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怒鳴れども、怒鳴れども

伝える。
言葉で伝える。
人から人へ伝える。

しかし、重要なのは伝わったかどうか。
伝えた気になっていても伝わっていなかったら意味がない。
だが残念なことに、大抵の人は伝えることを意識しすぎている。

怒鳴る。
声を荒らげて怒る。
ミスをした部下に向かって怒鳴る。

なにかを伝えるときに怒鳴る人は多い。
これは伝わったかどうかを意識していない人たちだ。
伝えたということを怒鳴ることで強調し、次も「何度も言っただろう!」とまた怒鳴る。

もう怒鳴るのはやめないか。
疲れるだけじゃないか。怒鳴ることでより伝わったというデータでもあるのだろうか。

僕の父親もそうだった。
母のミスに対し、執拗に怒鳴り続けた。
負のオーラが蔓延し、父は些細な事にさえ苛立つようになった。自分が怒鳴ったせいだというのに。
たしかに、発端は母のミスかもしれない。母のミスがなければ怒鳴ることもなかったかもしれない。
しかし、父はその負の連鎖を断ち切れたのだ。怒鳴らない、という選択をしていれば負のオーラが蔓延することはなかった。それは父の怠慢だ。

以前、なぜそんなに怒鳴るのかと父に尋ねたことがある。
父は
「怒るのは理屈じゃない」
と。

それは感情を制御できない子供のセリフだ。
泣き止んでと言っても聞かない赤ん坊の理屈だ。

あなたは大人でしょう。
感情を殺す術を身につけているでしょう。
怒鳴ることで得られるメリットはあるの?
相手の心に「失敗しちゃだめだ」と深く刻まれる?
じゃあ怒鳴り続けて母はミスしないようになった?
なってないでしょう。だから今日も怒鳴れらている。

もう怒鳴るのはやめないか。
怒鳴る方も、怒鳴られる方も、周りで聞く人も、誰も幸せにはならない。

伝わる言葉を紡ぎましょう。

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