ペンギンが文脈をピョン

はじめに

こんにちは。ぴよらっとです。
私は毎朝少しずつ伸びていく草の上を飛び越える修練を続けており、飛べなくなるとニンジャソードで叩かれる生活をしています。
今日は草ではなくて文脈を飛び越える話をします。

文脈をピョン

私はかつて、インナー芭蕉という概念を提唱したことがあります。
インナー芭蕉というのは、我々の裡に巣食う芭蕉が、ツイッターのような短文SNSや標語づくりなどの場にしばしば出現し、575のリズムを人知れず作り出し続けている、という仮定です。

身近に潜む芭蕉を探す、と思いながら生活をしていると、芭蕉はありとあらゆるところに隠れていて、我々を575のリズムに閉じ込めようとしてきていることがわかります。まあまあ楽しいのでぜひ皆様にも試していただきたいのですが、これの楽しさってどこからくるのかな、ということを考えてみたところ、どうも文脈を無視して芭蕉のことを思ってしまうことが面白いんだなと思いました。

飛び越えると面白い

全然関係なさそうな物事の文脈を無理やりくっつけて遊ぶ、みたいなのはツイッターではよく見られます(なんでもメロスが激怒したりするとか、なんでもいかにも自分は隴西の李徴であるって言い出すとか)。今見ているものから、急に視点をピョンと飛ばすだけで、妙な面白さが湧いてくるのはなんかお得な感じがしますね。

飛び越えないと面白くない

これが真に面白いのは、自分でピョンと飛んでみた時なので、飛んでる人を見かけるだけではあんまり面白くないかもしれません。ピョンと飛んでみましょう。きっと面白いですよ。

おわりにかえてペンギンの動画

全然関係ないんですけど、ペンギンがピョンと飛ぶ動画です。面白いね。


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