがどんどん重くなっていくし、胃袋はどんどん小さくなっていく。心が本当に具体物として存在して、それが体内で胃を押しているような、そんな気さえする。これはえたいの知れぬ不吉な塊ではありません。本来は不吉ですらないのです。

 終わり方もわからなくなってしまったのでここらへんで終わらせます。これだけ吐き出せば、またつくることができるでしょうか?そんな状況です。


※なんか間違えて非公開になってました。正しい公開日時は、去年の夏ごろか秋ごろだった気がします。

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