だらけきった正義
同じ空間に複数人でいる時は複数人でできることをすべきだと考えていましたが、別々のことをするのも悪くないですね。思い返せば、中学生の頃は友達の家に行っても別々の漫画を読んでるだけでよかったしな。
以前多くの時間を共有した方には、前者の価値観を押し付けてしまっていました。おもむろにパズドラをやり始めたのを見て「こいつは一緒にいる意味が分かってないのか」「俺の存在は無視か」と思っていましたが、なるほどそういう価値観もあるのですね。
同じ空間にいる、ということが安心感をもたらすのは何故だろう。なにもしなくても離れずにいてくれる、という無償の愛的なものを感じ取っているからか。けど、相手を信用しているといえば聞こえはいいけど、非常に相手任せな満足感だよなあと思ってしまう。
いや、それだけじゃないか。
学業で考えてみる。
クラスという、一見すると勉学に専念するには非効率な環境で勉強しているが、結果的に相乗効果としてひとりで勉強するよりも学習達成度も精神衛生上の健康も良い(のかな?)。それと同じように、同じ空間で安らぐことで相乗効果によってより安らげるのではないか。
なるほど、一緒にだらだらするのもいいものだ。
まあ同じ空間で安らぐ人、いないですけどね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?