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会話を楽しむためには?

子供の頃と大人になった今で、行動は変わっていない。少なくも、僕はそういう実感を持っている。
性格も行動基準も、好きなもの嫌いなものもたいして変わっていない。

なにが変わったのか。

考えるようになった。
子供の時より、自分の行動の意味を考えるようになった。
たとえば人に優しくする時、昔は何も考えずに行動していた。困ってる人がいたら勝手に体が動いて助けていた。
しかし今は、「人に優しくしとけば印象いいし、後々なにかのプラスになるかもしれない」と考えて行動している。先に考えて行動しているのか、行動した後に理由をこじつけているのかは定かではないが。

どちらにしろ、行動の意味を考えるようになったのは、昔と今の決定的な違いだと思う。

どうして行動の意味を考えるようになったんだろう。
意味を考える意味はあるのだろうか。ああ、また行動の意味を考えてしまっている。

ひとつに、言葉を覚えたことは挙げられるだろうか。
年をとるにつれて、多くの言葉を覚えた。自分の行動の意味を説明できるだけの語彙を覚えたことは要因のひとつかもしれない。

もしくは、自信の無さの現れかもしれない。
親元から離れ、自分の身一つで生きていかなければならない今、自分の行動に意味を見出さないと生きる自信を持てないのかもしれない。

そうだ、社会からの要請という理由もあるだろう。
義務教育を終えてから、急に行動の意味を求められるようになった。

就活なんかは顕著で、「弊社を受けた理由は? 何をやりたい? どうしてそれをやりたいと思ったの?」「人生の挫折は? どうやって乗り越えた? その時考えていたことは?」etc.

働くようになったらもっと説明が求められる。給料をもらっているし、説明責任がある。理由がなければ人は納得しないし、それじゃあ仕事の企画は通らない。仕事ができない人というレッテルを貼られてしまう。

年を取れば取るほど、行動の意味を気にするようになる。
聞かれることも増えるし、聞くことも増える。
説明できるかどうか、行動の意味の良し悪しで人は値踏みされる。

きちんと説明できないと生きづらい社会なのだ。

ただ、行動の意味を考えるようになって大きな喜びを得ることもできた。

会話が楽しいのだ。

「今日雨だなー」
 「そうだなー」
「外出たくないなー」
 「そうだなー」

みたいな会話をしていた小学生時代を思うと、ずいぶんといろいろなことを話せるようになったと思う。
よく考えてる人との会話は楽しいし、相手に相応しいほど自分も考えていたいと思う。

語彙を覚えたとか、自信を持つためとか、社会からの要請とか、そういった理由もあるかもしれないけど、何よりも会話を楽しむために行動の意味を考えるようなった。

子供の頃は会話で楽しなくても、初めてのことばかりで全てが楽しいと感じていた。けれど、年をとって経験が増えると、楽しみが減っていった。そして、経験すること以外に楽しみを見出すようになった。

「人間は考える葦である」と言われるくらいだから、会話は人間ならではの楽しみなんだろう。

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