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完全版「三本の柱と土台、それを支える亀と象」

はじめに

 私はちょうど1年前にnoteにて、おっしーこと押野直樹氏によって提唱された「三本の柱と土台、それを支える亀と象」理論の考察、解説を試みた。そのnoteは幸運にも提唱者によって査読して頂き、考察を評価して頂いた。

 しかし、2022年6月27日の配信にて、氏によって次のような言葉があった。

「三本の柱の解説についてはね、リスナーの人がnote書いてたんだよ。そのnote見てもらえば俺の言ってることが大体分かる(中略)98%くらい解釈が合ってる。

1:58:32~

 98%。完璧に解説したつもりだったが、2%足りなかった。
 
今回のnoteは氏の提唱した「三本の柱と土台、それを支える亀と象」理論の完全なる解説を目指すものである。一部、昨年のnoteと重複する部分があるがこれは100%、いやそれ以上の解釈を提供するための手段である。

1.理論が提唱された経緯

 2021年末頃からささぼーチャンネルは「ポケットモンスター シャイニングパール」の配信を行っていた。その中で思いつきによる「色違い統一パーティで殿堂入り(ストーリークリア)」を目指すことになり、色違いポケモンの捕獲で配信内外問わず苦しむことになった。

 そして、2021月12月24日、色違いヒンバスを釣ることを目指した配信によって理論が提唱された。まずはこいつを見てくれ→

 クリスマスイブ、色違いのヒンバスを釣る為にささぼーは1人で配信を始めた。この前日の配信から始まったヒンバス釣りは1/4096の確率を突破しなくてはならず、当然時間が掛かるものだった。しかし、色違いを捕獲するにはひたすら釣らねばならず、釣りを続ければ配信画面がほとんど変化しないというどうしようもない状況に陥った彼らは、色々な釣る方法を試しながら訳の分からないことを話し続けることになった。

 彼らは、釣りのポイントを変える、主人公の身体の向きを変える、波乗りをせずに陸で釣る、モンスターボール(フィールドに落ちているアイテム)を敢えて拾わない、釣ったヒンバスの数だけ色違いイシツブテの画像を配信画面に並べていく(マーチンゲール法)などの確率になんら干渉しない方法を試していた。

 リスナーのコメント欄ではそれらの行動を呆れて見ていたり、意味がないと諭していたりしていたが、ここで現れたのが「三本の柱と土台、それを支える亀と象」理論である。

2.「三本の柱」について

 「三本の柱」とは配信内で語られた確率をものにする考えや物事の成功に至るための3つの方策である。それはそれぞれ、偶然と理、イチローのカレー、いくら暴れても壊れない土台である。1つずつ説明していく。

 1つ目は「偶然と理」。これは彼らが大好きな「闘牌伝説アカギ 闇に舞い降りた天才」の作中でアカギが発した次の言葉からきている。

「お前は今堅固な金庫のようなもの、生半可なことではその金庫から点棒はむしれない。「理」ではダメだ、「理」では鍵穴の入り口で引っかかる。鍵穴を満たそうとしたら、別の力を借りるしかない。例えるなら偶然ってやつのちからだ。

「闘牌伝説アカギ 闇に舞い降りた天才」

 漫画や麻雀の話になってしまうので詳細は省略するが、つまり実力や理詰めだけではなく、偶然すらも自分の力として戦うということである。

 この言葉を基にして、彼らは「初心者は偶、上級者は理、神は偶」といった理論を語った。つまり、初心者はたまたまや幸運で成功しようとし、上級者は理論、攻略で成功しようとする。しかし、神(最上級者)は理論や攻略を詰めた上で偶然をものにするということのようだ。

 彼らは、様々な方法や理論(=理)に頼っている自分たちに気付き、偶然すらも自分たちの力としてヒンバスを釣ることが必要な段階だと話した。

 2つ目はイチローのカレー。イチローは現役時代、ルーティンとして朝食にカレーを食べるというのは有名な話だが、イチローに憧れた人間がカレーを食べる意味や理由を知らずにカレーを食べるのは無意味であるという彼らの理論である。

 確立になんら干渉しない様々な方法を試してヒンバスを釣っている自分達がまさに、訳も分からずカレーを食べている(様々な方法の意味を理解しないまま行動している)のではないかと考えたということである。

 3つ目は「いくら暴れてもぶっ壊れない土台の話」。これは何がどうなっても色違いと遭遇する確率はそもそも1/4096なのだから、何を考えていてもいなくても、工夫していてもいなくても確率は変わらないのだから何をしようがしまいが関係ないということである。

 つまり、「偶然と理」を基に行動したとしても、意味や理由を知らずにイチローのようにカレーを食べても、または食べなくても結局は1/4096の確率は変わらないため、どんなことでも試していけばよいという考え方である。

(4:13:15~)
押野氏「まぁ別の話だね確率とは。偶然とか利とかイチローのカレーの話いくら暴れてもぶっ壊れない土台の話は別々に考えて欲しい、皆。全く別の独立したものだから」

 これらの「三本の柱」はお互いに矛盾している部分もあるように思うが、氏は「それぞれ独立した話だから、別々に考えてほしい。」と話している。つまり、それぞれが矛盾をしていたとしても「三本の柱」は平行して成り立っているということである。そして、この矛盾があるのにも関わらず、それぞれが確立しているのは「土台」の存在によるものである。

3.「土台」について

 「土台」とは色違いポケモンの出現率が1/4096であるということである。この確率はどうなっても揺るがないことを「土台」と表現している。

(偶然と理、イチローのカレーの話、いくら暴れても壊れない土台の話の)3本の柱の内、いずれかの柱で見たら(3つの要素の1つでも欠けた場合には)それは問題のあることなんだよ。(でも)その下にある土台(1/4096)が救ってくれるから大丈夫。」

(4:23:47~)

 ここで1つの疑問が浮かぶ。「三本の柱」の内の「いくら暴れてもぶっ壊れない土台」と今回の「土台」では何が違うのか。ここが理論の一番の肝となる部分である。

 結論から言えば「三本の柱」における「いくら暴れてもぶっ壊れない土台」は人が物事に取り組む上での姿勢や心構えを表している。それに対してその下にある「土台」は常に確率は変わらないという事実を示している。人の考えか、事実かという違いがこの2つの土台にはある。

 氏はこのことについて、詳しく説明はしていないが、発言を基に考えるとこのような違いがあるというのを前提にして理論を展開しているようである。

4.まとめ

 したがって「三本の柱と土台、それを支える亀と象」は3つの独立した考え方を同時に成り立たせる土台があることを示す理論である。

 この理論によって、どのような方法を試したとしても確率は変わらないため、思いついた方法は全て試してヒンバスを釣り上げるという彼らのスタイルが肯定されたことになる。ただ、捕獲用のモンスターボールを持たない、ヒンバスが釣れないポイントで釣る等の土台から落っこちる可能性すらある行動も肯定する非常に危険な理論である。

 ただ、彼らは結果的に色違いヒンバスを釣り上げた(配信外で)。彼らは「三本の柱の土台、それを支える亀と象」の理論を実践し、成功させてみせたのだ。彼らの釣果によってこの理論は完成することとなった。

6.その後の「三本の柱」理論についての言及

 理論が提唱された日から既に1年以上の月日が経っている。よって、この1年間の配信で氏による理論についての言及が何度かあったので、その一部をご紹介しようと思う。

・2022年7月23日配信

(「三本の柱」についてのスパチャを受けて)
「今日はするわ流石に。今日はその話するわ。」
確率の話っすね。確率と如何に向き合うかって時の心構えというか」

51:30~

 このような言葉があったが、実際に語られたのは「ちゃんなべがいかに危険か」ということであった。

 ちゃんなべは一番良くない状態かもしれない。今。オカルトっていうぐにゃぐにゃの基盤の上に確率が立ってるから脆い。ちゃんなべの麻雀の店行った方がいいよ。簡単に勝てるっぽいよ。

53:56~

 氏は「三本の柱」理論が確率の上に方法(オカルト)を立てているのに対して、ちゃんなべはオカルトの上に確率を立てるという全く逆の考えを持っていることを指摘した。なお、話すと言っていた「三本の柱」理論の話はこの配信ではほとんど話されなかった。


・2022年9月1日配信 

 ヒンバス釣ってる時は8時間とか釣ってて煮詰まってたんだよ。煮詰まってたから、ヒンバスが釣れないマスで釣るっていう愚行を犯したんだよ。その愚行は良いと思う。

32:00~

 ヒンバス釣りと同等かそれ以上の沼となる試練の塔配信。この場面では、ささぼーが自分の判断ミス未遂に対する言い訳として「三本の柱」理論を使ったが、提唱者の前ではそれも返された。提唱者自身が愚行をしていたと告白している。

・2022年9月5日配信

亀と象の例の話についてはね、DMが来たんよ。「亀と象の話ってどういうことっすか?」って。で、俺結構長文で返したんだよ。
(ささぼー「シカトされた?」)
「了解です!」「グッド!」みたいな感じで来たから。もう話さないね。

49:38~

 このことから、「三本の柱」理論については氏がこの悲しい出来事を乗り越えるまでは語られることがないと思われる。ただ、既にこの配信から半年が経とうとしているので、今後、氏の口から改めて語られることはあるかもしれない。

☆そもそも「三本の柱と土台、それを支える亀と象」って何なんだ

 氏の提示したイメージ図は以下の通りである。

 このイメージ図は「古代インドの宇宙観を表した図」だと言われている。我々が生きている大地は象によって支えられ、その下の亀がさらに支えているという図である。

 現代に生きる我々は宇宙の構造について、全てを正確に理解しているとは言い切れないが、大体の構造は知っているだろう。少なくとも、現代において、象や亀が大地を支えていると思っている人は超少数派だと言える。しかし、現代とは違い、古代インドでは図のような宇宙観をもっていたことを表した図である。

 しかし約10年前、この図の出自がドイツの通俗本であったことが判明し、当時の人々が実際にこのような宇宙観をもっていたかどうかは甚だ怪しく、適当に描かれたものが「古代インドの宇宙観」であると現代まで誤解されていたと分かったようだ。

 したがって、氏の提示した図はドイツ人がでたらめに描いた図である可能性が高い。オカルトにオカルトを重ねた形である。

 そもそも「亀と象」と言っているがそれについての説明がない、というかその下にでっかい蛇もいる。これすら無視している。それどころか、「3本の柱」というのは図のどこにもない。

 あくまでイメージ図であるとはいっても、氏の「三本の柱と土台、それを支える亀と象」というのは「古代インドの宇宙観をでたらめに描いたドイツ人の図を基にして氏が勝手に考えた理論」だという結論に至る。

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