手紙

私はふっくんに会いたいと思いました。
理由はクリスタで描いてる漫画が仕上げのレイヤーのはずなのに完成の状態がネームっぽいとゆうか線がなんか雑でなんかやりなおしてもきたないのをもう一回、もう一回とやりなおすときこれが、ふっくんがいたら添削レイヤーを作っておしえてもらえるのにーとかなるときがあります。
そういうの脳がどうなってるかわからないけどそれはほかのこともおなじだと思ってて私には簡単にできることがふっくんにとってはすごいことだったりするとおもいます。人が見たらわかるのに自分だとなんかわからなくなることとかあると思います。
それは他のことも同じだと思っていて私には簡単にできることがふっくんの目には天才やって見えたりふっくんが簡単にできることが私からみたらすごいことだったりします。
私の作品には欠けているところがたくさんありますが一番だめなところは雑なところだと思います。こんなの気をつければいいと思うかもしれませんが雑な人の見えている世界はたとえば
アメリカ人がだいたい汚れはこの洗剤一本で落ちるから特殊なものを除くと洗剤は一種類しか家にない、しかし日本人は場所や用途に分けて細かく洗剤を使い分けているので完璧な仕上がりになる。アメリカ人のやり方はシンプルで簡単だから普及しやすいがとりきれていないよごれやごみなどがある。
日本のやり方は完璧に近くなりますがその分大変です。
ここでどちらが優れているかという話になるのはまったく無意味で生産性がないと思います。
お互いの良いところを受け入れて補い合う。
対立よりそれが良い形だと思います。
そしてそれは芸術作品にもいえると思います。
美術作品において大切なのは作者が前面にでてくるとではなくて一つの作品のクオリティを限界まで上げることではないかと思います。
私はそれがお互いの長所と短所を合わせれば可能だと直感しました。

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