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漫画の感想

チャンピオンクロスでビースターズが無料配信していたので五十話まで読んだ。
読んだ時なんかズートピアとハンターハンターのキメラアント編に似てるなーと思ったが、作者が意図しているかはわからないが表面上ズートピアやハンターハンターのキメラアント編に似ていてもなぜか全く反対の印象を受けたので自分の感想をまとめてみる。
設定はズートピアみたいな感じで、色々な動物が種族の違いとか肉食動物と草食動物とかそういうのに悩みながら物語が進んでいく、主人公が狼とウサギなのもズートピアに似ている。そして漫画の絵柄とか見せ方の感じはハンターハンターのキメラアント編に似ている。
こう説明すればこの作品を全く知らない人でもぼんやりしたイメージは浮かべられるのではないかと思う。
しかし、表面的には似ていても作品から受ける印象は全く反対だった。そのため作者が意図してわざと似せたのではないかとも思える。
なんていうか設定や絵柄が似ていてもキャラクターの性格でこんなに180度反転した物語になるのだなと驚いた。なんていうかプラスとマイナスというか、陰と陽というか、とにかくズートピアとハンターハンターに表面は似ていてもキャラクターの性格が反転しているため、この漫画はとても全体的に暗い。
ズートピアはディズニーアニメであり、重い題材を扱いながらも明るい印象を受けるし、ハンターハンターもそうだ。しかしこの漫画はとにかく暗い。プラスとマイナスならマイナス、陰と陽なら陰だろう。そしてその暗さがどこからくるか考えた時、主人公のうさぎのジュディとハルの違いから考えてみたらわかりやすかった。
ジュディもハルもうさぎの女性であり、この世界では草食動物の中でも特に弱い動物として描かれている。
ジュディもハルも周りにどう言われようと自分の決めたことを突き進む感じの性格だが何かが決定的に違う。
ジュディは明るいがハルは暗い。
ジュディは悪く言えば世俗的でハルは悪く言えば気持ち悪い。
これは二人のキャラクターの動機が微妙に違うからだと思った。
ジュディはうさぎだけど警察になりたいと思い、周りの反対を押し切り警察学校に入り、さまざまな偏見をうけるが事件を解決して警察官として認められる。
ハルはうさぎだから弱く見られることが嫌で色々なオスとセックスして嫌われているという設定だ。
この二人の動機は似ているようで全く違う。
ジュディは自分がどうしたいかを軸に行動しているのに対し、ハルは自分が世界の中でどう受け入れられたいか、どう見られたいか、を軸に行動している。
これは他のキャラクターの行動動機にもだいたい当てはまり、ズートピアやハンターハンターのキャラクターは自分がどうしたいかを軸に動き、そうした時世界や他人と衝突した場合、交渉したり戦ったりする。
しかしビースターズの場合反対で、前提とされる世界やシステムが絶対的なものとしてキャラクターより上に存在し、その世界やシステムにうまく順応できない自分を変えることで世界に適応しようとする。ズートピアやハンターハンターと逆のアプローチだ。
例えばズートピアでもハンターハンターでもキャラクターは基本的に成長したり強くなったりすることは単純に良いことで、嬉しいことであり、それによって世界が窮屈になればもっと広い世界に出ていけばいいという感じだ、それがジュディにとってのにんじん農家からズートピアへの移動であり、ゴンにとってハンター試験から暗黒大陸へ冒険するようにだ。
しかしビースターズでは強くなることや成長することはそんなに簡単な喜びではない。もしその成長や強さが世界の望むものと違っていた時、その強さは悪いもの、ダメなもの、他者を傷つけるものでしかなく、主人公も強くなることは純粋に喜べず、強くなるのを意図的に抑える薬を飲んでいるキャラクターもいた。
つまりズートピアやハンターハンターの明るさは、世界が自分に合わなければ移動するか、戦うかして自分のやりたいことを貫く、という明るい動機、ビースターズの暗さは世界が自分に合わなければ自分を変え、大き過ぎたら削り、小さすぎたら背伸びをする。ズートピアの世界では自分が肉食動物や草食動物であることの嫌悪感をひどく持っているキャラクターはそんなにいなかったが、ビースターズの世界では草食動物に産まれようが肉食動物に産まれようが、自分の特性に苦しみ、自分の本能や本来なら素晴らしい力だったかもしれないものまで呪わしいものとしなければいけない。という世界だ。
なんというか個性=悪という価値観なのかとすら思える。ハンターハンターの世界では念という能力があり、自分の系統を100%伸ばすことで強くなれるという理論だ。
しかしビースターズでは肉食動物や草食動物やその動物の個性に抗えず、世界に従わないものは不幸な運命を辿らざるを得なくなり、単純に強くなることではなく力を世界にどう合わせて使うかが強さとして描かれる。
まるで窮屈な世界が圧倒的な全てであり、それに自分を削ったり付け足したりしてなんとか型にはまって順応しようとするように。
ビースターズの世界でもハンターハンターの世界でもよくキャラクター同士が殺したり殺されたりするが、ハンターハンターの場合、善キャラだろうが悪キャラだろうがいいやつだろうがゲスだろうが自分が能動的に望み、動いた結果殺したり殺されたりするためその死にそこまで悲壮感がない。しかし、ビースターズの場合は殺すキャラも殺されるキャラもまるで世界そのものの不条理に押しつぶされるようにキャラクターの意思とは関係なく殺したり殺されたりするのでその殺人には悲壮感がすごい。ハンターハンターの世界でもそういった自らの意思に反した死に方をしたキャラクターの場合は、能動的に動いて死んだキャラクターよりもその死は重く描かれ、能動的な復讐の動機となったりする。例えばキメラアント編のカイトが完全に自ら望んだ戦闘で単純に敗北して死んだとしたらゴンはああならなかったと思う。
ズートピアとビースターズの市長は同じライオンだが、市民へのアプローチは正反対だ。
ズートピアの市長は自身の長所を強調し、悪事を隠蔽し、よくも悪くも強いライオンそのものとして市民からの支持を得ていた。そしてビースターズの市長は整形し、牙を抜いて自分の個性を消すことで支持を得ていた。
そして、どれだけ暗い印象を受けても世界からすればビースターズのキャラクターのような考え方こそ善人でズートピアやハンターハンターのキャラクターは悪人だろう。
私はなんとなくこの閉塞感が合わなかったので五十話で読むのをやめたのでこの物語の結末は知らない。

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