山田清機 『東京湾岸畸人伝』

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#BookCoverChallenge

「初荷」のところで書いたか知らんが、本書を読んだ。

俺とほぼ同級のライター、山田清機氏が東京湾岸で生きる6人の〝畸人〝を書く。
畸人は畸形を思わせる。せむしやこびと。「きじん」とキーボードを叩いても「畸人」は出てこないはずだ。「奇人」なら変換されるが。
「畸」とは

・区切ったあとの残りの田んぼ
・残り、余り、半端
・体型に障害があること

の意。

しかし著者がインタビューした6人に身体障害者はいない。だから前二つの意味である。今や稀になった人々という。
登場するのは

・築地のヒール ー マグロ仲卸・中島正行氏
・横浜、最後の沖仲仕 ー 〝横浜のドン〝藤木幸夫会長。及び藤木企業の今里貞三氏
・馬堀海岸の能面師 ー 南波寿光氏
・木更津の「悪人」 ー 證誠寺前住職・隆克朗氏
・久里浜病院のとっぽい人 ー アルコール依存患者・荒井晴熙氏
・羽田、夢見る老漁師 ー 大田漁業協同組合シジミ会会長・伊東俊次氏

※肩書や状態はいずれも本書出版当時。

中でもコメントしたいのは、まず藤木会長。氏は管首相の子分たる林文子横浜市長(ダイエー社長時代には和央ようかとも懇意であった)のカジノ誘致に大反対。徹底抗戦の構え。
彼は一種の侠客で、というのも元来港湾荷役にはそうでなければ務まらない時代があった。
(ちなみに我が父が、戦後間もない食えなかった頃に、大阪は市岡(弁天町付近)で沖仲仕の元締めみたいなことをやっていた。後年自分が大阪に転勤した際、彼がやたらと大阪に詳しく「大阪ん人は人間の良かもんね」と言ったのは、そんな経緯による)

藤木氏自身、あるいは港湾労働者自体がヤクザということではもちろんない。しかし仲間の紐帯を何よりも重んじ、成果主義やエゴイズムと真逆でなければ、一定時間内に当該の船舶から荷を積み下ろす ー もちろん昔は人力 ー きつい仕事は務まらなかった。
例えば東京湾を支配した鶴岡政次郎。彼は田岡三代目を可愛がり、稲川会の重鎮でもあったが、田岡氏が神戸港の荷役で一躍山口組を〝成長〝させたように、港湾労働者(※)の精神的・職業意識的ありようはかつて、侠客たるを得ない、そんな一面があった。

※港湾荷役は集団作業なので特徴的だが、昭和のはじめ頃まではピンの土工にせよ渡り職人にせよ、土地土地で仁義を切るのが当たり前。今はヤクザでもまともな仁義、口上を述べられるのは稀と聞く。が、以前は博打うちやテキ屋でなくともキチンとした挨拶ができなければ、その土地で仕事はできなかった。
これはヤクザの口上だが、

◆昭和残侠伝より、池部良。

https://youtu.be/S0wo7FWculg

※また、自分のふるさとあたりでは火野葦平が父君・玉井金五郎を描いた『花と龍』が、まさに北九の港湾荷役の物語。
◆花と龍(日活版)。歌は村田英雄。

https://youtu.be/ZMJ0w6Cq-7s


本書にカジノ云々は出てこない。取材当時そんな話がなかったこともあるが、従前荷役の人々は、博打打つのが当たり前。
藤木氏がそれでもカジノに反対するのは利権というより、

・ハマ(横浜)を愛していること
・かつて清水次郎長が言ったように、博打うちこそ「場で朽ちる=博打」を知悉していること
・侠客の嗅覚で、政治絡みのいかがわしいものを峻別できること

そんな理由ではないか。

暴力団はいけないが、だから任俠道はだいじ。最近は40、50になってもまともな挨拶をできない者などざらであり、成果主義か何か知らないが「今すぐ結果を出せ」「育てる余裕などない」。
人をまるで機能・物のように扱う。

とまれ本書には俺にとっても懐かしい、海芝浦の某重電工場も出てくる(馬堀海岸の能面師)し、久里浜病院はアルコール依存症治療で有名。
また、羽田の漁師は健在で、東京湾の海の幸が未だ豊かであることを示す。そして木更津の寺は、あのタヌキの歌の元ですわ。

藤木会長こそ〝知る人ぞ知る〝も、帯にあるとおり

「凄い人は、いつだって無名だった」

ノンフィクション作家の使命は、そんな人々あるいは事象にスポットライトを当てることである。彼らの人生・生き様はそして読者に歴史と事実を明らかにする。
その点で山田清機氏の本書は大成功。一読を勧める。

さて今日から2月。なので2月の歌です。
◆ジョシュ・グローバン ー Feburary Song

https://youtu.be/fzk09LOxszc

以上、2月1日に取り急ぎ。

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