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テープ起こしの愛し方

「テープ起こしは必要悪だ」
そう言ったのは誰だっただろうか。著名な作家か、敏腕編集者か、売れっ子ライターか……いや、駆け出しの編集インターンだったか。

テープ起こしと出会ったのは、編集のインターンとして働き始めた頃。
それまで出版とは無縁の生活を送っていた僕は、テープ起こしの存在すら知らなかった。
上司様から「これのテープ起こしお願い」と言われた時は意味がわからず、とりあえず生返事をし、こっそりグーグル先生に聞きに行った。

「テープ起こしとは、講演・会議・座談などで録音された人の言葉を聴き取り、その内容を文章に直す作業である」by Wikipedia

簡単そうだな、と思った。楽勝だな、とさえ思った。

その3時間後、僕は前言を撤回していた。
打てども打てども終わらぬ音源。刻々と過ぎていく時間。外界から遮断された鼓膜。
見渡す限り音源の荒野を宛もなくひとり歩いているような気持ちだった。
もうダメだ、帰ろう。何度もそう思った。
しかし、帰り道が分からない。というかテープ起こしに帰るという概念はない。しまった。もうダメだ。

1時間の音源にかかった時間は6時間。
僕の手首は腕と平行線を保ったまま固まっていた。もう立てない、もう腕と垂直になることはない。僕の手首はそう言ったあと、ひっそりと息をひきとった。
1時間のテープ起こしに対し、あまりにもでかすぎる代償を払った。

それ以来、テープ起こしが大嫌いになった。
「ただの必要悪じゃないか」「原稿作る人が自分でやれよ人にまかすんじゃねーあほたれ!」と思う日々が続いた。

それから1年ほど経過した頃、多少の面倒くささは感じつつも「文字起こし? どんと来い!」とまで言えるようになった。音源1時間にかかる時間も3時間ほどになり、テープ起こしとは良好な関係を築いていた。

超マイナスから始まったテープ起こしとの関係をどのように変えたのか。この1年半の間に何があったのか。

まあ続けていれば嫌でも打鍵スピードは早くなるし、次に何を喋るのかも大体予想がつくようになる。やってれば早くできるようになるだろう。

では、テープ起こしへの嫌悪感をどうやって取り除いたのか。

それは、ひとえに優しい上司様たちのおかげだった。
僕の拙いテープ起こしに「ありがとう」と言ってくれた。いつもより少し早くできると「仕事はやいね!」と褒めてくれた。
もうそれだけで十分だった。もっと褒めて欲しいもっと餌付けして欲しい。
その一心で僕は文字起こしをこなし、気がついたら好きになっていた。
好きなると心に余裕が生まれ、それまで呪文のようにしか聞こえなかった音源を楽しむこともできるようになった。

人生バラ色だった。仕事が楽しくて仕方なかった。

そして1ヶ月前、その幸せはテープ起こしによって砕かれていた。
度重なるテープ起こしにより、腱鞘炎を起こしてしまったのだ。
キーボードを打つたびに手首に走る激痛。痛みで積もるストレス。もうダメだ、帰ろう。何度もそう思った。
しかし、帰り道が分からない。というかテープ起こしに帰るという概念はない。しまった。もうダメだ。

そして今、僕はテープ起こしの幸せを謳歌している。
え? 腱鞘炎はどうしたって?

ロキソニン使ってます。

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