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無題

実家はすごく田舎だった。
食料品とかを買いに行くのに車で何十キロも走っていかないといけないし、その間にあるのは田んぼとかでほんとうに店とかそういうのの間が何十キロもあって、バスや電車が本当になくて車がないと本当に生活ができないような所だった。
今でも実家に帰ったら私は免許を持ってないので家に入ったら実質軟禁状態のようになる。一人でコンビニやドラッグストアに行きたくなったら歩いて山を一つ越えないとタバコ一つ買うこともできないのであまり実家には帰っていない。
私はここに住んでいたとき本当に何もなさすぎて頭がおかしくなりそうだった。
免許がないと移動手段がないので私は自転車で無駄に何十キロも走っていたが本当に何もなく、田んぼとかそういう何もない道を何十キロも走ってちょっとした冒険みたいな感じをしてやっとホームセンターやドラッグストアにたどり着くみたいなことをしていた。一度めちゃくちゃに自転車で走っていたら高速インターに入ってしまい警察と帰ったこともある。
別にホームセンターやドラッグストアにどうしても行きたいとかではなかったがとりあえず移動がしたかったのかよくわからないが、犬の散歩などを任されると無駄に何かあるまで歩いていたのでやたら長距離を歩いていたのでそんなに構ってないのに犬はやけに私に懐いていた。
私はそんな田舎がとにかく嫌だった。
何が嫌ってなんでこんなところが嫌じゃないか言わなくてもわかるだろってくらいに普通に嫌だった。
本当に何もなさすぎて頭がおかしくなりそうだった。
実際におかしくなったのか、地元の空き家には明らかに住民が狂った後いなくなったんだろうといった、周りに大型家電が何個も置いてあったり文字がたくさん書いた状態で朽ちている家とかがなにもないところに散見していた。
実家付近で子供を連れた親とかを見るとなぜこんなところでどうして子供を作って育てようとするんだろう。こんなところで子供を育てるのって虐待の一環とかじゃないのかとか真剣に思っていてこんなところに生まれた知らない子が本当に可哀想になって辛かった。
でも時々地元に東京とかなんてあんな人が多くて住みにくいところによく住めるな。とか私と逆のことを言っている人がいて人それぞれだとは思うがそういう人は本気で理解できなかった。たぶん出て行きたいが何らかの事情がありそう思い込まないと発狂するからだろうとか思っていた。
私は実家に戻るということになることを想像しただけで恐ろしく、実家に戻るという選択肢をなくすために色々理由をつけて車の免許を取らなかった。
ある日なんとなくちびまる子ちゃんの単行本が売っていたのでなんとなく買ってみた。
そういえばファミリー向けアニメは好きだけどちびまる子ちゃんとアンパンマンはあんまり興味なかったなーとか思ってたけどなんとなく買ってみた。
そしてちびまる子ちゃんを読んでなんとなくわかった気がした。
本当に田舎に残っていて田舎で生活している人たちは世界が本当にこう見えているんだって思った。
ちびまる子ちゃんは私が知っている他のどの漫画よりも絵が変だったしキャラクターも変だった。
ちびまる子ちゃんの世界の中での人間や世界は本当に解像度が低く、ちびまる子ちゃんの作者と矢沢あいが同じ時代に漫画を投稿して描いていたらしいが二つの漫画作品を見ても、両作者の世界の解像度の違いはすごく明らかだった。
nanaを読んでいたら背景は写真をパソコンで加工しているのらしいが、その白黒の切り取り方のこだわりや人物の線の描写が少しでも違ったら表情や世界観が変わるから線やペンの選び方などすごく気を使っているのがわかったし私の知っている漫画作品はどれもそういう感じだった。だから自分が漫画を描いても本当に絵が雑だなあと思う。
ちびまる子ちゃんを読んでびっくりしたのは本当に絵が異様だった。
自分の漫画も絵が雑だと思うがそんな雑な漫画を描いている私が読んでもびっくりするくらい絵が変だった。
なんかとにかく漫画の絵っていうのは上手い下手もあるけどこんな変な絵は他の漫画で見たことがなかった。
なんか輪郭の中に目と鼻と口がおさまっていたらそれは人の顔で、枠線の中に背景と状況が描かれていたらそれはコマである。以上の情報を何一つ読み取ることができなかった。
作品の登場人物もとりあえず顔の中に目鼻があって胴体と手足があって吹き出しから言葉を発していてそのコマの中でなんか役割がある以上のことは何もない。いや漫画ってこんなんだったっけ…とか思うが、ちびまる子ちゃんの中では本当にその必要最低限だけで世界が動いていることに驚いた。作中の人物の行動動機、すべてが「それ」なのだ。むしろその必要最低限以上にエネルギーを割こうとしてる人物はちびまる子ちゃんの世界の中では「異常な人物」となり必要最低限で生きている「普通の人物」がそれを見て引いていたり馬鹿にして笑うのがこの漫画の基本的な面白さのようだった。
そうだ、たしかに田舎に住んでいる人間って確かにこんな感じだった気もしてきた。
必要最低限、それ以上のことをする意味が本当にわからないし、そういう人が現れたら頭がおかかしい理解できない人としてみんなで馬鹿にしていた。そしてそれがまる子たちのような普通の人間だったし、その中に矢沢あいのような白黒のバランスやファッションの細部や人の表情の描写に異常にこだわる人間がいたら誰も見てないのに何あの子はそんなことをあんなに気にしてるんだろうね。とか言われそうだし、もし矢沢あいが絶対的に美人とかじゃなかったら矢沢あいの容姿と漫画の世界の落差を馬鹿にされて、本人は美人じゃないのにやたら漫画の中での美的感覚を1ミリ単位で気にする異常な人物として馬鹿にされるキャラクターとして登場していたと思う。
なぜ矢沢あいが1ミリ単位で絵の描写にこだわっているかなんて理解しようとする人はたぶんだれもいなくてそんなに美人でもないのに漫画の中だけではこだわりが強い変な女として笑い者キャラとかになっていたか、矢沢あいが美人だったら綺麗なおねえさんが綺麗な漫画を描いていてあこがれるなあすごいなあ遠い世界の人だなあとか本当にそんな感じだと思う。
人間ってそんな簡単なものだっただろうかとか、そんなにこだわるって無駄なことだろうかとか、考えることやこだわりがあることや必要最低限以上にエネルギーを割く人間はそんなに変な人で笑い者やドン引きするくらいの存在でしかないのだうかとは思うが、ちびまる子ちゃんの世界の中ではそうなんだった。
必要最低限のこと以上にエネルギーを割くことはとにかく恥ずかしいことで馬鹿にして笑っていいという世界観で統一されていて、確かに絵にもそれは現れていた。必要最低限の目と鼻と輪郭と胴体と手足と名前とセリフとコマ割りとそれが何であるかわかる程度の背景と今どこでなにをしているか説明するだけのセリフ。そしてまる子やそれ以外のキャラクターが必要最低限のこと以上のこと以外にエネルギーを割いたら必ず馬鹿なこととして失敗してやらなきゃよかったよトホホ…とか馬鹿だねぇあの人はとか馬鹿にすることで成り立っている話。そういえば田舎ってそうだったと確かに思った。
本当に必要最低限以上にエネルギーを割くことが意味がわからないし必要最低限で生きていくことが幸せであるという価値観。
確かにそういう人にとったら東京や都会のような情報量の多い土地はただ疲れるだけだし、必要最低限以上にエネルギーを割いている変な理解できない怖い人がたくさんいる世界に見えると思う。
別にどっちが正しいとか優れているとかはないのだと思うが両者が分かり合えることはたぶんないし、子供は産まれる土地を選べない。それだけなんだとは思う。

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