ささぼー軍団と私

・前書き

 
 本当は前回のnoteの余談として後ろに付け足そうと思っていたのですが、非常に長くなってしまいました。そのため、今までに書いたnoteの反省を活かして、2つに分けて投稿することにしました。
 このnoteでは私がささぼー軍団とどのように(一方的に)関わってきたか及び、ちゃんなべbotの開設の経緯について書きます。


 ほとんどが自分語りなので苦手な方はご注意下さい。

1.ささぼー軍団との出会い

 
 私がささぼー軍団と出会ったのは2021年2月の終わりの頃だった。

 YouTubeを見ていると、おすすめ動画の中に「デュエル・マスターズ」の対戦動画があることに気付いた。当時の私は大学生の頃に始めた「シャドウバース」を続けていて、関連した動画も見ていたのでYouTubeのアルゴリズムが薦めてきたのだった。

 デュエル・マスターズは小学生の頃に友達と遊んでいた。おこづかい制ではなかった私は、カードパックを購入することが出来なかった。たまに親に買ってもらったカードと友達と対戦する時に見たカードが自分のデュエル・マスターズの全てだった。

 何となくサムネイルをタッチした。子供の頃を思い出したくなったのかもしれないし、「元日本一」を謳うプレイヤーがどんな人物なのか気になったのかもしれない。

 カラオケボックスと思わしき場所で動画は始まる。男性が2人。その内の1人は明らかに常人ではない雰囲気の男性。すぐにこの人が「元日本一」なのだと分かった。対戦が始まる。それまで覇気の無かった男性は対戦相手が「不死身男爵ボーグ」でシールドをブレイクする宣言を聞くと、急に声を張り上げヒートアップした。そこで発された「トイザラスプレイング」これが私にとっての初めての「ささぼー語録」だった。

 独特な言い回しと動画、対戦のテンポとその完成度に魅せられた私は、次々に動画を再生していった。彼らは回を追う毎に少しずつカード捌きを思い出し、私は数少ない頭の中のカードプールにあるカードが対戦で登場する度に興奮した。

 私はいくつも動画を見ていくにつれて、「元日本一」がどのようにして日本一を勝ち取ったのか気になっていた。どんなデッキで、どんなプレイングで、どんな相手に勝ったのか。それを楽しみにスマートフォンにかぶりついて見ていた。

 そうして現れた「ボルメテウス・サファイア・ドラゴン」
 
 子供の頃の私の数少ない切り札、私にとっての「デュエル・マスターズ」。イラストを見た時、自分の中で色んな記憶が甦った。パックを開ける瞬間のワクワク、一緒に遊んでいた友達の顔、公園のベンチで対戦して砂の付いたざらざらなカード、スリーブなんて付けずに輪ゴムで止めたデッキ、カード欲しさに買ってもらったコロコロコミック……
 何も考えずに毎日を必死に楽しく生きていたあの頃を思い出した。

 「牙サファイア」「ナスゲート」「除去サファイア」対戦動画でサファイアは猛威を振るっていた。あの頃の自分のカードが大会レベルでも使用されていたことが感慨深かった。当然、プレイの内容は当時の私のものとは比べるべくもないものだったが、それでも嬉しかった。
 
 そして、ささぼーもサファイアを使って日本一になったんだと思っていた。これほどまでに強力なカードを使わない手はないと私は思っていたのだ。

 対戦動画は最後の1本になっていた。ささぼーはこの動画で紹介されるデッキで日本一になったのだと直感的に分かった。しかし、サムネイルには見たことのないクリーチャーがいた。

【デュエマ】元日本一がDM-20環境で対戦 その2【デュエルマスターズ】

 衝撃だった。サファイアは負けた。あれほど強力な除去サファイアを寄せ付けない圧倒的な対策とプレイング。子供の頃の切り札が成す術もなく負けていく姿に切ない気持ちはあったが、それ以上に感動した。ささぼーのデュエル・マスターズに対しての熱意、勝利への執念、センス全てが凝縮された動画だった。

 【元日本一が当時の環境で対戦してみたシリーズ】を見終えた私は、ささぼー軍団の人間性に興味津々だった。対戦相手のちゃんなべと名乗る人物は何者なのか。たまに声の入るおっしーという人物は何者なのか。気になって仕方なくなっていた。

 当時の私は心が疲れていた。仕事が忙しく、朝早く家を出て、夜遅くに帰る。家ではほとんど寝るだけですぐに仕事へ向かう。仕事を上手くこなすことも出来ず、上司との関係も険悪で辛い毎日を送っていた。きっと自分が他の人と比較して特別劣悪な環境にいるわけではない、そう自分に思い込ませていた。心が擦り減っていくのが分かった。土日がいつまでも続けばいいと思っていた。朝が来るのが怖かった。食事が喉を通らなくなっていた。生きることの意味が分からなくなっていった。

 本当に救われた。身内でのみ伝わる言葉を交わし、好きなゲームをしている彼らに。自分達が何より楽しみ、視聴者も楽しませようとする彼らに。全く生産性のない話題に熱くなり、くだらない事を議論する彼らに。何も考えずに毎日を必死に楽しく生きていたあの頃を思い出させてくれた彼らに。

 彼らを見ている時は何もかも忘れて楽しむことが出来た。笑うことが出来た。大袈裟だと言われると思うが、生きる意味はそこにあった。


 定職に就かず、楽しそうに活動する彼らの自由が羨ましかっただけの可能性もある……(いいよな、ささぼーは。)

初めてリアルタイムで見られた配信


2.デュエプレ、Twitterを始める

 私は救われて蘇り、動画や配信を見漁った。すると、ささぼーチャンネルはデュエル・マスターズ プレイス(以下デュエプレ)の配信をメインコンテンツとしていることが分かった。そこで私は、ささぼー配信をより楽しむためにデュエプレを始めることにした。(本当は大学生時代、2弾の時にアストラルリーフに釣られてインストールし、マスターまで到達してアンインストールしていた。この時は本気で忘れていた)

 当時(2021年2月)は8弾環境、青白ツヴァイランサーやリースドリームメイトを使って楽しく遊んでいた。しばらくはそんな状態が続き、ささぼーの配信を見ながらデュエプレを楽しんでいた。コメントを打ちながら配信を見るのはこの頃から大好きだった。

 そんな日常を送っていると、ある情報が耳に入ってきた。「公式大会BATTLE ARENA 5thが8月に開催される」、私はランクマッチだけで十分楽しめていたし、長い間遊んでいたシャドウバースでも大会に出場することは1度も無かった。それでも大会に出場してみたくなった。ささぼー、ちゃんなべが勝利を目指して頑張っている姿を見て大会に出場したいと思えたのだ。

 大会に出場するにあたって、情報を集めようと考えた。デッキの種類や使用率、過去の大会に関しての情報を得たかった。そこで辿り着いたのがTwitterだった。そこには、強豪プレイヤーによるデッキリスト公開、有名なチームによるランクマッチのデッキ分布等の有益な情報が沢山あった。それまではささぼーの配信と自分のプレイでのみデュエプレの情報を得てきたが、より詳しい情報を得られるようになった。

 しかし、何よりも有意義だったのはささぼー配信のコメント欄で見かけるリスナーの方々がYouTubeアカウントと同じ名前でTwitterのアカウントを持っていることを知れたことだった。

 各コンテンツにおいて、SNS等を通じてファン同士で交流するコミュニティがあるというのは知っていた。ただ、当時チャンネル登録者4万人にも満たないアラサー男性3人組のYouTubeチャンネルを愛する人々が交流している場があることに驚いた。

 私はすぐにアカウントを作った。作ったものの使っていないアカウントがあったのでそれを利用した。「2020年5月からTwitterを利用しています」となっているが、実際には2021年8月からTwitterを「ぷらちな」という名前で始めた。コメント欄で名前を見たことがある人とデュエプレ関係の人を何人かフォローした。もちろん、ささぼー軍団も。

 Twitterを始めて、ささぼー軍団のことを好きな人達が沢山いることを知って嬉しかった。そしてファンの皆さんとも少しずつ交流出来るようになった。配信の感想やキャプ画、デュエプレの話題もTLに流れるのを見るのも楽しくなってきた。

その時である。

本当に親の顔より見ることになるかもしれない画像

 目の前にいきなりちゃんなべが現れた。怒っているとも穏やかな表情をしているともとれるこの画像。この画像との出会いが全ての始まりである。

当時の私の反応

元ネタ

3.ちゃんなべ大喜利

 私の場合、ちゃんなべ大喜利との出会いは画像形式のものだった。

 ちゃんなべ大喜利にはいくつかの形式がある。単語のみ、文章のみ、会話形式、ちゃんなべに関する語句を入れる、もしくは入れない、画像付き、画像のみ、加工なし、加工あり等分けようと思えばキリがない。ちゃんなべ大喜利の懐の深さといったらないのだ。そもそも大喜利と言えるのかどうか等の問題は一切無視する。

 ちゃんなべ大喜利に取り組む人々には様々な意図があると考えている。見た人に楽しんでもらいたい、自己表現、RTやいいねしてほしい、ちゃんなべが好き等。理由なくやっている人もいるだろう。人それぞれ理由があろうとなかろうと取り組み、TLを彩る。それがちゃんなべ大喜利だ。ちなみに私は見た人に楽しんでほしいという理由。(RTやいいねが貰えたらそれはそれで嬉しい)

 試行錯誤を重ね、私は様々なちゃんなべ大喜利を作成した。そして、私は自分の持っているソフトを使えば新しいものを作れるのではないかと考えた。動画編集ソフトのAviutl、画像編集ソフトのPhoto Scape X、イラストソフトのCLIP STUDIO PAINT。主にこれらを作って、新しい切り口のちゃんなべ大喜利とささぼー軍団の二次創作の作成を目指した。

作成した物の一部

 数か月の間、こういった活動を断続的に続けていた。デュエプレ関連のツイートもあまりせず、ふざけた創作が沢山出来た。RTやいいね、リプライをして下さる皆さんのおかげで何の役にも立たない私の二次創作が価値のあるもののように感じられた。

 その結果、デュエプレ関連で有名な方からもフォローして頂ける等、予想していなかった反応もあった。一時期生きる気力が無くなった私からすれば考えられないほどの人生の充実感。しかし、同時に私の心にはある疑問が浮かんでいた・・・


4.ちゃんなべbot開設

 
 私はただ他の人が思いついたものの、やらなかったことを時間を掛けてやっているだけなのではないか。

 私の作品は誰にでも出来ることをただただ時間を掛けてやっているだけで自分の思想や哲学はそこになく、「時間を掛けて頑張ったね。暇なんだね」という評価を得ているだけなのではないか。誰かに言われた訳でもないが、何となくそういった考えがどこかにあった。

 そもそも、勝手にささぼー軍団を基に創作しているのだから、二次創作の評価が自分の評価になる訳がない、という思いもあった。それでも自分の中には「より良い創作をしたい」という考えが生まれていた。

 そこで私は画像や音声、ソフト等を使わずにシンプルな「ちゃんなべ大喜利」に立ち返ろうと考えた。根拠は全く無かったが、シンプルな形に取り組むことで新しい何かを手に入れられるのではないかという予想があった。

 そして、「ちゃんなべbot」運営の計画を立案した。ちゃんなべ大喜利と向かい合うために普段のアカウントと別のアカウントを運用する必要があった。また、普段のアカウントでは全く言及しないことで、ちゃんなべと自分のもつ力で「ちゃんなべ大喜利」に取り組みたいと考えた。

 ここまでやる必要はきっとない。当然、ちゃんなべ大喜利をし続けたところで、富も名声も得ることはできない。お金を貰えるどころか時間を捨てているようなものだ。だからこそやりたかった。好きだからやりたかった。

 その後の「ちゃんなべbot」での活動は前回のnoteで述べた通りである。何を得られたのかと聞かれても、まだ分からない。ただ、やってよかったと思っている。

5.ささぼー軍団と私

 
 ささぼー軍団には感謝しかない。彼らからすればただ配信をしたり、動画を投稿したりしただけのことかもしれないが、間違いなく私は救われた。

 しかし、私には配信や動画を見て、高評価を付けたり、ふざけた二次創作を作ったり、たまーにスパチャを送ることしか出来ない。人生を豊かにしてもらっている立場だが、彼らに返せるものはほとんどないのだ。

 だから、せめて私はこの先ずっとささぼー軍団を応援していく。彼らにも幸せであってほしいのだ。自分を幸せにしてくれた分、彼らにはもっと幸せでいてほしい。だからYouTuberとして活動する限りは応援する。もしこの先、彼らが活動を止める時が来たとしても、それが彼らにとっての幸せならそれはそれでいい。どんな形でも彼らが幸せな人生を送ることを願っている。

 いつしか、私の中にあった人生を諦める気持ちはどこかに行っていた。今の私は、人生が楽しいと思い出させてくれた彼らに感謝して生きている。配信や動画公開を待ち望み、リアルタイムで視聴してコメントを残す。それくらいしか私には出来ない。

 それでも生きる。私は生きる。死ねないのだ。旅動画を見るまでは。

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