人間は光でしかない

何度もNoteに書こうとしたが、どうにもうまく行かなかったので、諦めていた。
今日はShadowverseのアディショナルのメンテンナンス中なので、書こうと思った。

突然なのだけれど、人間というのは光でできていて、まぁ、なんというか光が存在するからそこ我々は存在できていて、光がなければ何を知覚することもおそらくできないのだろうと思う。
これは、なぜそんな事をいうかというと、自分たちの身の回りのすべてがほとんど、目で見て近くして、それと認識することだから。
そして脳に至っても電気信号のリレーでしかなく、自分たちがそこにあると信じているものは、全て光である。
光があるからこそ、僕たちは僕たちであると主張ができ、区別ができる。

しかし光には物理のルールを超えないという特性があり、それが光がものである証拠である。
ということはこの世の中を構成しているものは全てものであり、光を近くすること、意識をすることによって、時間という概念が生まれ、それは何かというと、今は常に過去であり未来が常に現在であるということだ。
リレーする、そのように僕は言ったが、つまり全てを現在すべてを処理しようということは到底無理なことなので、自分たちが近くしていることの全ては今だと思っているかもしれないが、全ては過去の体験でしかない。

なので、我々はもっと体験を大事にし、生きていることを尊く思うのであれば、過去についてもっとよく考えなくてはならない。
現在は存在するが、それを現在だと認識することはできず、想像こそが未来そのものなのだと思う。
想像、という言葉が本当に正しいのかはわからないが、目に見えるもの、感じられるように理解できるように作ることは、全て過去を作るための要素に過ぎない。今を観測することは人間には不可能であり、そのように考えると、想像し、本来そうであったことについて未来に確定的なフラグを建てることこそが、未来を見ることなのではないかと考えられる。

人間は光である。物理的な。
そのように思うと、人間が光の速度を超えたとき、つまり肉体を捨てたとき、人間という体をもうなしていないのではにかと思う。
物理的に光よりも早く動く物体ができれば未来にも過去にも行けるのではないかと思うが、その際に人間は人間の形をしていないはずだ。
なぜなら人間は光であり、光の反射だからだ。

シャドバのメンテがもうすぐあけるので、今日はこれだけを書いておこうと思った。

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