まずいパンの話、あるいは小さな事でもくよくよしてよい

『弱さを認める事で本当の強さを得られる』って何?

弱さを認める事で本当の強さを得られる、みたいなことってフィクションとかだとありがちですよね。
事業、人脈、恋人、家族、全てを失って雨の中己の矮小さを知るとか、宇宙に比べたら俺なんか雑魚だぜとか、そういう弱さを知った瞬間になんか悟りみたいなのを開いたそいつが突然覚醒して、なんらかの必殺技を閃いたり、逆境を覆すアイディアを得たり、人が変わったように努力しはじめるみたいな物語。
でも、具体的に『弱さを認める』ってなんなのかが詳しく示されてはいないんですよね。あーあー、はいはい認めました!おれは弱いおれは弱いおれは弱いおれは弱い!さあ四回言ったぞジャイロ!はやくベルトのバックルを渡してくれ!となりがちで、今日はその辺の話をします。

具体的な例

例えとして、小さな事でくよくよ悩んでしまう自分が嫌だけど、でもそれをやめられなくて困っている人を見てみましょう。
小さな事、例えばなんか買ったパンがめちゃくちゃ不味かったとかにしましょうか。
まずくてまずくてとても食べられないけど、もったいなくてパンを捨てるわけにもいかないし、でも食べるには不味すぎるし、そもそも街中でパンを捨てる場所なんてなくて、その辺に投げ捨てるのはあり得ないし、こんなまずいパンに200円も払ってしまったことが悲しいし、そもそもなんかあのパン屋お昼時なのに人少なかったし、不味いと気付くことは出来たはずなのに気づけなかった自分は愚かだ、そもそもたかが200円のパンくらいで何をこんなに鬱々としてるんですか?バカがよ……
みたいになって、こんな事で10分くらいどんよりした気持ちになってしまった自分を責めながら1日を過ごし、寝る前にもああ、今日はついてなかった……あんなまずいパンを買ってしまったばっかりに……と思いながら、彼は眠りにつきます。

何がわるいのか

ここで言っておきたいことは一つで、『たかが200円のことでくよくよするなんて』と思う必要はないということです。
今、彼がまずいパンによって苦しめられ、そしてまずいパンの扱いに困っているというのは、既に発生してしまった『事実』だからです。
『事実』に対して『そうあるべきではない』という思いだけで立ち向かうのはかなり難しいです。まずいパンと、まずいパンによって傷つけられた彼の傷は確かにそこにあるもので、『そうあるべきではない』と言っても消えたりしないからです。
それが200円のカッターナイフだろうが2兆円の超振動ブレードだろうが、刃物で斬りつけられたら傷ができます。その傷の価値は200円でも2兆円でもありません。-200円でも-2兆円でもなく、傷はただその重傷度などで評価されます。

傷のはかりかた

今自分が傷ついたなら、その原因がどれだけ下らないかどうかはあまり関係がないのです。
あなたはたかが200円だろうがパンがクソまずかったらそれだけでいくらか傷つくのです。まずいパンの存在に、まずいパンを売りに出すパン屋の存在に、まずいパンを売るパン屋の存在を許しているその辺の住民に、怒りを抱いているのです。
それをまず認めなくては、傷の深さを評価することはできません。傷の深さを評価しなければ、傷を癒すこともできません。そしてそれこそが、『弱さを認める』なんじゃないのかなと思っています。
弱さを認めることで次のステップ、『なぜパンがまずいだけでこんなに自分は嫌な気持ちになるのだろう』という考えに進むことができるのです。ここの理由を解き明かすことで、小さな事でくよくよする自分の正体を暴き、改善するに至るのです。

応用編

当然ですがこれはまずいパンに限ったことではなく、
例えば、友達の冗談とわかっている何気ない一言にめちゃくちゃ憤りを感じてしまったりして、でもそんなことでいちいちマジギレしてる自分がおかしいのかな……とか、
例えば、その辺を歩いてる全然関係ない老人に近頃の若いモンは……とか言われてブチ切れたけど、でも全然関係ない老人の言葉なんか無視すればいいのにどうして……とか、
なにかしら心が動いたのなら、何にでも当てはまります。

まとめ

なぜ自分の心が今動いたのかを考えるためには、自分の心が動いたことをまず認めなくてはなりません。その原因が客観的に見てどれだけ下らなかろうが、動いたのであれば無視するべきではありません。
あなたの心について一番関心を持つべきはあなた自身です。
無視しないであげてくれ……たのむ……かわいそうだから……

まずいパンを許すな

そんな感じで以上です。
まずいパンを許すな。

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