僕のノイズに対する考え方

2021/01/24(Sun.)

 僕の活動テーマには「ノイズ」という言葉がよく登場します。ノイズには騒音の意味ではなく新しい音といった意味を含めており、音楽の常識や社会規範から離れた音を指します。僕の鳴らすノイズはアグレッシブな音だけでなく、小さな音や間抜けな音、ナイーヴな音にもなるよう意識しています。テンションが上がる音・気持ちいい音よりも違和感のある音を積極的に鳴らそうとしているのかもしれません。
 自作楽器を開発するにあたって僕はピックアップやマイクを使った電気楽器を開発することが多いのですが、パフォーマンスの際にエフェクターを使うかは悩むところです。エフェクターは楽器の電気信号を加工することで質感を変化させることができるので、音響を細かく加工して多彩なノイズを鳴らすことができます。ただ楽器の音に対してエフェクターの音へ及ぼす影響力が大きくなると、自作楽器を作る必要性に疑問が生じます。市販の電子楽器をインターフェースとして使い、エフェクターを通して変な音を鳴らせばよいのであって、楽器を自作する必要なんてないのかもしれません。楽器を自作する意義とは何でしょうか?
 ジャック・アタリの『ノイズ 音楽/貨幣/雑音』※1を読んで、新しい楽器は新しい音楽(=雑音、ノイズ)を生み出し、「雑音」は権力や経済活動と結びついて社会秩序を象徴する「音楽」となって世の中に広まるものだと僕は解釈しました。その意味において、新しい音楽=雑音(ノイズ)は新しい社会秩序を予言するものです。こうした考えから、自作楽器の醍醐味は新しい音楽=ノイズを奏でる新しい楽器を作ることにあると思うのです。僕の基本的な態度は武満徹の本『音、沈黙と図りあえるほどに』でのジョン・ケージに関する章の一節に要約されると思います。

〈音楽の土地〉を耕すにはやはり人間の手と足が適っているのではないか。私たちは、あたえられた音ーこれは、一般的に楽器と言っても差支えないのだがーの土地を吟味もせずに、それによって収穫をあげようとしている。音を耕すことなしに、真にオリジナルは表われようもない。

 このようにジャック・アタリや武満徹の言葉を足がかりに楽器を開発して告知としての新しい音楽=ノイズを鳴らす活動がPLAY A DAYだと位置付けています。続く...かも。

▲PLAY A DAYのパフォーマンス

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