弱いカナリアはどう弱かったか


※注意事項

これはあくまのじがぞう展 守護悪人編 カルトの章と、うむなふやすな地にきえよの感想です。両作品、および無料公開されているあくまのじがぞう展のネタバレを多分に含むというか、全部読んでることが前提の語りしかしないので、まだ読んでいない人は今すぐ全部読んでから戻ってきてください。

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はじめに

改めましてこんにちは。ぼくはぴよらっとです。
ぼくは #yosa_jp というハッシュタグを通じて、良いものを探してはその良さについて語ることを生業としたいと思っていますがなかなかそううまくはいきません。
今日はあくまのじがぞう展 守護悪人編 カルトの章とうむなふやすな地にきえよが家に届き、予想通りめちゃくちゃおもしろかったので感想を書きます。


知性vs反知性

まあ、今回はここですよね(虚空に同意を求める)。
西洋科学的価値観、理性を持った人間こそが素晴らしく、それから逸脱した存在は弱く、おろかで、救われなければならない、といったそれにカルトの長ツベルベリーが真っ向から挑んできてて、おお~~来たな~~~~と声を出してました。
これ、ぼくが漢方についていろいろ勉強してたときにも思ったんですが、漢方っておなかを触ったりベロの裏見たりして、これなんか根拠あってやってんのか……? 薬とか言いながら木屑とか米とか煮てるだけだしよォ~みたいになるんですよね。病気の正体を探って大本を叩くみたいな形ではなく、因果関係の不明ななにやら怪しげな治療を、気血水という架空の概念にそって行うので、こんなん続けてて治るのか……? 無理でしょ(笑)というナメた空気が学んでる側に蔓延しているのを肌で感じていました。
でも、そもそも漢方っていうのを西洋科学的に読み解こうとするから劣って見える部分があるというだけで、漢方を真に理解するには西洋科学的な観点を捨てて漢方的なものの考え方を採用しなければならないんですよね。
ぼくの考える『知性』というものは、必要に応じて観点の切り替えを自由にできることも指しているので、反西洋科学を反知性と呼んでしまうのはぼくの分類とは違うな~と思っていました。
閑話休題、差別をアレルギーに喩えるのは面白かった。それは生理的に備わった機能であって、道徳で制御しきれるものではない、そして宗教こそがそれの治療薬である、という考え方は納得できますね。


弱いカナリア

今回メインの守護悪人として描かれていたツベルベリーですが、エッグラタン編ではあまり目立たない存在だったなという印象でしたが、ヤバかったですね。全く新しい感染症を引き起こす病原体を作ったり、人を海に適応させ得る能力とか……でも、彼女は『弱い』カナリアであるとされていて、自分でもそう言っていました。
どこが弱いねん、とはじめは思ったのですが、よく考えてみるとその弱さというのは、カナリアとしての魅力の弱さというか、これだけの能力を持ちながら、その発現のさせかたが『カルト宗教を作る』だったところにあるのかなと思いました。
ツベルベリーは、言葉によって自分の世界を伝えることを早くから諦めていましたが、このタイミングで『他人に理解させる』ということをかなり諦めてしまっていたのかもしれません。
カナリアとしての魅力、他人を引きつける誘引力の弱さみたいなのがあったのでしょうか、彼女が差別と戦うために作り上げた組織は、こちらの世界で言う『カルトの洗脳』の形をとらざるを得なかった、そういう精神的、肉体的依存性をウムようなシステムを利用することでしか、人を集めて従えることができないという諦観を感じさせるあり方こそ、彼女の弱さの所以なのかなあ、とか。


キュンがすき

以上です。あとぼくは今回出てきた守護悪人の中ではキュンの言ってることが一番納得できたかなあと思いました。春に作られた雪だるま、水になろうとするのをせきとめなくてもいいじゃないか、というセリフがものすごくしっくり来ました(それをわりと無感動に言ってしまえるところがすき……)クァドリオンでキュンっていうあだ名もかわいいね。
さいごにフラれてしまうところはかわいそうだった。こんなかわいそうなことってないよ……


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